表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姉ちゃん全集  作者: 神村 律子
大学一年編
91/313

その九十

 僕は磐神いわがみ武彦たけひこ。大学一年。


 今日は大学は休み。


 そう、毎年僕にとっては「書き入れ時」の一週間だ。


 三歳で父をうしなった僕と姉は、ずっと苦労して来た母の背中を見て育ったので、あまり我がままを言わない子供だった。


 連休は、よその子達は両親とどこかに旅行に行ったり、遊園地に行ったり、動物園に行ったりしていた。


 それが羨ましくなかったかと言うと、決してそんな事はなかったが、だからと言って、それが原因でねたり、いじけたりはしなかった。


「ウチは貧乏なんだから、贅沢言わないの!」


 幼稚園に入る前から、姉に言われて来た。


 言っている姉も、きちんと理解していなかったとは思うが、僕自身、何となく、


「我慢する」


が普通になっていたのは確かだ。


 僕の彼女の都坂みやこざか亜希あきちゃんも、僕の家の事情をよく知っているから、


「連休が明けたら、また一緒に大学に行こうね」


なんて、小学生みたいな事を言ってくれた。凄く嬉しかったけど。


 


 という訳で、僕はこの三連休はバイト三昧。


 朝からコンビニに向かう。


「おはようございます」


 僕はバイト仲間に挨拶し、タイムカードを押す。


 この三日間は、亜希ちゃんには申し訳ないけど、とことん働くつもりだ。


 今度の日曜日は「母の日」だから。


 そして、今年からは、亜希ちゃんのお母さんにも何かあげようと思っている。


 大学でいただくお弁当のお礼も兼ねて。


 


 商品の陳列をしていると、


「あ、ホントにいた」


と声がした。


 聞き覚えのある声だったので、思わず振り返る。


「ヤッホー、磐神君」


 そこには、胸の谷間がはっきりわかる襟の真っ赤なシャツを着て、太腿が丸出しのミニスカートを履いた長石ながいし姫子きこさんがいた。


「長石さん。どうしたんですか?」


 僕は長石さんが一つ年上なのを思い出し、敬語で話した。相変わらず、香水の匂いがきつい。


「クラスの男子に聞いたの。磐神君、休みの日はコンビニでバイトしてるって」


 長石さんは嬉しそうに言う。僕は苦笑いして、


「そうですか」


「ああん、他人行儀な言い方しないの。姫子って呼んで。それに、敬語は使わないでよ。何だか、すごく阻害されてる感じよ」


 ウィンクまでされ、僕はすっかり面食らってしまう。


 周囲を見ると、他のバイト仲間が訝しそうな顔で見ていた。


「す、すみません、長石さん。今、バイト中なので」


「ああ、ごっめーん。何時に終わるの?」


 長石さんは全く気にしていないようだ。


「今日はこのまま六時までです」


「ええ? 一日中働くの? すっごーい! 尊敬しちゃう!」


 長石さんは大きな声で言う。僕は恥ずかしかった。


「じゃあねえ。あ、そうだ」


 長石さんは僕にメモ用紙を渡した。


「これ、私の携帯番号とメアドね」


「え?」


 呆気に取られる僕を残して、長石さんは何も買わずにコンビニを出て行った。


「磐神君、仕事中に友人と話すのは止めてもらえないか?」


 店長が事務所から出て来て言った。


「はい、申し訳ありません」


 僕は頭を下げて謝罪する。


「まあ、あの子が一方的に話していたみたいだから、そんなに気にしなくてもいいよ」


 店長はにこやかな顔で言ってくれたので、ホッとした。


 長石さんにここを知られたのは困ったなあ。


 あの人、あまり周囲を気にしない人みたいだし。


 マイペースなのは、姉だけで十分なのに。


 


 連休のせいもあって、お客さんの入りが不規則だ。


 いつもなら、お昼休みや帰宅時間が忙しくなるのだけど、今日は一日中それなりに出入りが多かった。


 午前中は、これから出かける人達が買い出しに来た。


 スーパーはまだ開いていない時間なので、遠出の人達にはコンビニはありがたい存在なのだ。


 午後は、家でゆっくりしていた人達が、小腹が空いたのか、菓子パンやスナック菓子を買って行く。


 そして夕方はお弁当を買って行く主婦達が増えた。


 連休は、家事を少しは休みたいのだろうか?


 


 こうして、初日のバイトは終了し、僕はコンビニを出た。


「おい」


 どこかで聞いた事がある声。この声は?


 振り返ると、思ったとおり、若井わかいたける君がいた。


「お前、何とぼけて姫子と会ってるんだよ?」


 いきなり若井君に襟首をねじ上げられ、路地裏に連れて行かれた。


「な、何の事?」


 僕は意味がわからずに尋ねた。


「今日、姫子が、お前がバイトしてるコンビニに来ただろう? 友達が見たって、メールくれたんだよ」


 若井君は更に僕の襟に力を入れる。


「長石さんがコンビニに来たのは確かだけど、僕が呼んだんじゃないよ」


 僕は若井君の手を掴んで言い返した。


「言い訳するんじゃねえよ! 姫子にチョッカイ出したら、只じゃ置かないって言ったはずだ」


 若井君の怒りは収まりそうにない。どうしたらいいんだろう?


 そう思った瞬間、若井君の拳が僕の左頬を殴った。


「う!」


 僕は何の防御もできず、そのまま後ろに倒れた。


「今日はこれくらいにしておいてやる。この次また、姫子に近づいたら、こんなもんじゃすまねえぞ」


 若井君は捨て台詞と共に唾を吐きかけ、立ち去った。


 僕は左頬を撫でながら立ち上がった。


「あまり痛くないな」


 どうしてだろう? 不思議に思いながら、家に帰った。


 


 連休中は、姉も夜間大学が休みなので、家にいた。


 途中、駅のトイレで顔を見たら、少し腫れていたので、姉に見つからないようにしようと思い、


「只今」


と小声で言うと、僕はサッと階段を駆け上がった。


「待て、武!」


 しかし、見つかってしまった。


「何をコソコソしてるんだよ?」


 姉は「こっちに来い」と手招きしている。


 僕は肩を落とし、階段を降りた。


「お前、殴られたのか?」


 姉はすぐに顔の腫れに気づいた。


「転んだんだよ」


という言い訳は、姉には通用しない。だから、


「うん」


 素直に返事をした。


「誰に?」


「大学の同級生に」


 姉は段々怒りに燃えて来たようだ。


「どうして?」


「その人の好きな人と僕が話したから」


 僕は姉の形相が怖くなった。


「何だ、それ? 教えろ、そのバカの名前を! お前が誰の弟なのか、教えてやる!」


 姉は超進化しそうな勢いだ。


「いいよ、姉ちゃん」


「何でだよ!?」


 姉は僕の襟をねじ上げる。それじゃあ、若井君と同じなんだけど。


「自分で解決する。もう僕、大学生だよ」


 すると姉は襟を放し、ニコッとした。


「そうか。わかった。偉いぞ、武」


 頭を撫でられた。子ども扱いだよ、これじゃあ。


「無理するなよ、武」


「うん」


 無理はしない。でも、自分で何とかしないと、解決にはならない気がする。


 ああ、そうか。


 若井君に殴られたのがあまり痛くなかったのは、姉のパンチを食らい続けていたからだ。


 姉のに比べれば、若井君のは大した事なかったな。


 って事は、姉のパンチって……? これ以上想像するのはやめよう。


 それにしても、長石さん、明日も来るんだろうか?


 若井君より、彼女の方が厄介な気がするよ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ