その九十一
僕は磐神武彦。大学一年生。
今週はバイト三昧。
それもこれも、今日、すなわち「母の日」のため。
いつもより気合を入れたのは、僕の彼女である都坂亜希ちゃんのお母さんにもプレゼントをしたかったからだ。
連休初日に大学の同級生の長石姫子さんが現れ、毎日来そうな勢いだったが、幸いな事に(なんて言うと失礼だけど)、彼女はその日以降は姿を見せなかった。
同じく大学の同級生で、恐らく長石さんに好意を寄せていると思われる若井建君に殴られ、
「今度チョッカイ出したらこんなものじゃすまない」
と言われたので、ホッとした。
誤解なんだけどな。
それで、今日はバイトを休ませてもらい、亜希ちゃんとプレゼント購入を兼ねたデート。
大学に通学する事自体がデートみたいだったので、こうして出かけるのは久しぶりだ。
亜希ちゃんもいつもよりテンション高そうだし。服も地味な通学ルックとは一転して、可愛い。
本当はこっそり一人で買い物して、亜希ちゃんのお母さんだけではなく、亜希ちゃんも驚かそうと思っていたんだけど、
「武君、何か隠してるでしょ?」
と追及され、あっさりと白状した。
「じゃあ、私も武君のお母さんにプレゼント買うわ」
亜希ちゃんが言ったので、僕は、
「亜希ちゃんのお母さんには、毎日お弁当をいただいてるお礼も兼ねてだから、亜希ちゃんはそこまでしなくても……」
すると亜希ちゃんはムッとして、
「お弁当は私が作ってるんです!」
ととうとう本当の事を言った。そして、ハッとして、赤くなる。
「そうなんだ、ごめん」
僕はしてやったりの顔で謝罪する。亜希ちゃんはほっぺを可愛く膨らまし、
「まあ、いいけど」
あまりにも可愛かったので、抱きしめたくなったけど、何とか我慢した。
結局、お互いの母親にもプレゼントを買う事で落ち着いた。
お目当ての品物があるデパートへと向かう。
僕は、母にはもっとお洒落をしてほしいので、イヤリングを買った。
僕の見立てじゃ危ないので、亜希ちゃんに選んでもらう。
亜希ちゃんはそれとセットになっているブローチを買ってくれた。
「おばさん、喜ぶわよ」
亜希ちゃんはとても嬉しそうに言う。
「ありがとう、亜希ちゃん」
「どういたしまして」
次に亜希ちゃんのお母さんへのプレゼントを探す。
「亜希ちゃんは何を買うつもりなの?」
先に立って歩く亜希ちゃんに尋ねる。亜希ちゃんはチラッと僕を見て、
「夏物のワンピースよ。お母さんに似合いそうなのがあったの」
「そうなんだ」
亜希ちゃんのお母さんは奇麗でお洒落だから、何を着ても似合いそうだ。
「これよ」
亜希ちゃんが指差したマネキンが着ているのは、ピンクのワンピース。
いくら何でもこれは、と思ったけど、僕が口を出す事ではない。
「じゃあ、僕はそれに合う帽子を買うよ」
「ありがとう」
そして、値段を見てビックリ。
帽子は大して高くなかったけど、ワンピースは何万円もするものだ。
「お父さんが出してくれたから、張り込んだの」
「そうなんだ」
僕は目を見開いてしまった。すると亜希ちゃんが、
「あ、ごめん。武君の事、考えないで……」
と急にシュンとする。
「どうしたの?」
僕は不思議に思って訊く。亜希ちゃんは悲しそうな目で、
「だって、武君のお父さんは……」
「ああ、気にしないで。気にされる方が嫌だから」
父親がいない僕の事を、亜希ちゃんは気遣ってくれたのだろうけど、それを言われる方が苦痛だ。
「ホントにごめんね、武君」
亜希ちゃんは泣きそうな顔だ。
「大丈夫だよ、亜希ちゃん。そんな悲しい顔しないでよ」
「うん」
亜希ちゃんは一筋零れてしまった涙を拭い、微笑んだ。
そして、僕の母と亜希ちゃんのお母さんとの待ち合わせ場所のファミレスに向かった。
「ああ、もう来てるみたい」
亜希ちゃんが店の窓ガラスの向こうで話している母とお母さんを見つけたようだ。
僕達は顔を見合わせて微笑んでから、店に入った。
「早く来過ぎちゃった」
僕達が席に着くと、亜希ちゃんのお母さんがペロッと舌を出して言った。
可愛い、なんて言ったら失礼だけど、でも可愛い。
「もう、こんな大袈裟な事、来年はいいからね、武彦」
母は隣に座った僕に小声で囁いた。
「わかったよ」
そう応じながらも、来年はどっきりでやろうか、とか考えている僕。
「ごめんなさい、お待たせしました」
本日の主賓のような雰囲気を漂わせ、いつになくお洒落なワンピースの姉が最後に到着した。
「え?」
僕と亜希ちゃんは思わず顔を見合わせる。
「どうしたの、武?」
姉が強引に僕の隣に座りながら尋ねた。すごい「ケツ圧」だ、なんて思ったのがばれたら、大変だ。
「姉ちゃん、そのワンピース、どこで買ったの?」
僕は小声で尋ね返す。
「どこって、リッキーのプレゼント」
何故か恥ずかしそうに答える姉。それじゃあ、仕方ないか。
それにしても、世間は狭い。
姉の着て来たワンピースが、色もデザインも、亜希ちゃんがお母さんに買って来たものと同じなのだ。
「どうしよう、武君?」
亜希ちゃんは僕を店の端に引っ張って行って訊いて来る。
「どうしようもないかも。姉ちゃんのも、憲太郎さんのプレゼントなんだって」
「そうなんだ」
すると、僕達の様子を変に思った姉が近づいて来た。
「どうしたの?」
妙に嬉しそうなのが嫌なんだけど。
僕は仕方なく、姉に理由を話した。
「え?」
姉はバツが悪そうに自分のワンピースを見る。
「ごめんね、亜希ちゃん。つい、その……」
さすがの姉も、相手が亜希ちゃんでは強気に出られない。
「いいんですよ、私が美鈴さんに言わなかったのが悪いんですから」
亜希ちゃんは姉を宥めるためにそう言った。
まずいよ、亜希ちゃん、その言い方は。
僕は最悪の事態を想定した。
「亜希ちゃんは悪くないから。悪いのは、こいつ」
予想通り、姉は僕を睨む。やっぱり……。
「席に戻ろう、武君」
亜希ちゃんが先に歩き出すと、
「待て、武」
と姉に襟を掴まれた。
「な、何、姉ちゃん?」
僕は店の駐車場に連れて行かれると思った。
「何だよ、その顔? 姉ちゃんが何かすると思ったのか?」
「うん」
つい、本音が出てしまう。ところが姉は苦笑いして、
「ああでも言わなきゃ、亜希ちゃん、返品に行きそうだったからだよ。お前が悪くないのもわかってるから」
「そ、そうなんだ」
僕はホッとして思わず微笑んだ。
結局、僕と亜希ちゃんは亜希ちゃんのお母さんにまずお詫びをしてから、僕の母と亜希ちゃんのお母さんにプレゼントを渡した。
亜希ちゃんのお母さんは、
「美鈴さんとお揃いだなんて、光栄だわ」
と言ってくれた。姉は苦笑いするばかりだ。
「ありがとう、亜希ちゃん、武彦」
母は涙ぐんでいる。亜希ちゃんのお母さんも、僕から帽子のプレゼントをもらえるとは思っていなかったので、目を潤ませている。
「ありがとう、武彦君、亜希」
母とお母さんが嬉しそうに箱の中身を見ている時、僕は気づいた。
姉が硬直しているのだ。
どうしたんだろう?
「どうしたの、姉ちゃん?」
すると姉は鬼の形相で僕を睨み、
「母さんに買ったものまで、被ってるのよ、このバカ武! そっちは教えてくれてもいいだろ!」
「ええ!?」
姉も母にイヤリングを買ったらしい。
それを言うなら、姉が僕に教えてくれてもいいはずだ。
でも、そんな事を言ったら、もっと大変な事になりそうなので、何も言わないけど。
似たもの姉弟だなあ。