その八十八(コラボ)
今回は「密かにコラボ」してみました。
僕は磐神武彦。
大学生活にも長い通学距離にも慣れ始め、外国語クラスの中にもチラホラ話をする友人ができ始めた。
最初に僕に声をかけてくれた長石姫子さんとは、僕の彼女の都坂亜希ちゃんの気持ちを考えると、話しかけてくれるのは嬉しいし、ありがたいのだけれど、一言二言しか言葉を交わせない。
僕の気の回し過ぎなんだろうか?
亜希ちゃんは、同じクラスの男子達と話をしている。
それも楽しそうに。
ああ、嫌だ。嫉妬深くなりそう。
僕はなるべくその光景を見ないようにした。
「武君、ランチにしよ」
亜希ちゃんがお弁当箱の入ったデニム地の可愛いバッグを掲げて言う。
「うん」
僕らはいつものように中庭に出て、ベンチでお弁当タイム。
「あ」
目の前を、紺のパンツスーツの女性が通り過ぎる。
天然なのか、パーマをかけたのかわからないくらいにフワフワッとしたウェーブの髪をポニーテールにした女性。
その人の周囲だけ、空気が違うような感覚になる。
何だろう?
「素敵な人ね、磐神君」
亜希ちゃんが耳元で囁く。
「ひ!」
僕は思わず小さい悲鳴をあげる。お願いだから、「磐神君」て呼ぶのは止めて欲しい。
他はどれほど酷い事を言われても我慢するから……。
「待ってよお、法子ォ」
その女性を追いかける、どことなく落ち着きのない女性。
あ、転んだ。
大丈夫かな?
僕は思わずその女性が起き上がるのを見てしまった。
そして、ハッとして亜希ちゃんを見る。
ところが亜希ちゃんは、別段気にしていないみたい。
「歯牙にもかけない」
そんなところなのだろうか? 確かに、転んだ女性は、亜希ちゃんと比べると……。
やめとこう。
そんなこんなで、楽しいランチタイムは終了し、次の講義のために移動。
各学部共有のホール棟の小ホールで、心理学の講義。
僕が一番眠くなる類いの話が延々と続く。
でも、亜希ちゃんは興味津々で聴いているみたいだ。
「武君、一番前に座ろうか?」
悪戯っぽく笑って言う亜希ちゃん。
僕は顔を引きつらせて、
「遠慮しとくよ」
と応じた。
「ほら、武君、ガールフレンドさんが手を振ってるよ」
不機嫌そうな亜希ちゃんの声に僕の眠気は吹き飛んだ。
言われた方を見ると、そこには手を振る笑顔の長石さんがいた。
いつにも増して、色っぽい格好。
あれ、ちょっとかがめば、胸が見えそうだよ。
「が、ガールフレンドじゃないよ」
僕は俯いて言った。
おかげで、講義中眠くならなかったけど、内容が全く頭に入らなかった。
「ちょっと待っててね」
亜希ちゃんはトイレに行ったようだ。
ようだというのは、確認した訳じゃないからだ。
するとそこに、ススッと近づいて来た男子学生。
長石さんと一緒にいる事が多い人。
そして、亜希ちゃんと外国語クラスが同じ人。
若井建君だ。
何だろう? 妙に怖い顔をしている。
「おい」
いきなりそう言われた。
「な、何?」
僕はビクッとして若井君を見る。
「お前、姫子と付き合おうとしてるのか?」
彼は更に目つきを鋭くして、突拍子もない事を尋ねて来た。
「そ、そんなつもりはないよ。僕には彼女がいるから」
僕はこちらに近づいて来る亜希ちゃんを見て答える。
「そうか。なら、いいんだけど、もし、姫子にチョッカイ出したら、只じゃ置かないぞ」
若井君の目は本気の目だ。
「そんな事、絶対にしないよ」
僕は声こそ小さかったが、力を込めて言った。
若井君は何も言わずに立ち去った。
しかも、亜希ちゃんには微笑んで、その上手まで振って。
何だか、怖い人だな。
やっぱり、彼、長石さんの事が好きなんだ。
だったら、僕に凄んでいないで、長石さんに気持ちを伝えればいいのに。
なんて、僕が偉そうに思う事じゃないか。
「若井君と何話してたの?」
亜希ちゃんが不思議そうな顔で尋ねた。
「別に」
「そう」
いつもなら、突っ込んで来る亜希ちゃんだけど、僕の様子に何かを感じたのか、それ以上は何も訊かなかった。
僕はホッとした。
結局亜希ちゃんは、その日一日、若井君の事を訊かないままだった。
だから、僕は安心し切っていたのだが、亜希ちゃんと彼女の家の前で別れる時、
「武君、抱え込まないでね。今日の武君の顔、中学の時とよく似てる気がするから」
その言葉にハッとした。
僕は中学の時虐めに遭っていた。
でも、誰にも言わず、ジッと堪えていた。
やがて、亜希ちゃんが虐めに気づき、僕を助けてくれるようになった事があるのだ。
「あの時の二の舞にはしたくないの。若井君て、時々怖い目で武君を見ている事があるから」
「そう、なんだ」
僕は全然気づいていなかった。
亜希ちゃんが長石さんとの事を随分気にするのは、若井君の視線に気づいたからだと言う。
「武君、何かあったらすぐに私に言ってね。隠し事はなしだよ」
「わかったよ、亜希ちゃん」
僕は亜希ちゃんの優しさに胸がジーンとした。
そして、家に帰る。
玄関のドアを開くと、姉の靴がまだあった。
そして、その隣には、白い靴。
これはまさか……。
「あら、武彦君、お帰りなさい」
姉の婚約者の力丸憲太郎さんのお姉さんの沙久弥さんだった。
「お久しぶりです」
僕は姉が固まっているのを想像し、密かに哀れんだ。
「おう、武、お帰り」
しかし、僕の期待を裏切り、姉はにこやかに現れた。
どういう事? 姉は早くも沙久弥さんを「克服」したのだろうか?
「折角武彦君が帰ったのに、残念だわ」
沙久弥さんは寂しそうにそう言ってくれた。
これから、師範として道場に行かなければならないらしい。
「また今度ね、武彦君」
「はい」
沙久弥さんは優雅に家を立ち去った。
「鼻の下が伸びてるわよ、武君」
姉が、懲りもせずに似てもいない亜希ちゃんの物真似で言う。
「の、伸びてないよ」
僕は少しだけドキッとしながら、階段を駆け上がろうとする。
「待て、武彦」
姉がグイッと僕の右腕を掴んだ。
「な、何?」
僕は更にドキッとして姉を見る。姉は真剣そのものの顔で、
「お前、大学で何かあったのか? 嫌な顔をしてるぞ。昔、お前がよくしていた顔だ」
姉は鋭い。亜希ちゃんと同じ事に気づいたようだ。
隠してもダメなので、若井君との経緯を話した。
「なるほど」
姉はニヤッとした。
「まあ、虐めにはならないと思うけど、何かあったらキチンと姉ちゃんに話せよ」
「うん。ありがとう、姉ちゃん」
「お、おう」
僕が素直に礼を言ったので、姉は照れたようだ。
「モテモテだね、武君」
また亜希ちゃんの物真似。止めて欲しい。
「似てないよ、全く」
僕はあっさりと言い、階段を駆け上がる。
「あーん、武君の意地悪ゥ。亜希、泣いちゃうからァ」
まだ続けている。
もう、無反応にしよう。
口ではああ言ったけど、若井君の事が気になってしまう。
何もないといいんだけど。