28.暁に挑む
携帯のアラームが鳴り響く。もぞもぞと布団から這い出てうるさいアラームを止める。外を見れば未だ夜の帳が降りていた。
まだ眠りたいとベッドを求める体に鞭を打ち、背伸びをして無理から体を起こす。
寝癖をさっと直し廊下に出ると、朝食のいい匂いが鼻腔をくすぐる。火野隊員が朝食をとっているのだろうと思い、食堂まで向かうと、予想を超える豪華な朝食を取る火野隊員が見えた。
「おう!おはよう」
「おはよう。すごい豪華な朝食だね」
テーブルの中央には、蒸気をふわりと立ち上らせる土鍋の味噌汁。豆腐、わかめ、季節の山菜が浮かび、柚子皮がほんのり香る。
その隣には、黄金色に焼き上げられた銀鱈の西京焼き。脂がじゅわりと滲み、箸を入れれば身がほろりとほぐれ、食欲を誘う一品だ。
小鉢には、だし巻き卵。幾重にも巻かれた卵はふんわりと柔らかな食感が楽しめそうだ。
炊きたての白米は、粒が立ち、艶やかだ。
さらに、漬物の盛り合わせには、柴漬け、たくあん、浅漬けの胡瓜が色彩を添える。
最後に、湯呑みに注がれた熱い緑茶が、ゆっくりと立ち上る湯気の中で、すべての味を締めくくる準備をしていた。
ひとつひとつが丁寧に作られた、滋味深くも贅沢な和の朝餉。それはただの食事ではなく、これから敵を薙ぎ倒すための静かな儀式のようだった。
「透真のぶんもあるぞ」
「え!ほんとに!!?」
急いでキッチンに向かうと、テーブルに並べられた食事と同じものが湯気をあげ、俺に食べられるのを待っていた。
急いでお盆に移し、火野隊員の前に持っていく。
「いただきます!」
「あいよ〜」
まずは好物のだし巻き卵からいただく。
口に入れた瞬間、出汁の旨みと砂糖の甘みが一気に押し寄せてくる。
「うんまっ!!火野隊員和食も作れるんだね」
「静奈でいいし、そんな気に入ったならまた作ってやるよ」
「まじか!じゃあ生きて帰ってこないとな」
「おい今どきそんなコテコテなフラグ建てるやついねぇぞ?」
二人で笑いながら朝食をとるが、お互いの間には緊張感が漂っている。 食事の終わりが近づくにつれて、室内の空気が少しずつ変わっていく。
湯呑みに残った緑茶を飲み干す音が、妙に大きく響いた。
静奈がふっと目を細め、静かに呟く。
「……出発まで、あと三十分か」
「そうだね…」
茶碗を置き、箸を畳む。胸の奥に、重たく沈むような緊張が広がっていく。
任務が始まればもう後戻りはできない。撤退の選択肢すらない、帰還を許されない命令。冗談のような命令文は、本当にそのまま現実になろうとしている。
「……こんなに静かであったかい朝なんて、久々だな」
静奈がぽつりと漏らす。頷きながら、俺も同じことを思っていた。
戦いの日の朝は、いつも無機質で乾いている。冷えた空気、張り詰めた声、誰も笑わない食卓。だけど、今日は少し違った。
笑って、冗談を言って、美味しい朝飯を一緒に食べた。それが、もしかしたら最後になるかもしれないからこそ。
「そろそろ、時間だね」
「あぁ。あたしはもう覚悟は決まってるぜ」
「うん、俺もだ」
そう言った瞬間、自分でも驚くほど強く、心が決まっていた。
食堂を出ると、まだ薄暗い外の空気が肌を刺した。
その冷たさが、戦場へと向かう体と心を、確かに現実へ引き戻していく。
命令はただひとつ。
「奪還するまで、帰ってくるな」
その言葉を胸に刻みながら、俺たちは戦場へと歩を進めた。
無愛想な門衛に挨拶をし、門を出る。
夜明け前の空は深い群青に染まり、遠く地平の端にようやく微かな朱が滲んでいる。東の空に朝が近づいていることを、かろうじて知らせるその光が、今の俺たちの行く末を示すかのようだった。
砂を踏む音が、耳の奥にじわじわと染みていく。
夜明け前の冷たい空気の中、俺たちは無言で砂丘を進んでいた。隊員は俺と燈華、そして静奈の三名で全員が徒歩。
帰ることの許されない任務のため、装備はかなり重く、砂の上を歩くというだけで体力の消耗は倍増する。だが研修時代に体験した行軍に比べれば、帰らないことを除けばまだマシだと思えた。
目的地は砂丘の奥地。組織内でもまともに名前のつかない、半ば捨てられたような場所。だがそこには今、確かな謎が存在している。
「風、強くなってきたな」
先頭を行く静奈が呟く。黒髪が風に煽られてふわりと靡いた。
「ああ…心なしか苦しくなってきた様な気もする…」
「ペース落ちてるぞ」
「悪い、足が……ちょっと砂に慣れなくて」
歩きにくい砂丘。足を踏み出せば崩れ、ずるりと滑って次の一歩が遅れる。けれど、歩みは止めない。止めることは許されない。
誰もが黙ったまま、砂を踏み続けた。
やがて、風が一段と強くなる。砂粒が頬を打ち、喉が焼けつくような空気に変わっていく。
異常だ。風に乗って混ざっている。濃い魔素の粒子。
魔素というものを感じたことがない俺でも感知できるほどに、空気が変質していた。
「見ろ」
静奈が、足を止める。指で前方を指し示す。
砂丘の向こう、低く広がる窪地に、巨大な影が蠢いていた。
魔物だ。
大小様々な影が、砂の上を這いずるように動いている。獣のような四足、無数の脚を持つ蟲型、骨が剥き出しの鳥類のようなものまで。
一見して、明らかに異常な集まり。
魔物たちが、本能のままに同じ場所へ集まり、地脈を侵食している。それが、今の鳥取砂丘だった。
「……数、思ってたより多くない?」
「あぁ。透真が一回目の任務で結構倒してたのに、そこからさらに増えてそうだな…」
やはり、濃い霧の様な者ではっきり見えないが、あの奥には何か秘密があるという確信が芽生える。
「まずあたしがでかいのぶっぱなす。それが作戦開始の合図だ」
「了解」
静奈が大剣の柄を握り、俺は《幻域・無垢の帳》の準備を始め、威力を上げるためにノワを呼び出す。
燈華がふわりと砂に足をつけ、俺の隣に並んだ。
「主殿。昨日の要領でやれば必ず、できます」
「うん。燈華とならきっとできる」
息を吐く。
隣で静奈が雷魔法の詠唱を始め、それに合わせてこちらも詠唱を開始した。
意識を燈華と同期させる様に集中する。
「識を惑わすは、白霧の帳
見よ、此処に在るものは形に非ず
影に非ず、虚にして実、実にして幻
仮象を実象へ、現象を虚構へ」
俺の足元から淡い光が滲み出す。
それは砂の上にじわりと染みるように広がり、複雑な幾何学を描いていく。
中心から螺旋状に編まれる線は、やがて交差し、円を重ね、星形を編み、知らぬ言語のような文様へと姿を変えていく。砂漠の上に刻まれる巨大な陣。その規模は、瞬く間に魔物の群れの足元にまで広がっていった。
風に揺れる砂をものともせず、魔術紋は地を這うように進行する。生き物のように蠢きながら、静かに、確実に、空間の構造そのものに干渉する様に構成していく。
俺が作る魔術紋に絡み合うように、燈華が作り出す炎の様な魔力が迸る(ほとばしる)。
「いま一度、真実の皮を剥ぎ
知覚の王座を我が手に取り戻す
我は紡ぐ、欺きの地平」
やがて紋が完成したと同時に、陣の線が淡い白光を帯び始め、俺が詠唱を終えると共に燈華の詠唱も完了する。
「《幻域・無垢の帳》」
砂の地面に描かれた魔術紋から、まるで霧が滲み出すように白く淡い帳が立ち上がる。
それはただの視覚現象ではない。世界の認識そのものを覆す、幻の幕。
音もなく、気配もなく、魔物たちの足元から広がる白霧。
それが魔術紋の形をなぞるように広がっていく。
四足の魔物が不意に足を止める。蟲型の個体が、進行方向を見失ったようにその場で身を揺らす。鳥の骨格をした魔物が、虚空に向かって羽ばたきを繰り返す。
すでに彼らの感覚は帳の中。
見えているはずの仲間を見失い、聞こえるはずの音を聞き違え、匂いの方向すら誤認する。
無垢の帳の発動に合わせる様に、隣で静奈が雷魔法の詠唱を終わらせた。
「雷穿・迦具土ノ鎖!」
静奈の足元に円形の魔法陣が出現し、そこから青白い電光がじわじわと走る。空へと伸びた数本の光の柱が、雷雲を引き寄せ、雲の中心で脈動する雷が、まるで呼吸するように膨張。
その瞬間、雷光の鎖が大地に突き刺さる。
一発、また一発。雷撃は命中するたびに分岐、連鎖し、群れを走るように次々と敵を焼き焦がす。
無垢の帳で幻覚を見る魔物達に、この攻撃を避ける術はない。
大地が焼け、空気が振動し、視界が白く染まる。
静奈が大剣を掲げ、俺は刀を抜刀する。
「突撃だぁぁぁぁぁ!!!!」




