その八十四(姉)
私は磐神美鈴。
とうとう大学四年生になる。
就職難のこの時代、これから先どうなる事かと不安でいっぱいだ。
家庭の事情で夜間の大学に通学している私は、昼間は工事現場で働くガテン系でもある。
そんな私の愚弟の武彦が、驚いた事に大学に合格した。
しかも、奴の幼馴染の都坂亜希ちゃんと同じ大学に、だ。
つい一年前までは、大学なんて行けないと思っていたのに。
武彦の成長を知って、嬉しい反面、寂しい気持ちもある。
だからこの前、
「じゃあさ、二人でお祝いしようよ、姉ちゃん」
と言われ、つい、
「それはやだ」
なんて、心にもない事を言ってしまった。
あいつ、後で母に訊いたら、落ち込んでいたらしい。
悪い事を言ってしまったと後悔したが、姉としてのプライドが「謝罪」を拒んでしまう。
ダメな私。謝らないと。
相手を傷つけたら、必ず謝罪する。
小さい頃から、武彦にそう教えて来た私がこれでは、示しがつかない。
そんな時、リッキーから久々に飲みのお誘い。それも、二人っきりで。
きゃああ! 二人きりだなんて、リッキーったら、エッチね。ムフ。
私はウキウキして出かける支度をした。
そこへ愚弟が帰って来た。
「お帰り、武。留守番頼む」
テンションが上がっている私は声が弾んでいたのだろう。
武彦が怪訝そうな顔で、
「あれ、どうしたの?」
ご機嫌な私はニヘラッとしながら、
「リッキーと飲むの。じゃあねん」
手を振りながら、玄関を出る。
「行ってらっしゃい」
武彦の気の抜けた声が後ろでした。
ああ、しまった、つい謝り損ねた。
ま、いっか。またの機会にしよう。
私は鼻歌を歌いながら、駅へと向かう。
待ち合わせは、取り敢えず駅前の居酒屋。で、その次は……。ムフフ。
お店は五階にあるのだが、私は全然苦にならず、軽やかに階段を駆け上がる。
五階以下はエレベーターは使用しない。
格闘家の基本だ(個人的な意見です)。
「ここだよ、美鈴」
一番奥の座敷の衝立の陰から顔を出したリッキーが爽やかな笑顔で手を振る。
周囲の女子達は、そのハンサム君の相手がどんな女かと思い、一斉に私の方を見た。
ような気がしただけだけど。
私もリッキーに手を振り返し、座敷に近づく。
あれ?
座敷の前に靴が二足。しかも、女性の靴。白。しろーっ!?
ま、さ、か!?
「時間に正確ね、美鈴さん」
私はフリーズしそうになった。
リッキーの向かいには、リッキーのお姉さんの沙久弥さんが座っていたのだ。
今日もまた、武彦が言う「ザ・美少女モード」全開だ。年上なのに可愛いのだ。
ふとリッキーを見ると、嬉しそうに私を見ている。
って事は、嵌められたの、私?
だとしても、この状況で怒る事も逃げ出す事もできない。
「お、お久しぶりです、沙久弥さん」
私はようやくそれだけ言った。
「さ、座って」
リッキーが座をずらして、私は隣に腰を下ろした。
足が下に下ろせるテーブルで良かった。
正座しなくちゃならなかったら、大変だった。
げ! でも沙久弥さんは正座してる。
「姉貴は下に足が届かないから、正座してるんだよ。気にしなくていいから」
リッキーがとんでもない事を言い出す。
「まあ、酷い事言うのね、憲太郎は」
でも沙久弥さんはニコニコしたままだ。
私も武彦に対してこのくらい余裕を持った方がいいのだろうか?
あいつは多分、深読みして来るだろうけど。
そして、飲み会が始まった。
二人っきりじゃないのはちょっとだけ不満だったけど、これもリッキーなりの気遣いだとわかった。
いつもより沙久弥さんが私に話しかけて来る。
「そんなに私って怖いの、美鈴さん?」
と尋ねられた時は、幽体離脱しそうだったけど。
リッキーめ。後でお説教よ。
私は武彦の話題とリッキーのいつも以上のジョークのおかげで、沙久弥さんと普通に会話できた。
ありがとう、リッキー。そして、お心遣い感謝致します、沙久弥さん。
それから、間接的に力を貸してくれてありがとう、武。
二人で合格祝い、しような。