59 縛りの極意を教えてやる
重力の軸が歪み、天地の境界が曖昧になる。
空間が揺れるたびに、ゴルゴロスの足元に現実が軋むような音を立てた。
その中心で、魔王は魔剣を構え、静かに笑っている。
「時間が止められない貴様に、もはや我の最速奥義を避けきれる術はない」
——構えに入った。
「【冥界狂力】」
魔族の攻撃力を倍増させるスキルか……あの“16連撃”が来る。
勇者オーリューンの奥義、超速で繰り出される16斬撃は、通常の戦士なら一撃目すら視認できずに斬り伏せられる。
そして今の俺には《時を超える者》が使えない。
時間停止も、巻き戻しも、未来視すらも無効化された。
だが——
「オーバーキルだぞ……俺を分かってねえな」
俺はこん棒を構え直し、ただ静かに立ちふさがる。
「これで終わりだ……受けてみよ《瞑神剣舞・真式》!!」
その瞬間、ゴルゴロスの姿が霧のように消え、音すら追いつけない速度で迫り斬撃が放たれる。
——一撃、二撃、三撃……
超高密度の攻撃が空間ごと切り裂き、全方位から俺を襲う。
だが。
(……見える)
視界のすべてが、緩やかな流体のように動いていた。
肉体ではなく、“集中”で世界を捉える。俺の異能——《時を統べる者》。
時間を「止める」のではない。時が緩やかに感じ取るだけの、固有スキル。
だからこの空間のルールには抵触しない。
八撃、十撃、十四撃……
ギリギリで回避。紙一重を読み切る。
「なっ……!?」
そして——第十六撃目、最終のフィニッシュブローに対し、俺の手が閃く。
「【虎穴】——発動」
こん棒が閃き、パリィの軌道が刃をそらす。そして。
「——倍返しだ」
【燕返】が炸裂。
倍加された16撃分の衝撃が、すべて魔王の懐へと突き刺さる。
ズドオオオオオオオンッ!!
暗黒のオーラが揺らぎ、ゴルゴロスの巨躯が吹き飛ぶ。
剣が弾かれ、魔王が膝をついた。
「な、なぜだ……!?時間は封じたはずだ!あの剣舞を、なぜ避けて、パリィできた!?《時を超える者》は——使えないはずだッ!!」
魔王の叫びが、戦場に木霊する。
俺は、こん棒をくるりと回しながら答えた。
「……ああ、【瞑神剣舞】にはそれ使ってないぜ。最初からな」
「なに……!?」
「生きるか死ぬかの緊張感が無いと、”集中”できないからな……」
俺は口角を上げて、静かに言う。
「俺は最初から——【瞑神剣舞】を【時を統べる者】で攻略してたんだよ」
「ば、バカな……! 世界の理を破壊するようなスキルを持っていながら……使ってないだと?そんな選択があるわけが——!!」
ゴルゴロスの顔が、信じられないものを見るように引きつる。
「……あるんだよ。俺の場合はな」
落胆する魔王ゴルゴロスは、ゆっくりと口を開く。
「……その力、その矜持で……この我を相手に”縛り”を課していたというのか……?」
その問いは、呟きに近い。
まるで、自分の理解の限界に挑むような、信仰にも似た震えが混じっていた。
「そうだよ。俺は“縛りゲーマー”だからな」
静かに。だが、はっきりと俺は言った。
「”縛り”無しのヌルゲーじゃ燃えないんだよ。たとえ相手が魔王でも、ルール無用のチート野郎でも……俺は変わらない」
それは、俺の信念であり、ただの変態の美学であり、存在の核だった。
その瞬間——
——ズゥゥゥン……
音のない音が、戦場を支配した。
しばしの沈黙。
あれほど連撃を振るい、激情を迸らせていた魔王ゴルゴロスが、言葉を失い、ただ静かに俺を見つめていた。
「フハ……ハ……ハハハハハハハハハハ!!」
突如、魔王が高らかに笑い始めた。
それは嘲笑でも憤怒でもない、狂喜と――“解放”のような笑いだった。
ブォッ!!
空気が震え、魔王の身体を覆っていた闇色のオーラが爆ぜる。
黒と赤の瘴気が晴れ、代わりに——純白と金色の光が、彼の全身を包み込む。
——それはまさに“神”の気配のようだった。
「な、なんじゃ……?この気配は……!」
背後で、火龍王ムスターファが呻くように声をあげた。
空の色が変わっていく。
さっきまで濁っていた灰色の雲が、まるで浄化されるように晴れ渡り、陽光が差し込む。
空気の重さもなくなり、代わりに異様な“清らかさ”が場を包み込む。
「おい……これって……まさか、オーラの質が逆転してる……!?」
すると周囲の魔族兵たちが、次々に片膝をつき、地に頭を垂れる。
「おお、おおお……!」
「陛下、お待ちしておりました……!」
幹部クラスの魔族が感涙と嗚咽を交えた声あげる。
彼らはまるで神の啓示に従うように、一斉にひれ伏していく。
見ると魔王ゴルゴロスの顔つきが——変わっていた。
憎悪や狂気を宿していた瞳は、静謐な黒と金のオッドアイに変わり、
その表情は……むしろ、穏やかで微笑に近かった。
「……すばらしいな、勇者拓海」
その声には、もはや敵意も威圧もない。
ただ、“圧倒的な存在”としての重みだけがあった。
「気をつけよ、拓海よ!!」
ムスターファが叫ぶ。
「そいつは、もう魔王ではない!やつの姿、知っておる……それは……!」
その瞬間——俺の頭の奥に、直接響くような声が届いた。
『……勇者……逃げろ。こいつと戦ってはいけない』
「……っ!?」
頭に、直接突き刺すような声。記憶の奥から引き出された懐かしい響き。
(この声……まさか……日々人……なのか!?)
『そうだ、拓海。聞こえているなら、今すぐ逃げろ。あれは……“理”を超えた存在だ』
脳内に直接流れ込んでくる警告。その声は必死だった。
『今すぐ、あの火龍に乗って逃げ…て…・く……』
日々人の声が消えた。まるで何かに封じられたように。
俺は、こん棒を握りしめながら、目の前のゴルゴロスを見据えた。
……わかってる。目の前の存在は、さっきまでの魔王じゃない。
気がつくと俺の直ぐ横でムスターファが臨戦体制をとり構えている。
「拓海。奴が“勇者”いや、”魔王オーリューン”だ……絶頂期のな」
「あれが、オーリューン。……生きてたのか」
(確かにユグドラに見せられたオーリューンに似てる……だけど何かが根本的に違う)
「——そうじゃ、あれこそが神を屠ろうとした、狂人の姿よ……!」
心のどこかが囁く。
あのユグドラが警戒するわけだ。こんな奴を相手に”縛りプレイ”が成立するのか?
——だが、その葛藤を打ち砕くように、再び日々人の声が響いた。
『……あいつが、俺の、能力を……使う前に……逃げ……』
その警告は、もはや懇願に近かった。
日々人の声が、まるで遠くへ引きずられるように、消えていく。
その瞬間、胸の奥にずしんと重い沈黙が降りた。
呼吸が浅くなり、思考が止まりかける。
ここは退くべきか?
相手は“絶頂期のオーリューン”。神に届くと言われた最強の勇者。
このまま戦えば、マジで命を落とすかもしれない。
その時、上空に王都からもう一つの金色の光が届き、オーリューンのオーラとぶつかり合う。
「アルティナ!……そうか、そうだよな」
チートを拒み、最弱のこん棒を選び、バカにされても、笑われても、ここまでやってきた。
そして今、目の前にいるのは——俺が追い続けた”最強の勇者”で”チート魔王”
(もう俺は、”ひとり”じゃない)
——恐怖?
いやむしろ——今こそ、燃えていると感じる。
心が、魂が、全力で叫んでる。
ここに俺の《生きる意味》があるってな。
俺は、こん棒を肩に担ぎ、真っ直ぐに目の前の男を睨みつけた。
「やっと会えたな、オーリューン」
言葉に、自然と熱が乗る。
「“最強の勇者”が二人そろったら……やることは一つだろ?」
その挑発に、オーリューンは言葉でなく微笑で応える。
俺は頷き、にやりと笑い、構えた。
「どっちがホンモノか、ここで決めようじゃないか!!」




