30.体を裂け、魂を削れ
吐血を繰り返す体に、重度の倦怠感。それに魔力を使い切った時の様な疲労感と体に異物が流れ込んでくるような嫌悪感が体を支配する。
だが魔物達はそんなことお構いなしにどんどん集まってくる。
「日向丸!ノワ!俺たちを守ってくれ!」
日向丸とそれに同期したノワを出し魔法壁で魔物を押し留めてもらっているが、それもいつまで持つかわからない。
喉の奥が焼ける。胃が捻じ曲がる。呼吸一つが、毒を吸うかのように痛い。
喉を通る空気が毒のようで、吸い込むたびに胸が軋む。体の奥底から拒絶の警鐘が鳴り響き、魔素の奔流が血管を逆流しているような錯覚に襲われる。
それでも、進まなければいけなかった。
目の前でノワと日向丸が必死に結界を維持してくれている。壁越しに叩きつけられる魔物の咆哮と衝撃。そのたびに空気が震え、砂が跳ね、肺の奥まで魔素が入り込んでくる。
咳き込む。血が混じる。
「透真!これは多分っ、高濃度の魔素に慣れる前のっ…ごほっ、副作用だっ!きっと慣れる!」
静奈の声が遠くに聞こえる。
これが副作用…。立っているのがやっとだ。膝は震えているし、頭はガンガンする。魔力の通り道が逆流しているようで、体の芯が痺れている。
魔素が濃すぎて、ここに存在するだけで人間の形が壊れていく。ただ歩くだけでも全身の細胞が悲鳴を上げ、拒絶しているのがわかる。
再び激しい咳と吐血、眩暈。意識が遠のきかけるが、咄嗟に刀を杖代わりにして踏みとどまる。
燈華が背を預けるように支えてくれた。
「主殿……今は無理せず、時間を稼ぎましょう」
俺は弱く頷いた。
内臓が裏返るような吐き気が、一瞬、視界を白く染めた。
力を込めた足が砂に沈み、膝をつきかける。頭の芯が揺れる。魔素はまだ俺の体に完全には馴染んでいない。
だが、休息する暇は与えられなかった。
バンッ!
空気を打ち破るような衝撃音。日向丸とノワの結界、その一部が強引に突き破られた。
「正面!一体抜けてきます!」
燈華の声と同時に、獣のような影が飛び出す。
まるで蛇のように細長く、だが四肢を持ち、肉のうねりが露わな異形。既に常識が通じる存在ではなさそうだ。
息が、詰まる。
体が魔素の流入を拒否し、魔力の流れが滞る。右腕の先が痺れ、刀の感覚が遠のいていく。
「透真!下がってろ!」
俺と同じ状況のはずの静奈が叫び、俺の前へと飛び込んできた。
まともに雷を纏えていない大剣が振るわれるが、魔物は鋭い爪で受け止め、そのまま静奈を押し返す。雷が散り、土煙が舞う。
「くそ、力が入らねぇ…」
すぐに体勢を立て直そうとする静奈。だが、それよりも先に魔物の尾がしなって迫る。
「……静奈!」
自らを鼓舞し、無理やりに足を動かす。尾の一撃を受け止め、躓きながら不恰好に魔物の前に立つ、
魔物の爪が静奈に迫る直前で刀を滑り込ませ、鍔迫り合い状態になるが、絶えず血は流れ、うまく体に力が入らない。
「うぐっ、ごほぁっ…」
脚が動かない。息を吸うたび、喉が焼ける。内臓が暴れ、視界がぐにゃりと歪む。
それでも一歩。二歩と、身体強化で無理やり筋力を補い押し返していく。
「影に溶けよ……意識を乱せ…幽欺ッ!」
魔物が明後日の方を見た瞬間、横から叫び声と共に大剣が振るわれ、骨ごと断ち切った。
深呼吸をすると、喉が焼けるように熱いが、さっきよりはましになってきた様な気がする。
魔素の濃度は相変わらず異常だ。体内に流れ込むそれを、俺の肉体は完全には受け入れていない。けれど、少しだけ変化があった。
胸を締めつけていた重苦しさが、ほんのわずかに和らいでいる。血管を逆流するような異物感も、鈍くなっていた。
「……透真、顔色が少しマシになったな」
静奈が、額に汗が浮かべながらも、少し余裕を取り戻したように言う。
俺は静かに頷く。
「……少しずつ体が魔素に慣れてきた、かも?」
「あたしもだ…。でも油断するなよ。高濃度の魔素による副作用がどんなもんかは未知の領域だ…」
静奈は腹部あたりを抑えながらふらふらと立ち上がる。顔には吐血の際についた血がべっとりとついていた。
ラーヴェンを呼んで回復をしてもらおうとも考えたが、魔素に順応している様な感覚は、抗体を作る様なものに似ているかもと考えていた。
最初は猛烈に苦しい。命に関わる。けれど、時間をかけて、戦って、魔力を動かしていくうちに、体の奥深くにある「何か」が、少しずつ対応を始めていく。
骨の奥で、筋肉の中で、血液の流れが変わっていく。
そんな中で回復してしまえば、ようやく出来かかった抗体を無駄にしてしまうのではないかと思い、ラーヴェンの召喚を控える。
砂の向こう、またしても魔物の気配。日向丸とノワの結界が軋み、警告音のように光を弾く。
力を込めて立ち上がる。ふらつきはあるがさっきよりは確かに動ける。
燈華もすっと刀を抜き、背後を固めてくれる。
次に抜けてきた魔物は、飛行する甲殻獣だった。
空を裂く音と共に、翼のある巨大な虫が降下してくる。複眼が光り、地を這うような咆哮が耳にまとわりついた。
「上から来ます!」
「ノワ!上部を優先して展開!」
ノワが反転し魔法壁を天に伸ばす。しかし、魔素に満ちた空間では魔法壁の密度も不安定だったのか、羽音に乗った衝撃が壁を打ち砕き、甲殻獣が降り立つ。
俺たちの前に、鋭利な脚と堅牢な殻。少し前の俺たちなら手こずるのは必至。
だが今は体がほんのわずかに馴染んできている。
皮膚を裂いて流れ込んでくるようだった魔素の奔流。それが、血液のように馴染んで流れる感覚へと変わりつつある。
重くのしかかっていた魔力の澱も、今は芯の奥でゆっくりと渦を巻いているだけだ。
「……いける。これなら動ける!」
刀を構える。腕の痺れはあるが明らかに力が入る。
「燈華、左から回ってくれ。俺が囮になる」
「無理は、禁物です」
「わかってる」
呼吸を合わせ、走る。甲殻獣の鎌が振るわれる。風を裂く軌道を紙一重でかわし、前進。
斬撃。殻を弾く感触。だが、その硬さは把握した。
「静奈!」
「任せな!」
俺の一撃で注意を引きつけた隙に、静奈が雷光の奔流をまとって背後から突き刺した。雷撃が装甲の隙間から内部を焦がし、甲殻獣が崩れるように倒れ込む。
膝をつく。だが、もう吐き気はこない。体が魔素を、拒まなくなってきている。
「まだまだ来るぞ!」
静奈がそう言った直後、三体目が姿を現した。
四つ足の猛獣、クレイヴァー・ウルムだ。黒く濁った毛並みに、眼は六つ。魔素が凝縮しているのが視覚で感じ取れるほどだった。
猛獣の咆哮で空間が揺れる。
「燈華!もう一度帳を発動する!静奈!しばらく一人で耐えてくれ!」
「かしこまりました!」
「任せろ!」
クレイヴァー・ウルムと対峙していた燈華は瞬時に俺の隣に飛んでくるとともに詠唱を開始する。
「識を惑わすは、白霧の帳
見よ、此処に在るものは形に非ず
影に非ず、虚にして実、実にして幻
仮象を実象へ、現象を虚構へ」
最初に発動した時と状況は全く違う。全方位魔物に囲まれた状態で大技を使う。しかも燈華が戦線を離脱した事で静奈は大型の魔物に囲まれている。
失敗を許されない。確実に、正確に、素早く詠唱を終わらせなけれならない。
「いま一度、真実の皮を剥ぎ
知覚の王座を我が手に取り戻す
我は紡ぐ、欺きの地平」
陣の線が淡い白光を帯び始め、俺が詠唱を終えると共に燈華の詠唱も完了する。急ぎ目に行った詠唱に燈華もしっかり合わせてくれたようだ。
「《幻域・無垢の帳》!」
魔物の足元に広がった魔術紋が発光を始め、その白霧が魔物を覆い尽くす。
「きたきたボーナスタイム!」
静奈は完全に高濃度魔素に馴染んだのか、炎と雷を駆使しつつ、自慢の大剣を振り回し、急速に殲滅していく。
それでも、周りの味方が死んでいることに気が付かない魔物は今までの下方が嘘の様にあっという間に掃討された。




