その八十九(亜希)
私は都坂亜希。現在大学一年生。
私の王子様(きゃあ!)の磐神武彦君と念願叶って同じ大学に通っている。
父がうるさいので、可愛い服を着て行けず、毎日地味めの色合いのスーツだ。
スカートの丈まで指示するなんて、あまりにも理不尽だけど、
「お父さんは亜希の事が本当に心配なのよ。だから、わかってあげて」
と母に言われ、文句を言うのを止めた。
確かにそうなのかも知れない。
普段は優しくて、ちょっぴりお茶目な父。
私が長い通学時間をかけて、家から離れた大学に行くのを凄く心配していたから。
「電車には、痴漢がたくさんいるんだ。だから、あまり奇麗な格好をしていってはいけない」
父は真顔でそう言った。
痴漢が女性を狙うのは、服装ばかりが原因ではないと思うけど。
父のこの過剰な反応は、武君にまで影響を及ぼしている。
高校の時は、デートで可愛い服を着て行くと凄く嬉しそうだったのに、
「お父さんの言う通りだよ。地味な服の方がいいよ」
などと言い出した。
はあ。私、どうしたらいいの?
でも、そのうち忘れてくれるかな? 無理かも知れないけど。
大学に行き始めて数日が経ち、私は外国語クラスで新しい友人を作れた。
最初は、武君と離れ離れで寂しかったけど、いろいろ話せるクラスメートがいるのは気持ちが楽になる。
武君はうまく交友関係築けてるかな? そういうの、結構苦手だから、少し心配。
「隣、いい?」
英語の授業の時、私の前に立ち、声をかけて来た男の人がいた。
「はい、空いてますから、どうぞ」
その人の名前は、五瀬一郎さん。
大学の付属高校から進学して来た人らしい。
私は好みではないけど、クラスの女子達はヒソヒソ囁き合うイケメンみたい。
「都坂さんて、珍しい名字だね? 先祖はお公家さんかな?」
五瀬さんは屈託のない笑顔で言う。
「さあ。調べた事ないので」
私は苦笑いして応じた。本当は、公家なんて関係ないのは知ってるけど、話が長くなりそうだったので、とぼけた。
「都坂さん、気をつけた方がいいよ。そいつ、結構な遊び人だからさ」
通路を隔てて右隣に座った男の人が不意に会話に入って来た。
その人は、大国主税さん。凄い名前。討ち入りに行きそうだ。
「そうなんですか?」
私はクスクス笑って、五瀬さんを見る。五瀬さんは大国さんを一睨みしてから、
「そんな事ないよ。大国こそ、イケイケな奴だって」
「お前に言われたくないよ」
二人は高校からの同級生だと言う。仲が悪い訳ではないらしい。
「失礼な事訊くけど、いい?」
大国さんが言う。
「何ですか?」
初めて話した日に「失礼な事」を訊くのは、どうかと思うけど。
「都坂さんて、浪人してるの?」
突拍子もない事を訊かれた。どうして?
「そんなに私って、老けて見えます?」
思わず訊いてしまった。すると大国さんは大笑いして、
「違うって。いつも、弟みたいな男の子と一緒だから、そう思っただけ」
「え?」
武君、私の弟に見えるの? まあ、そんな雰囲気出してるかも知れないけど。
「あの人は弟じゃなくて、彼です」
「ええ!?」
大国さんだけでなく、五瀬さんも大声をあげた。そんなに驚く事?
「私に彼がいるのって、そんなに驚きですか?」
ちょっとムッとしてしまう。
「ああ、いやいや、そういう意味じゃないんだけど……。何だか、釣り合ってないなあ、と思って」
大国さんはバツが悪そうに言った。この人、結構失礼な事を言っているの、気づいてないのかしら?
「そんな事ないと思います」
私は話を切り上げ、机の上に教科書を出した。大国さんは肩を竦め、鞄から教科書を取り出す。
「ごめんね、デリカシーのないバカな奴で」
五瀬さんが小声で詫びてくれた。
「いえ、気にしてませんから」
私は作り笑顔で五瀬さんに応じた。五瀬さんも決まりが悪いのか、苦笑いをした。
やがて授業が終わり、お昼休み。
これが一番の楽しみだ。武君とランチ。ウフフ。
「都坂さん」
教室を出ようとした時、男の人に声をかけられた。
若井建さん。この人も、同じ学部の女子達の注目を集めているようだ。
そんな若井さんが私の名前を呼んだから、周囲から殺気が走った。ような気がしただけだけど。
「はい?」
私は若井さんを見た。若井さんの隣には、同じクラスの女子がピッタリ張りついている。
橘音子さん。大人しそうな風貌だけど、本当は結構積極的なのだろう。
「私の建に近づかないで!」
そういうオーラを放っている。近づかないから、心配しないでね、橘さん。
「一緒にお昼食べない?」
若井さんと橘さんの後ろには、五瀬さんと大国さんもいる。
しかし、私の答えは決まっていた。
「ごめんなさい、私、お弁当なの。また誘って下さい」
「そうか。残念」
若井さんは、どうやら五瀬さんと大国さんに頼まれて、私を誘ったらしい。
五瀬さんと大国さんが、あからさまに残念そうだったのに対し、若井さんはホラ見ろ、という顔で二人を見たから。
「姫子、こっち!」
若井さんは離れたところにいる女性を呼んだ。その女性の隣に、困った顔をしている武君がいた。
その「姫子」さんと武君は、ほぼ同時にこちらを見た。
「失礼します」
私はそれを機会にその場を離れ、武君に近づく。
姫子と呼ばれた女性は、肩を竦め、
「はいはい」
と言うと、武君に何か言って、こちらに歩き出した。
私は女性を見ないようにして、すれ違いざまに会釈した。
「行こうか、武君」
「う、うん」
心なしか、武君は怖がっているように見えた。
武君は、私が姫子さんの事を尋ねると、予想以上に慌てた。
普通なら、何かあったの、と思うところだが、私の武君に限って、それは絶対にない。
やだ、「私の武君」だなんて……。恥ずかしい。
武君も、若井さんの事が気になったみたいだ。
私も何故か気が動転して、焦って言い訳してしまった。
何でもないのに、その事に触れられると動揺するのは、何故だろう?
中庭での楽しいランチの後、私はトイレに行くフリをして、美鈴さんに電話した。
「あら、珍しい。どうしたの、亜希ちゃん?」
美鈴さんはちょうどお昼休みで、会社に戻ったところらしい。
「今日、私、武君のお姉さんに間違われました」
私の唐突な話に、美鈴さんは一瞬黙ってしまった。
「何それ、亜希ちゃん? 亜希ちゃんが武のお姉さん? どこのどいつ、そんな事言ったの?」
美鈴さんは大受けしているようだ。そんなに面白い話かな?
私は経緯を話した。
「なるほどねえ。確かにあいつ、弟っぽい顔してるかもね」
「そうですか?」
私も思わず笑ってしまう。
「でも、何だか、嬉しかったです。武君のお姉さんに間違われて」
「ええ? どうして?」
美鈴さんは不思議がっている。
「秘密です」
「何でよお。教えてよ」
美鈴さんはさんざん食い下がったが、
「ああ、お昼休み終わりだって。また今度ね」
と通話を切った。
私は携帯を閉じ、クスッと笑う。
「理由なんて言えませんよ」
だって、武君の本当の「お姉さん」に追いつけた気がしたのだから。