その七十一
僕は磐神武彦。高校三年。
只今、受験真っ只中。
センター試験は何とか乗り切った。
そして、彼女である都坂亜希ちゃんと共に入学する予定の国立大学の試験の願書を提出した。
進路指導の先生からも、
「油断は禁物だが、安全圏内だ。ケアレスミスに気をつければ、まず間違いないだろう」
と言われた。
でも、手放しで喜べない。
中学の時の同級生である須佐昇君が、センター試験でマークミスをしたのだ。
それも第一日目の全教科で。
須佐君は二日目を完全復活で乗り切ったらしいが、須佐君の彼女の櫛名田姫乃さんが落ち込んでいるらしい。
「姫ちゃん、もし須佐君がどこにも合格できなかったら、自分も浪人して須佐君と受験するって」
亜希ちゃんは辛そうに僕に教えてくれた。
学校は自宅学習期間に入り、正規の授業は終了している。
僕達は、目標の大学の下見に行った帰りだ。
今は西日が射し込む電車の中。
隣に座っている亜希ちゃんは、とても悲しそうに見える。
「そうなんだ」
僕もシュンとしてしまった。
「でもね、それを須佐君に言ったら、もの凄く怒られたらしいわ。僕をバカにしているのかって」
亜希ちゃんは前を向いたままで続けた。
「……」
僕には、須佐君が櫛名田さんに怒る姿が想像できない。
でも、須佐君の気持ちはよくわかる。
だって、もし、自分が浪人して、そのせいで彼女が大学に行くのを止めたりしたら、やるせないもん。
「姫ちゃんだって、須佐君が怒る気持ちは理解しているの。でも、自分だけ大学に行く事の方が辛いって言ってた」
亜希ちゃん、段々涙ぐんで来ている。
「僕達はなしだよ、亜希ちゃん」
「え?」
不意に妙な事を言った僕を、潤んだ目で見る亜希ちゃん。
可愛い。
なんて思っている場合ではない。
「僕が不合格になっても、亜希ちゃんは大学に行ってよ」
僕は亜希ちゃんを何とか真っ直ぐに見て言った。
「やめてよ、そんな事言うのは」
亜希ちゃんはキッとして僕を見る。少しだけ尖らせた口が、また可愛い……。
ダメだなあ、僕って。もしそんな事になったら、
「一緒に浪人して!」
とか言い出しそうで……。
「私達は、絶対に一緒に大学に入学するの!」
周囲の人が驚いて一斉に僕達を見ても、亜希ちゃんは気にしていなかった。
「どちらかが不合格だったらなんて、今考えないで、武君」
亜希ちゃんの目から涙が零れ落ちた。
「ごめん」
僕は自分がどれほど考えなしに喋ったのか、思い知った。
亜希ちゃんは泣き出してしまい、僕は慌てて亜希ちゃんを伴い、次の駅で電車を降りた。
そして、他の乗客の邪魔にならないようにホームの階段下に行った。
「ごめんなさい」
亜希ちゃんはハンカチで涙を拭いながら言った。
「謝るのは僕の方だよ。亜希ちゃんの気持ちも考えないで、後ろ向きな発言してごめん」
「ありがとう、武君」
潤んだ目で微笑む亜希ちゃんに僕はノックアウト寸前だ。
それなのに、亜希ちゃんは追い討ちをかけるように目を閉じた。
これは、まさか……。
いくら階段の陰だからって……。
でも結局僕は、その強烈な「誘惑」に負け、キスした。
「たまには、武君から仕掛けてよ」
亜希ちゃんは悪戯っぽく微笑み、言った。
倒れそうだ。
もしかして僕は、須佐君以上に手玉に取られているのだろうか?
まあ、いっか。
そして、夕暮れ時。
亜希ちゃんを家まで送り、僕も帰宅した。
「お帰り、早かったな」
大学がすでに終業している姉は、今は毎日仕事が終わると真っ直ぐ家に帰って来る。
「姉ちゃんこそ、早かったね」
僕は他意なくそう言ったつもりだ。
しかし、天性の被害妄想の気がある姉は、どうやら曲解したようだ。
「早く帰ると悪いのか?」
「え?」
ギクッとする。
僕のために(頼んだ訳じゃないのに)酒断ちをしてくれている姉は、機嫌が悪くなるのが早い。
「あー、ストレス溜まった! ちょっと解消させて」
「ええ!?」
いきなり羽交い絞めにされる僕。
「痛いよ、姉ちゃん!」
「もう少し我慢しろよ」
姉は更に力を入れる。こうなると、抵抗する方が疲れるので、僕は全面降伏した。
「武」
すると急に姉は羽交い絞めを解き、僕を抱きしめてくれた。
「頑張れ、武。あともう少しだ。負けるな」
耳元で言われ、キュンとなった。
しかもさっきからずっと、あの感触が……。
「うん」
何だか、迷いが解けた気がする。
どうしてだろう?
ありがとう、姉ちゃん。頑張るよ。




