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4.肉壁の選択

 俺が学校に着いたときには、すでに一時間目の授業が終わっていて、ちょうど休み時間に入ったところだった。できるだけ目立たないように、そっと後ろのドアを開けて教室に入る。


 劣等生の俺が遅れてきたことで、教室中の視線が俺に突き刺さる。奇異なものを見るような目。それにもう慣れてしまった自分が、少しだけ情けない。


 普通の高校生なら、友人が「どうしたんだ?」とでも声をかけてくれるのだろう。そんな関係性を羨ましく思うこともあるが、俺には関係のない話だ。


 ただ、絡んでくる奴がいないだけマシだろう。


 二時間目の準備をしていると、耳の奥を直接叩くような、不快で心の底から拒絶したくなる音が鳴り響いた。


 アラートだ。


 教室は一瞬で騒然となり、「何!?」や「きゃっ」といった悲鳴が飛び交う。外も騒がしくなり、すぐに担任が教室へ駆け込んできた。


 鳴り響く警報をものともせず、いつもと変わらぬ陰鬱な雰囲気をまとった先生の姿に、なぜかほんの少しだけ心が落ち着く。


「落ち着いてください。まず、これは訓練ではありません。そして、地震や津波などの自然災害でもありません。これは、第一の扉から魔物が溢れたことによる緊急警報です」

「ま、魔物!? 教科書で見た、あの……?」

「その通りです。しかし安心してください。扉から魔物が現れる前に、ミノース王国側から事前通達がありました。すでに自衛隊の“特魔防備隊”が出動しています」


 その瞬間、再びアラートが鳴る。


「私は職員室へ行ってきます!君たちはこの教室で静かに待機してください。すぐに戻ります」


 いつもはのっぺりした印象の先生が、まるで別人のような機敏な動きで出て行った。その背中を見て、「やるときはやるんだな」なんて、どこか他人事のように思っていた。


 俺自身も、異常事態だというのにどこか落ち着いていた。大きな災害に遭ったことがないせいか、あるいは魔物の恐ろしさをまだ実感できていないからかもしれない。


 周囲のクラスメイトも同じ気持ちなのだろう。小声での会話や、緊張感のない笑い声すら聞こえてくる。


 そんな中、教室のドアが勢いよく開かれた。


「今すぐ体育館に移動します。急いで廊下に並んでください!」


 長い前髪で表情は見えないが、その声音はわずかに上ずっていた。


 本当にヤバいのかもしれない。


 そんな考えが頭をよぎったと同時に、三度目のアラートとともに校内放送が流れる。


「第8の扉より魔物の侵入を確認。これは訓練ではありません。生徒は落ち着いて体育館に避難してください。繰り返します―」


 空気が一変し、教室全体に緊張が走る。俺の心臓もドクン、と強く脈打つ。


 第8の扉…。ここから、たった三キロの場所だ。


「落ち着いて、押さないで前に進んで!」


 先生の声は必死だったが、生徒たちは焦りからどんどん早足になり、ついにはパニックが起こる。


 悲鳴、転倒、混乱。


 俺には助け合う友達がいなかったからか、パニックに飲まれず壁際を伝って冷静に進めていた。


 階段の前に差しかかると、流れから外れて蹲っている女生徒の姿を見つける。


「愛月さん、大丈夫?」

「天ヶ瀬くん……ごめんなさい、みんなに押されて転んじゃって……」

「こんな状況だし、謝ることないよ。さ、立って。魔法は使えないけど、肉壁くらいにはなれるから」

「そんな、肉壁なんてさせないよ……でも、ありがとう」


 手を引いて立ち上がらせ、タイミングを見て人の流れに再合流。歩調を合わせて、なんとか体育館へ到着した。


 体育館では先生が点呼を取っており、無事を確認された俺たちはほっと息をつく。


「天ヶ瀬、愛月、大丈夫だったか?」

「すみません先生。途中で転んで……」

「無事ならいい。天ヶ瀬、お前は魔法が苦手だろう。これは古い刀だが、護身用に持っておけ。無闇に抜くなよ」


 そう言って先生から刀を渡された直後、校長が拡声器を手に話し始める。


「えー、現状について説明します。先ほどもお伝えしましたが、第8の扉から魔物が溢れ出しました。扉の向こう。ヴァルムントでは、今も兵士たちが命を懸けて戦っていますが、撃ち漏らした魔物がこちらに到達し、千葉県に侵入している可能性があります。ですが安心してください。優秀な魔法使いや自衛隊が日本にはいますし、この体育館には教師陣による強力な防御魔法が展開されて―」


 その瞬間、轟音が体育館を揺らした。


 壁が崩れ、土煙が上がる。その向こうに、異形の巨人が姿を現す。


 体育館の壁は大きな穴が空き、その奥の存在を隠すように土煙が舞う。壁の近くにいた先生や生徒は一瞬でつぶされ血の海を今も尚広げ続ける。


 全身が異様に長い黒い体毛で覆われていて、皮膚は焼け爛れ、人間の顎が縦に割れたような形をしていた。人間とは似ても似つかないその魔物に、生徒たちは悲鳴を上げる。


 巨人の足元を見るとその巨人の小型Verのようなものが複数体おり、そのどれもが人型のようではあるが無理やり色々な生物をくっつけたような、人間の出来損ないのような見た目をしていた。


「バ、バケモノだッ!」


 「ひっ」と息をのむ悲鳴。それに呼応するかのように魔物?が一斉にこちらに向かってくる。


「慌てるな!対応できるものは全員防御魔法展開急げ!!!」


 校長が激を飛ばすと、先生方はすかさず魔法壁を展開し、生徒たちも焦りながら自分の身を守るために魔法壁を張り始める。


 不気味な見た目をした人型の軍勢は魔法壁に阻まれ、壁に爪を突き立てる。口のあるものは言葉ではなく、動物の鳴き声のような奇声を発していた。


「はは、なんだよ、驚かせやがって……」

「俺たちも戦えんじゃねぇか!?」


 数人の生徒が、自分の魔法壁に阻まれる魔物を見て笑みを漏らす。それに活気づいたのか、へたり込んでいた生徒も腰を上げ、次々と魔法壁を展開していく。こうして、生徒全員が魔法壁を張り、盤石な体制が整った。


「来いよ、バケモン!お前は図体がでかいだけか!?」


 一人のお調子者が声を上げると、最も大きな魔物が、赤子がはいはいするような動作でゆっくりと動き出す。四つん這いのような姿勢で、パーツのない頭部を魔法壁に擦り付けてきた。


「なんだぁ?本当に図体がでかいだけかよ、ビビらせやがって……!」

「まだ何をしてくるかわからん! 油断するな!」


 校長が注意を促すが、それは一足遅かった。その魔物の何もなかった頭部に、突如として顔を覆いつくすほどの巨大な眼球が現れる。そして、その眼と目が合った瞬間、目の前にあった魔法壁がかき消えるように消滅した。


「ッ!?慌てるな!もう一度再展開を―」


 先頭の先生が指示を出す前に、小型の魔物が襲いかかってくる。体育館の壁と魔法壁によって形成されていた安全地帯は、一瞬で陣形が崩れ、小型の魔物たちが流れ込んでくる。


「うわああああああ!!!」


 その魔物たちは魔法への抵抗力が非常に高いのか、どれほど優秀な生徒や教師の魔法にも傷つかず、怯むことなく中へ突入してくる。そして、殴る、蹴る、噛むなどの物理攻撃を繰り返し、一瞬で半分以上の生徒が動かなくなった。


「いやぁ!!助けて!」

「助けて父さん!母さん!いやぁぁ!!」

「死にたくない!まだ死にたくない!!」


 まさに地獄絵図。阿鼻叫喚が響き渡る中、隣の愛月さんは項垂れながら「死ぬ、死んじゃう。もうやだ……」と呟いていた。


 そして、ふと何かに気づいたように、こちらを見た。


 魔物の咆哮、生徒の叫び声の中、その声だけは脳内に直接響くようにはっきりと聞こえてきた。


「い、い、行ってよ天ケ瀬君っ……言ったよね?肉壁になるって……!!魔法壁も出せないなら、早く行って囮にでもなってきてよ!私たちの代わりに!!」

「……」


 こんな時に何もできない自分。そして、人からぶつけられた強烈な憎悪。その両方が胸に突き刺さり、ズキズキと痛む。食いしばった歯を緩めれば、涙は滝のように溢れ出そうだった。


 それでも、こんな酷いことを言われても尚、情けない姿をさらすのは、男としてのプライドが許さなかった。


 護身用に渡された刀を、ゆっくりと持ち上げる。


 柄を握る指先は白くなるほど力が込められていたが、それでも刀はかすかに揺れていた。心臓の鼓動に合わせるように小刻みに震え、掌に滲む汗が柄をじっとりと湿らせていた。


 喉が渇く。目の前の敵を睨みつけるが、呼吸が浅くなり、息を吸うたびに肺が押しつぶされそうになる。肩がこわばり、全身ががちがちに固まっていく。


 授業で教わった通りに刀を振ればいい。ただそれだけのはずなのに、腕は思うように動かず、足も地面に根を張ったように動かない。


 ふと、指先から力が抜けそうになり、柄が滑り落ちるのではないかという不安がよぎる。慌てて握り直すが、大きな震えが走り、刃がほんのわずかにカチカチと揺れて音を立てた。


 恐る恐る足を一歩前に踏み出す。俺は、今から死にに行く。


 覚悟なんて、固まるはずがなかった。

次回投稿予定:本日の12時

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