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55 チート魔王と無敗の勇者

 ムスターファの広大な背に乗り、俺たちは魔王軍の中央部隊上空へ到達していた。


 見下ろす大地は、一面を埋め尽くす黒い軍勢。無数の魔族兵が槍や剣を掲げ、静かにこちらを見上げている。その様子は、まるで全軍が息をひそめたかのようだった。


「……思ったよりも静かだな」


  俺はムスターファの背中で小声でつぶやく。


「迎撃する気はないらしい。おそらくは、指揮官の命令だろう」


  ムスターファの低い声が重々しく響いた。


 その言葉通り、攻撃の兆しは全く感じられない。むしろ、黒い軍勢は徐々に動き始め、中央に広大な円形のスペースを作り出していく。


 その中心に、黒い鎧をまとった人影が佇んでいた。


 一歩も動かず、ただ視線をこちらに向けているだけなのに、全身を圧迫するような威圧感が空気を支配している。その赤い瞳が突き刺さるように輝き、まるで魂をえぐり取られるような感覚に襲われた。



「……あれが……」

「間違いない。魔王ゴルゴロスだ」



 鎧の隙間から立ち上る赤黒いオーラ。そして、その赤い瞳はまるで心をえぐるかのような刺すような視線を放っていた。


 俺は息を飲み、ムスターファと共に作られた空間の中心にゆっくりと降り立った。


 巨大な翼が土煙を巻き上げ、周囲の魔族兵たちがゆっくりと後ずさる。


「……歓迎ってわけか」


  俺はムスターファの背から降り立ち、目の前の黒い鎧の男を睨みつけた。


「あんたが、魔王ゴルゴロスか?」


「そうだ。そしてお前は勇者、拓海だな」


 その声は低く響き、人間の言葉でありながら異質な重みを持っていた。


 俺は意識的に深く息を吸い込む。鼓動が不快なほど早まり、手のひらに汗が滲んでいるのが分かる。


「なぜ攻撃してこない?罠か?」


  俺の問いに、ゴルゴロスは冷ややかに笑う。


「合理的な判断をしたまでだ。火龍王ムスターファを従えたお前に、この軍勢をぶつけるのは無駄だからな。あの火龍王のスキル、【大噴火】は、この一帯を破壊しマグマでもって焼き尽くすだろう」


「……ふん、知っていたか」


 ムスターファが鼻を鳴らす。


「私はともかく、何万人もの兵を無駄にしたくないのでね」

 

 魔王はうっすらと笑いを浮かべ、ムスターファを一瞥する。


 その赤い瞳に捕らえられた瞬間、空気がねじれるような感覚が俺たちを包み込む。火龍王ムスターファでさえ、額にじわりと汗を滲ませ、その鋭い爪先が地面を掻く音が聞こえた。


「つまり、あんたは俺を一騎打ちで俺を倒せる自信があるから、こうして誘ってきたってわけか」


「その通りだ」


 ゴルゴロスの声には微塵の迷いもない。俺はその意図を理解しながらも、手のひらに滲む汗を感じていた。


「……大神官メーディアは、死んだぞ」


 俺は静かに告げた。

 そう声を出した瞬間、戦場の空気がさらに重たく沈む。ゴルゴロスの赤い瞳がわずかに細まった。鋭い刃のような視線が、俺の言葉を一瞬だけ受け止める。


「知っている。それも想定済みの進軍だ」


 その冷徹な声は、感情を一切感じさせない。


「悲しくないのかよ?」


 俺は一歩踏み込み、ゴルゴロスに向かって言葉をぶつける。


「あんたにとって……大切な存在だったんじゃないのか?」


 一瞬の沈黙。そしてゴルゴロスは冷たく告げた。


「それは過去の話だ。今の私は魔王ゴルゴロス。そのような感情に縛られることはない」


 その言葉は、場の全てを凍りつかせるほどに冷たい。だが、俺は動じなかった。


「そうかよ」


 俺は肩をすくめながら、棍棒を手にした。


「なら、俺も遠慮なくやらせてもらう」


 ゴルゴロスは微動だにせず、低く重い声を響かせる。


「いいだろう。だが覚悟するがいい。この剣が証明する通り、私はこれまでに八人の勇者を葬ってきた。そして——その全てにおいて、私の選択は正しかった」


 言い放ちながら、ゴルゴロスは腰の剣に手をかける。その動きは悠然としていたが、どこか恐ろしく、禍々しい圧力が伴っていた。そして剣が鞘から抜かれた瞬間——黒い刃から暗黒のオーラが溢れ出した。


 辺り一帯の空気が瞬時に冷え込み、耳をつんざくような無数の魂の悲鳴がその刃から響き渡る。目を逸らせば魂ごと吸い込まれそうな錯覚に陥り、刃を覆う瘴気が地面を焼き、異様な文様を刻み込んでいった


「知っているだろう?これがもう一つの聖剣、人族の魂を封じ込める魔剣ソウルイーターだ……」


 俺は思わずその禍々しい魔剣の名前に息を呑んだ。その瞬間、剣の威圧が胸にまでのしかかる。


「……この剣には、これまで葬った勇者たちの魂が宿っている。そしてお前もそこに加わることになる」


 ゴルゴロスは魔剣を構えたまま、俺を静かに見据える。その姿は圧倒的な威圧感に包まれている。


 そして魔王を遠巻きに見守る魔族兵達の静かな視線は、戦いの結末を主人の勝利で疑わない者のそれだった。


 だが、俺はその場で足を一歩も引かなかった。逆に、背筋を伸ばし、大きく息を吸い込む。


 棍棒を握りしめた手の汗がじっとりと滲む。俺はその重圧を振り払うように声を張り上げた。


「ひとつ聞きたい、あんたを倒した後、魔剣に封じられた魂はどうなる?」


「さあな、倒された事がなければ、倒されることもないのでな。考えたことはない」


 ゴルゴロスは冷静な目で俺を見つめ続ける。


「お前が挑むのは自由だが、お前が勝つ可能性はゼロだ。私はこれまで、確実な選択だけをしてきた。今回も、例外はない」


「そりゃどうも。だがな——」


 俺は冷笑を浮かべながら、ムスターファの視線を背に受けて言葉を続ける。


「俺は、そうやって自分の勝利を確信して疑いもしない奴を、何度も葬ってきたよ。ちなみに、ボス戦で負けたことなんて生涯一度もない」


 ゴルゴロスが微かに眉を動かす。そのわずかな変化を見逃さなかった俺は、さらに挑発を続けた。


「負けた奴が見れるっていう『ゲームオーバー』って文字を見るのがどんな気分か、俺にはわからないんだわ」


「小僧がわけのわからぬことを……」


 ゴルゴロスが目を細め、剣を軽く持ち直す。その無言の圧がさらに増したが、俺は意に介さない。むしろ、集中力が一層研ぎ澄まされていくのを感じていた。


 背後でムスターファが低く笑い声を上げた。


「やはり拓海……お前は面白いの!この戦いを間近で見物できるとは、我が生涯でも有意義な時間となりそうだわい」


「ああ、楽しませるから帰り支度だけしといてくれ」


 俺は棍棒を両手に構え、前方のゴルゴロスを睨み据えた。


「行くぞ、魔王ゴルゴロス!」


「来い、勇者拓海。私に勝つという幻想がいかに脆いか、思い知らせてやろう」


 ゴルゴロスの言葉と共に、闇のオーラが戦場全体を覆う。


 そして、最後の戦いがついに始まった。


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