2.魔法がなくても
教室に入っても、誰一人として俺に声をかけてくる者はいなかった。
雑多な喧騒に包まれる中、俺の存在だけが、そこにないかのようにすり抜けていく。
いつも通りの光の当たらない教室。
別に嫌われているわけじゃない。正確には、興味すら持たれていない。
最初は何人か話しかけてくれる奴もいた。だけど、時が経つにつれてみんな自然と離れていった。俺といても得るものが何もない。ただそれだけの理由で。
俺は、五大魔法といわれる(火・水・風・雷・氷)のどれにも適性がない。発動しようと魔法陣を展開しても、魔力が漏れ出るだけで何も起こらない。
そんな俺に「ああ、ダメなやつか」と皆が見切りをつけていくのは、時間の問題だった。
もし魔法の存在しない普通の時代に生まれていたら、もっと平凡な学生生活を送れていたのだろうかなんて、何度思ったことか。
けれど、この世界は悲しいくらいに実力主義だ。
魔力こそが価値を決め、魔法こそが人間の評価を左右する。そんな世界で、俺は間違って魔法が全てな学校に来てしまった。それだけの話。
そんなことを考えているうちに、チャイムが鳴った。
前髪が顔の半分以上を隠した陰鬱な担任が教室に入ってきて、ぼそぼそとした声で連絡事項を伝える。今日の一限目は体育。しかも、剣技だという。
「ったく、一時間目からだるいわぁ」
「魔法で戦うのに剣とか、意味なくね?」
クラスのあちこちから不満の声が上がる。実際、魔法があれば、接近戦なんて必要ない。遠距離から一発の火球で済むなら、剣を振る理由なんてないのだから。
でも、俺にはそれしかなかった。
魔法で勝てない分、剣技だけでも努力で点を稼ぐしかない。誰も見ていなくても、認められなくても、ただ黙々と動きを繰り返してきた。
「ま、俺には必要な授業だしな」
みんなが着替えを終えて教室から出ていくのを見て、俺も腰を上げたその時。
「あ、あのっ……天ヶ瀬くん!」
振り返ると、そこには栗色の髪を指先でいじりながら立ち尽くす愛月さんの姿があった。
目を合わせるのも精一杯、といった様子で、それでも彼女は必死に言葉を続ける。
「次の授業、剣技……だよね?あの、もしよかったら、私とペア組んでくれないかな……。その……教えてほしいの」
え?
久しぶりすぎる誰かに話しかけられるという行為に、俺の脳は一瞬フリーズした。
愛月さんといえば、剣技でも魔法でも安定して成績上位にいる優等生だったはずだ。なのに、どうしてわざわざ俺に?
「えっと……どうして俺が?」
「その、実践型の構えとか動き……私あまり得意じゃなくて。前の授業で偶然天ヶ瀬くんの所作を見たとき、すごく綺麗だなって思って……。あの、変な意味じゃなくて!」
少しずつ頬を赤らめながら、彼女はペースの早い呼吸で言葉を並べる。
なるほどな。
魔法が苦手なぶん、剣技だけは真面目に取り組んできた。それがこんな形で人の目に映っていたなんて。なんだか、ちょっとだけ救われた気がした。
「うん、俺でよければ喜んで」
「ほんとに?ありがとうっ!」
この日の授業をいつもの何倍も頑張っていたのは、言うまでもない。
放課後。クラスメイトたちが部活や遊びの話に花を咲かせる中、俺はひとり、そそくさと家路につく。
この時間が、一番つらい。
背中に刺さる笑い声。追いかけてくれる誰かもいない現実。でも、俺にはやることがある。
今日もまた、召喚術の練習だ。
部屋に入り、手早く魔方陣を描き、教科書通りの祝詞を唱える。
「我が名を持ちて汝を呼ぶ。今ここに現れよ」
魔方陣が淡く光り、空気が一瞬だけ揺れる。やがて「シュンッ」という音とともに、中央に何かが現れはじめた。
期待と不安が胸をよぎる。
「……また、これかよ」
光の中に転がっていたのは、見慣れたただのペットボトル。
床に膝をついたまま、思わず叫ぶ。
「くっそぉぉ!」
何度やっても結果は同じ。出てくるのは、ゴミばかり。
それでも諦めきれずに魔方陣を見直し、祝詞を再確認し、参考書に目を通す。角度、描線、言葉、間違いはどこにもない。
それなのに、成功しない。
「もう、どこまでやればいいんだよ……!」
召喚術に関する本は、読み尽くした。教師にも何度も相談した。それでも、答えは出ない。
「……もしかして、誰も正しい方法を知らないんじゃないか?」
この日本で、召喚術を使える人間は俺だけだ。つまり、俺以外、誰もその術を知らない。
教えも導きもない。俺は真っ暗な森の中手探りで進んでいる様なもんだ。
「もういっそ……異世界行くか……?」
口にして、すぐに否定した。
異世界は遊び場じゃない。休日にふらっと行けるような安全地帯でもない。
「頼むよ、ご先祖さん……。なんかヒントだけでも……」
ベッドに倒れ込み、天井を仰ぎながら、俺は心の底から願っていた。
この無力の先に、何かがあると。