16.火蓋は熱波とともに
「戦いの基本は先制攻撃だ。覚えておけ」
空気が震えた。足元の大地がびりびりと痺れるように揺れ、空気が圧縮されるような感覚が広がる。
「赫灼天衝!」
灼熱の奔流が天を焦がす。 轟々と燃え盛る火柱が、雷鳴のような爆音とともに敵陣へと突き進んだ。空気そのものが燃え上がる熱波に、周囲の草木が瞬時に炭と化していく。
遅れて響く爆発音、吹き飛ぶ土煙。焼け焦げた大地に、崩れ落ちる黒い影。
残った灰の中から、何かが動いた。
「多少削っただけだ!各自油断するなよ!」
戦場は再び、緊張に包まれた。双眼鏡を構えていた眼鏡の真面目そうな教官、森田誠教官が告げる。
「榊原教官、敵は横並びです。前衛に、ゲルファクト。中衛にミレイゼア…?後衛が、クラッグオーガにグランドロス!?やつら陣形を組んでいる可能性がありますっ…!」
『敵は横陣だ。前衛は鶴翼の陣。横隊のまま魔法隊は己が持つ最大威力の魔法の詠唱を開始』
「「了解」」
号令とともに陣を移動させ、後ろの魔法隊は魔法の詠唱を開始する。俺たち前衛は、陣形を変えながら魔物が変な動きをしないか前方を注視する。
地鳴りが、止まらない。
視界の先、およそ二百メートル。砂塵を巻き上げながら、魔物の群れがこちらに迫ってくる。
並びは恐ろしいほど整っていた。まるで訓練された兵のように、縦横の列を保ち、無駄のない動きで進んでくる。
あれを、正面から受けるのか。
こちらも陣形を完成させ、盾を前に、剣の柄を握りしめる。後衛の魔法使い達が、焦りと緊張で正確な詠唱を唱えられずに最初から始める声があちこちから聞こえる。
『魔法部隊は落ち着いて詠唱を行え。まだ距離はある』
これは本物だ。訓練ではなかった。命を奪い、奪われる現実が、いま足音とともに迫っている。
心臓が、跳ねる。一度、二度。そのたびに胸の内側が膨らんで裂けそうになる。
魔物との戦闘経験はこの隊の中では多いほうだと自負している。いままでは無秩序に、個体ごとに動きまわっていたものを各個撃破していくという戦法が成り立っていたが、今目の前にいるのは統率の取れた大群。
手が汗で濡れて、武器がわずかに滑る。隣の兵士の肩が揺れているのがわかる程、その恐怖から荒い呼吸をしていた。
『魔法用意。標的はミレイゼア、クラッグオーガ及びグランドロス』
後衛の魔法の詠唱が完了する。
『撃てぇぇ!』
戦場の風に混じって数十人分の詠唱が重なり合う。
「雷槍!」
「氷鎖!」
「熾炎弾!」
陣を組んだ仲間たちが一斉に杖を掲げ、魔力を解き放つ。空気が震え、地鳴りのような音が響き渡る。雷の槍が大地を貫き、氷の鎖が宙を走り、灼熱の火球が幾筋も尾を引いて夜空を裂いた。
魔法が空を埋め尽くすその光景は、まるで星が地上に降り注いでいるようだった。
遠くの地平線。迫り来る黒い波が、閃光と爆音に包まれる。咆哮と悲鳴が混ざり合い、土煙が立ち昇る。
『後衛のみ詠唱を開始。中衛は詠唱なしの魔法を継続的に叩き込め』
教官の指示で後衛の仲間が次の詠唱を始めるが、敵もただでやられるはずもなく、ミレイゼアからの魔法攻撃が降りかかる。
「ぐぅっ…!」
盾を前に何とか踏ん張るが、これもいつまで耐えれるかわからない。
『敵は順調に数を減らしている。このまま訓練通りに進めれば問題ない。前衛は接敵に備え心の準備をしておけ』
その時、鶴翼の陣の先頭にいた小橋君が叫んだ。
『教官!敵の攻撃が前衛に集中してもう盾が持ちません!!』
『わかった。総員前進せよ。前衛の盾が壊れる前に接敵する』
教官の号令と共に、魔法隊は魔法壁を、前衛は盾を構えながら慎重に前へ進み、後衛の詠唱が終わるのを待つ。
『魔法用意。撃てぇ!』
先ほどと同様にいくつもの魔法が前方の魔物めがけて飛んでいく。
着弾し、砂煙が舞い上がる瞬間俺たちは一斉に飛び出す。
「うおおおおおおおおおお!」
あるものは、盾を構えたまま。あるものは簡単な魔法を放ちながら突き進む。
左翼先頭の小橋君が勇猛果敢に突撃し、魔物と接敵すると同時に魔物から血しぶきが上がる。他のみんなもそれに続くように雄たけびを上げながら己の武器を振るう。
『両翼は敵を挟み込む動きを優先し、ミレイゼアの魔法に注意しながらヒット&アウェイで攪乱しろ。魔法隊はクラッグオーガとグランドロスを中心に狙い、前衛が動きやすいように考えて狙え。お前たちの魔法が前衛の命を救うことを自覚して確殺の意思をもって魔法を行使しろ』
中央付近に居た俺も魔物の前衛、ゲルファクトを眼前にとらえていた。
それは、まるで実験室の廃棄物が勝手に動き出したかのような異形だった。地を這う淡青色の塊は、人の形も獣の形もしていない。
どこまでも曖昧で、明確な輪郭を持たないぬるりとした質量だけがゆっくりと這い寄ってくる。
表面はしっとりと濡れており、わずかに光を反射する粘膜質。だがその中を覗き込めば、ぼんやりと
脈動する黒い核が見える。ときおり、赤く滲む目玉のような球体が、見る者の方へと滑るように寄ってくる。
そして、ぬるりと伸びた半透明の“腕”が、何の前触れもなく振り下ろされた。水飛沫のように弾ける粘液と共に、重く鈍い衝撃が地面を叩いた。
刃を下げ、重心を落とす。相手はゆっくりとした速度で地を這っていたが、内部で核がが動いた瞬間、本能が警告を発した。
次の刹那、粘性の触手が爆ぜるように飛来する。
「速っ……!」
ギリギリで跳ね退き、刃を振るうが、切ったはずの触手はスライムのように形を崩し、すぐに再形成された。
構えなおすとゲルファクトの表面が波打つように蠢き、内部の核がするりと後方へ逃れ、それに追従する様に少し遅れてゲル状の体も動きだす。
核が先に動き出す性質があるというのは教科書通りだ。あとは核を何とか切ることができれば。
思案しているうちに横にいた別のゲルファクトが触手を伸ばしてくるのを身をかがめて躱し、立ち上がりざまに切り上げるが、相変わらず手ごたえがない。
ヒット&アウェイを繰り返す本隊に置いて行かれないよう少し後退する。
(効くかわからないが幽欺を発動してみるか)
対象が一体用の小さい魔術紋を浮かびあがらせ、横のゲルファクトを敵だと誤認するよう作用させ発動するが、一瞬横に触手を伸ばしたかと思うと、すぐさま対象を俺に切り替えたような動きを見せた。
人間より効きづらいが多少知覚機能があるようで、一秒の隙を作ることはできるようだ。
「一秒もあればっ」
勝機を見出し一歩踏み込む。近くの三体を対象に幽欺を発動し、後ろから攻撃される幻覚を見せる。
幻覚を見ているゲルファクト達は後ろのミレイゼアへ触手を伸ばし、弱点の核が丸見えとなる。
「ふっ!」
核目掛けて剣を振りぬく。ぬるりとした感触の奥で、「カンッ!」と硬質な何かが砕ける音がした。
ゲルファクトの全身が、びくん、と大きく跳ね、黒く濁った核がゆっくりとひび割れる。
中から濃い赤黒い液体がじわりと滲み出る。それに呼応するように、周囲を覆っていた粘液状の体も、ずるずると形を崩し始めた。
続けざまに幻覚から目を覚まし、こちらに反応する前に二体目の核も壊す。
三体目は目を覚ましこちらに触手を向けてくるが、それを切り落としているうちに近くにいた真嶋君が核を力任せの一撃で粉砕する。
「なんでかわかんないけど隙だらけだぜ!」
前衛の奮闘でゲルファクトはほぼ倒され、残るのは魔法を使う魔物、ミレイゼアと攻撃特化のクラッグ・オーガに鉄壁のグランドロス。
いずれも魔法隊の攻撃で瀕死となっていた。
戦況的には圧倒的にこちらが優勢で、数分前まで怯えていたのが嘘のように果敢に攻め立てる。
左翼の先頭で戦っていた小橋君がゲルファクトを倒した勢いで目の前のクラッグ・オーガにつめよるが、それは最悪の決断となる。
息絶えたと思っていたゲルファクトの触手が最後の力を振り絞るかのように小橋君へ這いより、足首を掴む。
想定外の死角から足を掴まれ、対処できないまま地に伏せる。
小橋君が怯えた顔で見上げ先には、腕を高々と振り上げるクラッグ・オーガの姿があった。