その七十四
僕は磐神武彦。高校三年。
先日、志望大学から、「第二次試験受験票」が届いた。
それを玄関で見て、涙が出た。
母や姉、そして彼女の都坂亜希ちゃん、姉の婚約者の力丸憲太郎さん、そのお姉さんの沙久弥さんと、様々な人達の顔が浮かんだ。
「やったな、武。姉ちゃんは嬉しいぞ」
姉に言われた。驚いた事に、姉も涙ぐんでいる。
その事を言うと、また怒り出しそうなので、敢えて何も言わなかった。
「連絡する人がいるだろ?」
姉が涙を拭いながら言う。
「母さんは仕事中だよ」
「母さんにはメールしとけ。それより、もっと伝えないといけない人がいるだろ?」
姉がちょっと怒り口調で言う。
「あ、沙久弥さん?」
「やっとわかったか、バカめ。誰よりもお前の実力向上に手を貸してくれた人を忘れてどうする!」
何で姉にそこまで怒られないといけないのか疑問だが、仕方ない。
僕はすぐに沙久弥さんに連絡した。
「はい」
何故か男の人が出た。憲太郎さんではない。あ、そうか、彼氏の西郷さんか?
「ああ、すみません、沙久弥さん、お忙しいですか?」
僕はアタフタして尋ねた。
「ああ、いえ、そんな事はないですよ。自分の方が近くにいたから、出ただけです。代わりますね」
西郷さんはそう言って沙久弥さんに代わってくれた。
凄いな、沙久弥さん達。携帯に恋人が普通に出て平気なんだ。
「こんにちは、武彦君。結果が出たのね?」
「はい。お陰様で、無事二次試験に臨めます。ありがとうございました」
僕は本当に感謝の気持ちを込めて言った。
「武彦君の実力よ。私の力なんて、微々たるものだから」
ああ、何て謙虚な沙久弥さん。思わず、隣で聞き耳を立てている姉を見てしまう。
「今度は、二次試験ね。また対策を練りましょう」
「はい。本当にありがとうございました!」
僕は目の前に沙久弥さんがいるかのように頭を下げ、携帯を切った。
そして、改めて姉を見る。
「な、何? 何か文句あるの?」
被害妄想友の会会員になれそうな姉が、ムッとして言う。
呆れそうになるが、何とか堪えた。
「姉ちゃん、ありがとう。姉ちゃんがいなければ、僕、ずっと前に諦めてた」
「や、やだ、武、そんな事言わないでよ!」
姉がまた泣き出す。何か、可愛い。
「ホントだよ。姉ちゃんには、凄く感謝してるから」
「お、おう」
姉は照れ臭いのか、そそくさと階段を上がって行ってしまった。
その時、まるでタイミングを計っていたかのように、携帯が鳴った。
亜希ちゃんからだ。
「武君、通知、届いた?」
亜希ちゃんはほんの少しだけ、怖そうに尋ねた。そんな気がしてしまった。
「受験票が届いたよ。亜希ちゃんももちろんそうだよね?」
「そう、良かった。うん、私にも受験票が届いたよ。武君には、いろいろ強気な事言ったけど、ホントはドキドキしてたの」
「そ、そうなんだ」
ああ、可愛いなあ、亜希ちゃん。強がってみせてたなんて。
「ちょっとだけ、お祝いしない?」
「あ、うん」
僕はその時、須佐君と櫛名田さんの事を思い出した。
「じゃあ、ドコスでいい?」
「うん」
「三十分後に現地で、ね」
「あ、うん」
携帯を切ってから、僕はあれ、と思った。
「何で現地集合なんだろう?」
二人なのに?
そんな疑問を抱きながら、僕はドコスに行った。
そして、疑問が氷解した。
そこには、須佐君と櫛名田さんもいたのだ。
「久しぶり、磐神君」
須佐君と櫛名田さんが笑顔で言った。
「えと、あの……」
事情が飲み込めない僕は、口をパクパクさせてしまった。
亜希ちゃんが事情を説明してくれた。
櫛名田さんは、須佐君が太鼓判を押していたそうなんだけど、無事二次試験の受験票が届いた。
そして、心配していた須佐君にも、受験票が届いたそうだ。
「本当に?」
僕は須佐君に尋ねた。須佐君は苦笑いして、
「この期に及んで、嘘吐いたりしないよ」
と頭を掻きながら答えた。
僕はホッとした。
「きっと、昇の思い違いなのよ。結構、オッチョコチョイなんだから」
そんな毒を吐く櫛名田さんも、嬉しそうだ。涙ぐんでいるし。
「そうかもね」
須佐君は笑顔で櫛名田さんを見ている。
僕達は二次試験受験を祝って、コーラで乾杯した。
「本番はこれからなんだけどね」
亜希ちゃんが言った。その通りだ。
センター試験はあくまで前哨戦。
僕らが受験する大学は、センター試験は「足切り」の判断材料でしかないのだ。
そして、須佐君と櫛名田さんが受験する大学は、それ以上の難関。
「頑張ろうね、お互い」
櫛名田さんが言う。僕達はそれに頷いた。
「それから」
亜希ちゃんと櫛名田さんが、バッグの中から何かを取り出した。
「当日は集まれないと思うから、早いけど今日すませちゃうね」
「え?」
僕と須佐君はキョトンとした。
「はい、これ」
亜希ちゃんが僕に、櫛名田さんが須佐君に、奇麗なラッピングをしてリボンが付けられた箱を差し出す。
「一足早いバレンタインデーよ」
櫛名田さんが照れ臭そうに言った。僕は須佐君と顔を見合わせてしまった。
「ほら、二人共、何か言いなさいよ!」
櫛名田さんが催促する。
「あ、ありがとう」
僕と須佐君は、その箱を恭しく受け取った。
「お返しは、倍返しね」
櫛名田さんが悪戯っぽく笑って言い添えた。僕と須佐君は、苦笑いするしかなかった。
思わぬ展開に嬉しいやら恥ずかしいやらで、僕達は楽しい一時を過ごした。
そして、いよいよ本番に向けて活動を開始するため、僕達はドコスを出た。
「じゃあね」
須佐君達と店の前で別れ、亜希ちゃんと歩き出す。
「知ってる、武君?」
不意に亜希ちゃんが言った。
「え? 何?」
亜希ちゃんは嬉しそうに、
「ドコスで乾杯すると、受験、合格するっていう噂を」
「知らないよ。そうなんだ」
僕も微笑んだ。亜希ちゃんは前を見て、
「それからね。ドコスで、チョコを渡すと、恋の願いが叶うんだって」
「え?」
そんなのもあるの?
「それは関係ないと思うな」
僕は苦笑いしながら言った。すると亜希ちゃんはムッとしたみたいだ。
「何よ、信じないの、武君は!?」
僕は慌てて言い添える。
「だって、そんな事しなくても、僕達、大丈夫だよ」
「武君……」
亜希ちゃんが涙ぐむ。僕はその顔があまりにも可愛かったので、照れ臭くなって俯いた。
「嬉しい」
亜希ちゃんが腕を組んで来た。僕はドキッとした。
「受験、頑張ろうね、武君」
「うん」
肩を寄せ合って歩く舗道に、雪がチラチラ舞い降りて来た。