その八十二
僕は磐神武彦。高校を卒業し、只今春休み中。
幼馴染で彼女でもある都坂亜希ちゃんと同じ大学に合格し、その準備に追われている。
「受験が終わったんだから、またバイトするんだぞ」
怖いけど優しい姉の美鈴にそう言われた。
言われるまでもなく、僕はバイトを再開するつもりだったけど。
大学の授業料は自分で出す。それが我が家の掟。
「そんな掟、ないわよ」
母が言ってくれたが、姉は、
「こいつは甘やかすとどこまでも甘えるから、ダメよ、そんな事言ったら」
母は、パートでありながら、管理職になった。
今までより給料が多くなったので、僕の負担軽減を考えてくれたのだが、それはそれで何だか申し訳ない。
姉は学費ばかりでなく、生活費まで稼ぎ出して、磐神家を支えてくれているのだ。
それを知りながら、僕だけ楽はできないし、姉が絶対させてくれない。
「授業料は僕が何とかするよ。だって、姉ちゃんはもっと頑張っていたから」
僕がそう言うと、
「武え!」
と姉が感動して抱きついて来た。ムニュウッと何かが押しつけられ、汗が出る。
「よく言った、武。それでこそ、我が弟だ。姉ちゃんは嬉しいぞ」
「う、うん」
それより早く離れて欲しい。しっかり、当たってるので……。その、あれが……。
姉がご機嫌なのは「合同祝賀会」が中止になったからだ。
僕と亜希ちゃんの合格祝いを、姉の婚約者の力丸憲太郎さんのご家族も交えて開く事になっていたのだが、亜希ちゃんのお父さんと憲太郎さんのご両親の予定が合わず、急遽取りやめになった。
姉は不謹慎にも、喜んだ。
「失礼よ、美鈴」
母が珍しく姉を本気で叱った。それでも姉は反省せず、
「嬉しいものは嬉しいのよ、母さん」
と遂には踊り出した。母も呆れてしまい、それ以上は何も言わない。
部屋で漫画を読んでいると、あの須佐昇君から久しぶりに電話があった。
「僕達も合格したんだ。お祝いしない?」
須佐君が合格したのは、天下の東大。凄いなあ。
須佐君の彼女の櫛名田姫乃さんは、東大は受けなかったけど、六大学に合格したらしい。
何だか、一緒にお祝いするのは気が引けそうだ。
「都坂さんは姫乃が連絡してるんだけど、多分OKだよ」
「それなら僕も」
僕はそう返事をし、一旦携帯を切り、亜希ちゃんに連絡した。
話し中? 櫛名田さんかな?
少し間を置こうと切ると、亜希ちゃんからかかって来た。
「ごめん、武君。姫ちゃんと話してたの」
「ああ、そうなんだ」
僕は長くならなくて良かったとホッとした。
「合格祝いをしようって言われたの。武君には須佐君が電話して、OKもらったって聞いたんだけど?」
「え?」
あれれ? やられたかな? まあ、いいか。
僕は須佐君に言われた事を亜希ちゃんに話した。
「全くもう。姫ちゃんが企んだのね。そんな事しなくても、断わったりしないのにね」
「そうだね」
「沙久弥さん達とのお祝いの会ができなくなったので、寂しかったから、ちょうど良かったわ」
「そうなんだ」
亜希ちゃん、楽しみにしてたんだ。偉いなあ。僕も姉ほどじゃないけど、ホッとしたのに。
「沙久弥さんを呼ぶ?」
僕は別に他意なく言ったつもりだったのだが、亜希ちゃんは、
「そんなに沙久弥さんに会いたいの、磐神君?」
と危険度アップの台詞。僕は狼狽えた。
「ち、違うよ、そんなつもりでは……」
「冗談よ」
亜希ちゃんは笑っているようだ。「磐神君」は冗談に聞こえないから勘弁して、亜希ちゃん。
「武君が、沙久弥さんに凄く感謝してるのはわかるから。ごめんね、からかったりして」
「いや、僕の方こそ無神経だったよ。ごめん」
嫌な汗を拭いながら言う。すると亜希ちゃんは、
「そういうとこがモテるのね、きっと。優しいんだもん、武君て」
そんな事を言われると、顔が爆発しそうなくらい赤くなる。
「沙久弥さんと憲太郎さんには、改めてお礼をするとして、今回は四人だけでお祝いしましょ」
亜希ちゃんの提案に僕は全面的に賛成した。
「美鈴さんも呼ばないと、怒られるかな?」
「聞いとくよ」
僕は笑いを噛み殺して応じた。
僕は出かける支度をして、玄関に行った。
すると姉も二階から降りて来た。
「出かけるのか、武?」
「うん。亜希ちゃんと須佐君と櫛名田さんとで、合格のお祝い会」
「ふーん」
何だか、「姉ちゃんも混ぜて光線」を目から発している気がする。
「姉ちゃんにも、沙久弥さん達と合同でお礼の会を開くから」
僕がそう言うと、姉の顔が一瞬引きつる。
「ああ、そうなの、嬉しいわあ、姉ちゃん」
棒読みの台詞を言い、姉は居間に消えた。
そんなに沙久弥さんが苦手なの?
何だか、沙久弥さんが可哀想になって来る。
「じゃあさ、二人でお祝いしようよ、姉ちゃん」
居間に聞こえる声で言うと、
「それはやだ」
という返事。
何なのさ、全く……。
面倒臭い姉だなあ。