17.影を焼く紅蓮の刃
駆け寄る間も、声を上げる間もなく拳が振り下ろされ、咆哮とともに、巨獣の拳が振り下ろされた。
地面が軋み、爆発のような衝撃があたり一帯を包む。土砂が跳ね上がり、視界は一瞬にして濃密な砂煙に閉ざされた。
「こ、こばしくん…!」
「小橋ぃ!!!」
仲間の名を叫ぶ声が、微かにかき消される。衝撃の中心。そこにいたはずの仲間の姿は見えないが、拳は確かにその場所を叩き潰していた。
回避できなかったのか。誰もがそう思ったまさにその時。ふわりと風が流れた。
それは自然の風ではない。確かに意志を持った、鋭く、温かい風だった。
舞い上がっていた砂煙が、斬り裂かれるように散る。そこに現れたのは首根っこを掴まれ顔面蒼白の小橋君と、それを掴む、金髪を靡かせる女性。藤原教官だった。
「その慢心が己の命を危険にさらすと、身をもって実感できて良かったな」
その手には風を纏った、教官の身長を優に超える巨大なハルバードがあった。
黒鉄のような重厚な質感に、淡く光るエメラルドグリーンのライン。それはまるで軍用兵器のような無骨さと、魔導機械のような冷たさを併せ持っていた。
斧部分は鋭く尖り、風を裂くために設計されたかのような多層構造。
槍先は鋭く、しかし根元にある複数のノズルがかすかに蒸気を吐き出している。
柄の部分には風を表す古代ルーンが刻まれており、魔力が流れるたびに脈打つように光が走る。
砂塵の中、その光はあまりにも鮮烈だった。
「危険と判断すれば私も参戦する。早いとこ、このオーガと図体だけでかい亀を倒してしまおう」
『前衛は魔法隊と挟撃すように立ち位置を変えろ。ケリをつける』
「「了解!」」」
俺たちはまだ未熟なうえ、突然始まった実践に複数の魔物との戦闘で疲れが見え隠れしている。
ぎこちない足運び、無駄に力の入った構え。けれど、目の前の敵を打ち倒すべく、全員が前を見据えていた。
「各班、交戦位置につけ!焦るな、魔法隊の支援をうまく利用して立ち回れ!」
後方から藤原教官が叫ぶ。その瞬間だった。
クラッグ・オーガとグランドロスが突撃を開始。地を蹴り、怒涛の勢いで前衛に殺到する。
「くっ……っ!」
一人が体勢を崩し、もう一人がそれを支える。小隊の列が乱れかけた、その時。
『魔法用意っ!撃てぇぇ!!』
後方から放たれた魔法が、まるで俺たちを守るようかのに飛来した。
雷槍、氷鎖、熾炎弾……次々に降り注ぐ魔法の砲火が、魔物たちのがら空きの背中目掛けて襲い掛かる。
「今がチャンスだ!!挟み込め!!」
藤原教官の叫びに応じて、俺達は一斉に動いた。
左翼、右翼。互いに呼吸を合わせ、ぎこちないながらも挟撃の形を成していく。
だが、教官の声が飛ぶより早く、クラッグ・オーガは拳を振りかぶった。その一撃が、真嶋君の頭上へ振り下ろされる。
轟音と土煙。仲間の悲鳴が上がる、が。
「まだだっ……!」
拳の下、かろうじて防いだ盾。その隣で、別の隊員が風の魔法を展開し拳の軌道を逸らしダメージを緩和させていた。
「 俺がこいつを止める!その間に!!」
「 関節部を凍らせろ!足を止めるんだ!」
混乱しながらも、誰かが自然と指示を出す。誰かがそれに応える。
バラバラだった彼らの動きが、少しずつ連携の名を帯び始めていた。
後方から魔法隊の支援攻撃と、近距離での魔法と斬撃に、クラッグ・オーガは手も足も出ない状態だった。
誰かの風の刃がクラッグ・オーガの太ももに傷をつける。その傷を目掛け剣を突きさし、ぐちゅりと肉を絶つ感触が手に伝わる。剣を引き抜き、続け様に剣を振るい、アキレス腱を絶つ。
立つための支柱を失ったクラッグ・オーガは膝をつき、頭を垂らす。
「今だ、やれぇぇッ!!」
俺の叫びに呼応するように飛び込んだのは、小橋君だ。
ぎこちない踏み込み。しかし、その一撃は首を両断し、クラッグ・オーガは活動をやめた。
「まだ一体倒しただけだ!戦闘は続いている!仲間を殺したくなければ一秒も気を抜くな!!」
一体倒したことで気を抜きかけた時、藤原教官の激でハッとする。周りを見渡せばあと一体のクラッグ・オーガと二体のグランドロスが、いまだ仲間と戦闘を続けていた。
近くのグランドロスと相対する。噛みつき攻撃を回避し側面へ飛び込む。攻撃に転じようとした時、誰かが叫んだ。
「だめだ! 正面からじゃ剣が通らない!」
しかしすでに振り下ろされたその剣は無残にも音を立てて弾かれた。
直後、グランドロスの巨体がゆっくりと回転する。その動きだけで、地面が揺れ、土砂が巻き上がった。
回転とともに叩きつけられた尾の一撃。鈍重なはずの動きは、近づいていた俺にとっては避けきれない速さだった。
死を覚悟したその時、俺とグランドロス尾の間に誰かが入り込むのが見えた。盾を構え身を挺して守ってくれたようだが、圧倒的質量の前に踏ん張り切れずに、俺を巻き込んで吹き飛ぶ。
「くそっ。耐えれると思ったけど無理があったか…」
「真嶋君!」
口から血を流し腹を抑え、重大なけがを負ったのは火を見るより明らかだった。
「俺は頑丈なのが取り柄だからな…。それにお前に教えてもらった身体強化で致命傷にはなってねぇよっ…ごほっ」
「ご、ごめん真嶋君。俺のせいで…」
「いい、お前はあっちに集中しろ! 覚えてねえけどどっかに弱点はあるって言ってたはずだ…」
グランドロスを見やると、ゆっくりとだが確実に魔法隊の方向へと進路を変え始めた。
「まずい、魔法隊まで届いたら……!」
その時だった。
「そうだ……! 背中にある魔素の噴出口!」
弱点に気づき叫んだ時にはすでに赤城君が岩のような甲羅に取り付き、無理やり登攀していた。
グランドロスはゆっくりと回転しながらも、彼を振り落とすように体を揺らしている。
「一人でいっちゃだめだ!それ以上は危ない!」
俺の叫びも届かず、足場は不安定を剣を背中に括りつけて、なんとか裂け目まで辿り着こうとしていた。
その時、甲羅の起伏の激しい段差に片足を取られ、赤城君の体が宙に浮き、背中から滑り落ちる。地面までは十数メートル。直撃すれば、骨が砕けるのは間違いなかった。
「やっべ!!」
ほとんど反射的にグランドロスの甲羅へ駆け出していた。無謀とも言える勢いでよじ登り、滑り落ちる赤城君のをガシリと掴む。
「…うぇ、うぇい~…」
「焦らないで!慎重に、二人で行こう!」
なんとか体勢を立て直すが、掴んだ腕が軋み、ごつごつした甲羅が足に傷をつける。それでも絶対に互いを離さなかった。
今度は2人で、山のような甲羅を登る。一人では届かなかった場所へ、二人で肩を貸し合い、お互いを踏み場にし、ようやく裂け目に到達する。
「ここだ……ッ!」
剣を抜き、二人で一気に突き刺そうとするも、より一層俺たちを振り落とそうと暴れまくり、まともに立っていられない。近くの突起につかまって耐えるが、攻撃に転じることができない。
グランドロスの背中のうえで固まっていると、視界の端に何かを捉える。それをよく見れば火炎魔法で推進力を保ちながらこちらに飛んでくるシャドーレイン君だった。
「!?」
微かに何か言っているのが聞こえ耳を澄ます。
「…すべての影を焼き払……声は導火…熾天の名の」
「紅蓮葬塵の詠唱!?」
第五等尉魔法・紅蓮葬塵。火炎系の魔法の中でも発動するのが特に難しい魔法の詠唱を行いながら無詠唱の魔法を使うという、ぶっ飛んだ技巧を見せつけながらこちらに飛来する。
グランドロスもそれを脅威と受け取ったのか、噴出口から魔素を噴出し何とか抵抗。直撃するがシャドーレイン君は円錐形に魔法壁を発動し勢いを殺さずに着地すると同時に詠唱を完了させ、噴出口目掛けて発動する。
「紅蓮葬塵ッッ!!!!!」
グランドロスも噴出口を閉じるが、一歩遅い。閉じたことで紅蓮葬塵の威力を体に閉じ込める形となる。
ぼんっと内側から弾ける音とともにグランドロスはドスンとその質量を地に押し付け、活動を停止した。
甲羅のうえから辺りを見回すと他の魔物もすべて倒し終わっていた。緊張から解き放たれ全身傷だらけのまま、ごろんとその場に寝転がった。
「……死ぬかと思った」
「赤城君無茶しすぎ」
「まじさぁせん。でも勝ててよかったぁ~!てか紫藤君すごすぎんだけどなにあれ!?」
「ふんっ、我に掛かればこんなもの、赤子の手をひねるようなものだ」
随分とカッコつけてはいるが膝がぶるっぶるに震えているのを俺は見逃さなかった。それほどの恐怖を押しのけて助けに来てくれたのだろう。
「でもめっちゃ膝震えててウケる!」
この空気の読めない男は、爆笑しながらばちばちと手を叩く。シャドーレイン君も赤面しちゃってるよ可哀そうに。
「でもほんと、みんな生きてて良かったぁ」