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37.縁環の詩

 漆黒の広間。音もなく立ち尽く“それ“が、静かに右手を掲げた瞬間だった。


 体に響く低い呻き声のような声で発せられる。


「虚影展開」


 無数の影が、まるで呼吸するかのように床から膨れ上がった。広間全体が影に包まれ、空間がひしゃげる。足元から生えた黒い触手のようなものが、俺たちを目掛けて蠢き出す。


「避けろ!」


 叫ぶより早く、俺は静奈を突き飛ばした。燈華はすでに狐火を撒き散らして応戦しているが、影は炎に触れても消えず、執拗に絡みつこうとする。


「この影しつこいぞ!」

「踏ん張れ静奈!」


 迫る触手のような無数の影は、まるで意志を持っているかのように的確に目や心臓などの急所を狙ってくる。


 追加効果がないのが不幸中の幸いだが、影は切っても切ってもダメージが蓄積されることはなく、その度に元に戻ってうねうねと気持ち悪い動きを繰り返す。


「このままじゃ押し切られる……!」


 大剣を持った静奈にこの量の影を相手にしながら本体まで辿り着くのは難しいと判断し、燈華を呼ぶ。


「影にダメージは通らない!!本体を攻撃するぞ燈華!」

「はい!」

「日向丸も頼む!」


 日向丸が淡く光り、迫る影に的確にバリアを張って進路を遮る。日向丸が作った道を燈華と影を切り払いながら、ラズへと距離を詰める。


「本体ならぁぁ……!」


 ──だがその瞬間。


「……深淵打操」


 ラズの瞳が、闇の奥で鈍く輝いた。次の瞬間、燈華の目前の空間が裂ける。


「っ!?」


 何もない空間に、黒く縁取られた裂け目が現れた。その奥から、異界のような光が、鋭く、まっすぐ、燈華に向かって放たれる。


 直撃。


 燈華の体が、爆風と共に吹き飛ばされ、石の壁に叩きつけられた。


「燈華!!」


 叫びながら駆け寄ろうとするが、なおも影が足元を這ってきて進めない。ラズは一歩も動かず、感情のない目で俺たちを見下ろしている。


「ラーヴェン!!す、すぐに燈華を回復してくれ!!!」


 ふわりと召喚それたラーヴェンはすぐさま燈華の元に駆け寄り、膝をつくと回復を始めた。


 俺は目の前の“それ“を睨みつける。なんなんだこいつは。あまりにも全てが禍々しすぎる。


 その時だった。


「……悲響の鐘」


 ラズの背後に、音もなく鐘が浮かび上がった。銀でも金でもない、曇った金属のような質感。打ち鳴らされた瞬間、その音が、脳に直接突き刺さった。


「ッ……ぐぅ……!?」


 視界が歪む。床が波打ち、天井が遠のく。


 目の前に現れたのは、かつての沙羅の背中。


「主殿!あそこです!」


 燈華が指さす方向には見慣れた制服を着た沙羅が俯きながらも魔法壁を展開していた。そしてその先には人間の倍ほどあり筋骨隆々のクラッグ・オーガが今にも沙羅に拳を振り下ろそうとしていた。


 沙羅もあまり魔法がうまく使えなかったはずだ。あの一撃を食らうのは絶対にまずい。 


「やめろぉ!」


 無理やり前に入り込もうとするが、なぜか動けない。


「お、おぃ…!やめろっ、やめろぉぉぉぉ!!」


 クラッグ・オーガの拳はそのまま沙羅の体を貫いた。


「うわぁぁぁぁ!やめろ!やめてくれ!俺のっ、たった一人の家族なんだ!やめてくれ!嘘だと言ってくれ!!!!」


 貫かれた沙羅は、腹や口から血を吹き出しながらこちらを振り返る。


「おにぃ……もっと早く来てよ…もう戦う力があるのに…。もっと早く来てよ…!私も死んじゃったよ?それでも涙の一つも出ないんだね。あんたにとって、家族ってその程度なんだもんね!!」


 こんなに酷い光景を前にしても、俺の目から涙は流れない。最低の人間だ。


 今も沙羅を北海道に置いて、一人にさせてしまっている。


「北海道…。そうだ、沙羅は死んでない……。今は八雲さんの家にいる!つまりこれは、幻覚…?」


 幻覚と分かった今、あとは抜け出せば良いだけだ。でもどうすれば良いかなんてのはわからない。


「でも、こういうのって、だいたいこれで、戻れるよなっ!!」


 持っていた刀を足の甲に突き刺す。


「あぐぅっ!!」


 痛みに悶えていると視界が一変し、元の広間に戻ってくる。幻術使いが幻覚に引っかかるなんてあまりにも滑稽で笑い話にもならない。


 周囲を見渡すと、静奈は虚な目で立ち尽くし、燈華は未だ血を流し倒れていた。


「ラーヴェン!燈華は大丈夫なのか!?」

「いいえだめです。どうやらやつの深淵打操には何かしらの効果が付与され、私の治癒が効きません。今は痛覚遮断と回路の回復だけで手一杯です…」

「わかった!燈華とラーヴェンはもう戻れ!」


 二人を戻し、ヤツに目を向けると、同じく幻覚にかかり、立ち尽くす静奈に向かって触手状の影を伸ばしているところだった。


「くそっ!タチの悪いやつだ!」


 いつも幻術を使ってる自分を棚に上げてヤツに向かって唾を吐く。


 静奈の前に立ち、こちらに向かう影を切り伏せるが、やはり影への攻撃は意味がない。何とか本体を攻撃しなければ。


「静奈!起きろ!静奈!!くっそ、日向丸っ!叩き起こしてくれ!」


 球体がぼよんぼよんと静奈の顔にぶつかり、その軽い衝撃で目が覚める。


「やべ!寝てた!!!!!」


 そんなに酷い幻覚は見てなさそうで良かった。


「早くこの影をどうにかしないと!」

「んだぁもうしゃらくせぇ!多少の傷はご愛嬌だ!」

「あ、まて!!」


 元研究職とは思えない脳筋振りに驚きを隠せないが、進んでしまったものは仕方ない。俺も静奈に続き、ヤツに向かって駆け出す。


 致命傷になる攻撃だけを弾き、強化した足でトップスピードに乗りヤツに肉薄する。


 だがヤツの顔は変わらない。ただ静かに、俺たちを見下ろしていた。


 ヤツの口のような所がかすかに開かれた。


「……なぜ……」


 その呟きは、冷たくも、確かに迷いの色を含んでいた。そのまま、ヤツの周囲の空間が静かに揺れ―


「終焉の詩」


 広間全体が、止まり始める。


 時間が、音が、すべてがヤツの背後からこちらに迫るように止まっていく。


 静奈の後ろにいた俺は、それに気づくのが遅れる。


 静奈は振り返り俺の腕を握ると、無理やり入り口付近へ投げ飛ばした。


「透真!これはやべぇ!にげ―!」


 「逃げろ」と、悲痛な顔で叫ぶ静奈の時間が止まる。


 投げ飛ばされた俺のところまでは効果が及ばないのか、俺は普通に動くことができた。


 この状況をどう打開するか逡巡し、刀を構えるが、ヤツの動きが、止まっており、影の触手も息を潜める。


 ヤツの闇の揺らぎの奥から、一対の瞳が現れる。人の瞳に似ているが、どこまでも遠い、どこか哀しみをたたえた光。


「……どうして、お前たちは……己を犠牲にしてまで、他者を守る?」


 その声には、深い戸惑いと、微かな震えがあった。


「……人間は、変わらない。奪い、裏切り、欲望に溺れ、繋がりを、踏み躙る……それが、私が見てきた“人”だった」


 ヤツの身体から、黒い殻のようなものが、少しずつ崩れ落ちていく。


「けれど……お前たちは、違った。無力で、愚かで……でも、誰かを護るために、躊躇なく傷つく。それは、かつて……あの王がまだまっすぐだった頃の姿に、似ている」


 ヤツが語り始める。


 かつて「ラズ・アル=サフル」と呼ばれた存在は、はじまりの世界で、神々にすら干渉されぬ孤高の観測者だった。


 彼は、あらゆるものと“繋がる”力を持っていた。けれど誰とも交わらず、ただ、世界の調和を見届けるだけの存在だった。


 だがある時、幼き王に出会う。真っ直ぐで、優しく、民を愛する王。


 しかし、臣下も民も、皆が「王」という肩書にひれ伏し、心から彼をひとりの人間として見る者はいなかった。


 そんな中で現れた、似た境遇のラズに生まれて初めて「繋がり」を望み、ラズはその願いに応えた。


 そして。一度だけ願いを叶えた瞬間、ラズは上位の存在に裁かれ「観測者」から「一般的な生命」へと堕ち、王の儀式によって召喚された。


 それでもラズは王を信じた。王の理想が「正しさ」であると信じた。


 だが、理想は次第に歪み始める。


 王はラズの力を用い、異界を繋ぎ、魔力を蓄え、周囲を従わせ始めた。平和はやがて「支配」となり、ラズは「扉」として世界の境界に縛られた。


「我は……従うしかなかった。召喚獣として、従うことしか許されなかった……」


 ラズの影が広間全体に広がり、再びその存在が揺らぎ出す。


「それでも、我は王を信じていた。だけど……彼の行く先は、滅びだった。だから……我は、自らをより下の存在へと堕とすことで、支配の鎖を断ち……王を殺した」


 彼は、観測者という他の存在に干渉しなかった自分のすべてを否定して、王を断ち切った。


 王を殺した罪を償わせようと、何人もの兵士や狩人がきたが、全てを追い返してるうちに、この国は滅びた。


 その後、彼は“ラズ・アル=ナクタム”として、この地に縛られ、誰の目にも届かぬよう、誰にも救われることを望まず、ここで蹲っていた。


「あぁ、もう天に還たい…だが、我を観測者だと認識できる者はもういない。我の居場所は、もう無いんだ」

「知ってるやつが一人だけいるよ」

「…そんな者はいない。いるなら早く目の前に連れてきてくれ」

「もう目の前にいる。…俺だ。自称観測者の独白を聞いた俺が、あなたが観測者である証人だ!」


 俺は、血に濡れた手で懐からあの書を取り出す。


 《封結術録》。


 その中に記されていた、ただ一つの術。


 『目の前の存在と絆を繋ぐ術』。


 俺はこれを召喚の契約だと解釈した。だが、これは通常の召喚とは違う。この術は対象を呼び出すのではなく、目の前の存在を“召喚対象”とし、絆を結ぶものだ。


 記録された術式の中でも、明らかに異質なもの。表向きは「絆」などと言っているが、実際は術者の命を削り、強制的に契約を結ぶ禁術だ。


 けれど、そんなものをそのまま使う気はない。


 俺は術式を書き換える。今までの知識を総動員して、契約の仕組みそのものや、魔術紋を作り変える。


 かつての王のように、力で縛ることはしない。


「今のままじゃお前は、いつか誰かに殺される。そんなの、間違ってる」


 俺は血の滲む指先で、魔術紋を描き、詠唱を紡ぐ。


「我が魂よ、共鳴せよ。

 呼びかけに応じし者よ。

 己の理を越え、我と契約せよ。

 心の深層に触れるは、刹那の共振。

 言葉は不要、ただ願え。

 縒り合わん、運命の環。

 滲み出す絆よ、今こそ形を成せ。」

縁環(えんかん)紡結(ぼうけつ)


 魔術紋から風が吹き荒れ、発光し、ラズの影を包み込む。


「手を取ってくれ、ラズ!」


 それはまるで、暴れ狂う魂を静かに抱きしめるような光だった。悲しみも、怒りも、憎しみも、すべてを認めた上で、共に生きようとする力。


 ラズは、かすかに目を見開いた。


「お前も…我を利用するのか……?」


 その問いに怒りや悲しみは含まれておらず、少しの疑念と淡い期待が込められてるように思えた。


「あなたの力は使わない。あなたが観測者に戻るまで、俺のことをずっと見ていてほしいだけ」

「…どうやって信じろと…」

「あなたを裏切った時、俺を殺してくれて構わない。だから、信じてほしい…!」


 数瞬の間。


 触手のような影の腕がおそるおそる俺の手を握り、その瞬間。重くのしかかっていた瘴気が静かに消え、空気が澄んでいく。


 そして、広間の中心に残されたのは、漆黒の外套を纏った人の形をした存在。ラズ・アル=ナクタム。


 だが、彼の瞳には、ほんのわずかな色が戻っていた。その色は、かつての姿を思わせる黄金に輝いていた。


「……わかった。お前の行く末を見せてくれ。だが……我はラズ・アル=ナクタム。ラズ・アル=サフルには、まだ戻れぬ」


 こうしてラズは俺の召喚獣のなったが、彼を召喚することはないだろう。彼にはさっきも言ったように俺の行く末を見守ってもらう。


 そしてラズ・アル=サフルに戻れた時には出てきてもらおう。そう考え、俺は静かに息をついた。

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