1.勇者が還ったその後で
初めまして。本日より投稿をしていきます。よろしくお願いいたします。
世界の終焉を阻止し、魔王を討ち果たした一人の勇者は、最後にたった一つの願いを選んだ。
「……元の世界に帰りたい」
その言葉と引き換えに設置された《帰還の扉》は、時空を超えて異世界と現代をつなぐ穴となった。本来ならば一瞬で閉じるはずだった扉は、勇者が遺した莫大な魔力量によって、未だ完全には閉じていない。
あれから百五十年。
現代の空気に混ざり、異世界の魔力《魔素》が静かに流れ込み、世界は変わり始めた。
街には魔法を操る者たちが現れ、現代はゆっくりと、かつて異世界と呼ばれた領域に近づきつつあった。
そんな中で、俺、天ヶ瀬 透真は、今日もまた、自分の無力さに打ちのめされていた。
「……召喚魔術、成功率ゼロ。マジでクソだな」
膝をついた床の上に、かすれた魔法陣が描かれている。空中に薄く魔素が舞っただけで、そこに現れたのはただの石ころ。
「なんで小石なんだよ……!」
握りしめた拳を床に落とす。痛みだけがリアルだった。
かつて勇者を異世界に呼び出したという、伝説の召喚術。その術師の先祖がありであると言われた俺に宿ったのは、皮肉にも、制御不能な召喚魔法だった。
母さん曰く、先祖は勇者召喚の代償として、五感と感情、そして致死量ギリギリの血液を捧げたらしい。今の時代に生まれてよかったと心から思うが……その代償の重さを思うと、ただただ胸が悪くなる。
「とはいえ、結果はこれだもんなぁ……」
魔法の才能があるといっても、万能ではない。火を操る者、風を纏う者、強化魔法で並外れた力を手にした者。そうした才能に溢れる奴らが、同じ高校生でありながら異世界の問題すら解決している中で、俺の魔法はまるで役に立たなかった。
だがその日を境に、俺の運命は音を立てて動き始める。
日課の召喚術の練習を終え、俺は学校に行く準備をする。
リビングからは、ベーコンの焼ける香ばしい匂いが漂ってきて、空っぽの胃が不満げに音を立てた。
階段を降りると、妹の沙羅がすでに朝食を取っていた。
「おはよ」
「はよー。今日の召喚はどうだったの?」
「うーん……昨日よりちょっと大きい石ころが出た」
「へー……ふーん」
興味があるのかないのか分からない返事のまま、彼女はスマホをいじり続ける。昔はもっと構ってくれたのにな。お兄ちゃん、ちょっと寂しいぞ。
「でもすごいじゃない。お母さん、魔法からっきしだしね。何もないところから何か出てくるってだけでも十分凄いと思うわ」
「ありがとう母さん。今日もいい匂いだ」
母さんがキッチンからベーコンエッグを運んでくる。我が家の定番、シンプルだけど最高の朝ごはん。黄身がとろりと崩れ、ベーコンの塩味がそこに溶け込む。一口食べるたびに、確かに今日が始まる気がした。
もぐもぐと咀嚼していると、沙羅が立ち上がる。
「行ってきまーす」
「皿ぐらい下げてけよ~」
「うっさいなぁ」
と言いつつも、しっかり皿を流しに運んでいるあたり、なんだかんだで良い子だ。反抗期、というやつなんだろう。
俺も皿を片付け、制服の襟を整えて玄関に立つ。
「じゃ、行ってきます」
今日も何も変わらない朝だ。