その六十八
僕は磐神武彦。高校三年。
センター試験まで一週間を切った。
いよいよ本番。何だか緊張している。
「今まで通りで大丈夫だよ、武君」
僕の彼女、都坂亜希ちゃんが言ってくれた。
何よりの励みになる。
亜希ちゃんと同じ大学に入学する。
しかも、同じ年度に。
それが今の僕の最大の目標だ。
話は少し過去に遡る事になる。
僕は、元旦に無理矢理連れて行かれた姉との「強行初詣」の「口直し」と言っては失礼かも知れないが、亜希ちゃんと二人で初詣に来ている。
同じ神社に二度行くのは何となく縁起が悪いし、姉の書いてくれた絵馬を見るのも気が引けたので、少し足を伸ばして、隣の市の神社に行った。
「凄い賑わいだね」
晴れ着姿の亜希ちゃんは、周囲のどの女の子よりも可愛い。
行き交う男性が皆、亜希ちゃんに見とれている気がする。
いや、もしかすると、亜希ちゃんの隣にいる不釣合いな男を見ているのかも……。
一瞬、そんなマイナス思考が頭を過ぎるが、
「マイナス思考はしないように」
と言われた事を思い出した。
誰にって、姉の婚約者の力丸憲太郎さんのお姉さんの沙久弥さんにだ。
「どうしてもそういう思考に陥りそうになったら、この前教えた気の巡らせ方を実践してみて。そうすれば、大丈夫」
微笑んで説いてくれた沙久弥さん。
嬉しそうに頷く僕の右腕を亜希ちゃんが抓った。
ごめん、亜希ちゃん。そんなつもりはないんだけど。
「あら、亜希」
隣の市の神社に来たのに、何故か櫛名田姫乃さんと須佐昇君に出会った。
「ああ、姫ちゃん。おめでとう」
僕らはそれぞれ新年の挨拶をした。
「どうしてこの神社に来たの?」
亜希ちゃんと櫛名田さんが同時に言ったので、僕らは大笑いしてしまった。
「私達は、明け方に近所の神社に初詣をしたから、今度はここまで来てみたの」
亜希ちゃんが説明すると、
「二度目? そんなに追い詰められてるの、磐神君?」
櫛名田さんがあまりに直球な質問だ。
「そういう訳じゃないんだけどね」
亜希ちゃんは苦笑いして僕を見た。
「最初の初詣は、姉が一緒だったんだ」
「え、お姉さんは一緒じゃないの?」
須佐君が残念そうに言ったので、櫛名田さんが、
「あんた、まだそんな事を!」
と怒り出す。
「まあまあ」
亜希ちゃんがすかさず櫛名田さんを宥めた。
「男って、どうしても他所に目が行くのよ」
亜希ちゃんはそう言いながら僕をチラッと見た。
思わずギクッとしてしまう。
僕はバツが悪くなって思わず目を泳がせた。
その時、ハッとする光景を見た。
人混みの中に、沙久弥さんを見つけた。
沙久弥さんも晴れ着を着ている。
髪もそれっぽく結っていて、艶やかとでも言えばいいのだろうか。
そして、その隣に立つ紋付袴姿の男性。
体つきからして、柔道とかの格闘技系の人に見える。
もしかして、沙久弥さんの彼?
「あら、武彦君」
沙久弥さんも僕に気づき、その男性と近づいて来た。
二人の身長は三十センチくらい違うだろうか?
櫛名田さんと須佐君は、突然現れた「美少女」に驚いている。
僕と亜希ちゃんは、
「あけましておめでとうございます」
と挨拶した。
「おめでとうございます。今年もよろしくね」
沙久弥さんは微笑んで言った。
須佐君は僕に、
「誰なの、紹介して!」
と言わんばかりにアイコンタクトして来る。
櫛名田さんに気づかれたら大変だよ、須佐君。
「こちら、武君のお姉さんの婚約者の力丸憲太郎さんのお姉様の沙久弥さん」
亜希ちゃんが櫛名田さんに沙久弥さんを紹介した。
須佐君は「お姉さん」だとわかり、何だかますます嬉しそうだ。
須佐君て、実は「年上好き」なのかな?
「初めまして。沙久弥です。それから」
沙久弥さんは隣の男性を見上げて、
「私の弟子の西郷隆君」
弟子? 弟子なの?
「酷いなあ、沙っちゃん。弟子はないよ」
西郷さんは苦笑いして言った。
「あら、嘘は言っていないわよ」
沙久弥さんは愉快そうに笑う。
「それはそうだけどさ」
西郷さんは沙久弥さんの彼氏で、沙久弥さんの道場の門下生なのだそうだ。
確かに嘘は言っていないけど、西郷さん、何だか可哀想。
僕達は一通りの挨拶をすませると、神社に向かった。
参道を歩きながら、僕はある事を思い出した。
「沙久弥さん、年末から家族旅行だったんじゃないんですか?」
僕がそう尋ねると、亜希ちゃんも興味津々な顔で沙久弥さんを見た。
「あら、どうして知っているの?」
「姉がそのせいで、年末から飲んだくれてるんです」
僕が理由を話すと、沙久弥さんは溜息を吐いて、
「憲太郎は、美鈴さんに旅行が中止になった事を話していないのね」
「えっ?」
何だか今、ものすごく怖い情報を入手した気がする。
「仕方がないわね。帰ったらお説教ね」
「えっ?」
何と、憲太郎さんは姉だけではなく、沙久弥さんにも説教されてしまうらしい。
まずい事を言ったかなあ。
すると思わぬところから、憲太郎さんに援護射撃が。
「いや、憲ちゃんは、彼女に連絡していたよ。但し、相手が泥酔状態だったらしくて、話が通じていないかも、と言っていたよ」
西郷さんが話してくれた。沙久弥さんはそれを聞いて、
「それは伝えた事になりません。あの子は昔から、その辺がいい加減なのよ」
あらら、沙久弥さんは納得していないか。
まあ、そうだろうなあ。
「新年早々、そんな話はしたくないけど」
沙久弥さんはまた溜息を吐いた。
「僕、余計な事言ったかな?」
小声で亜希ちゃんに尋ねた。
「仕方ないわよ。そんな話になるなんてわからなかったのだから」
「そ、そだね」
亜希ちゃんの言葉に僕は少しだけホッとした。
やがて本日「二度目」の初詣をすませ、沙久弥さん達と別れ、家へと向かう。
須佐君が沙久弥さんに何か訊きたそうだったのを櫛名田さんが気づき、
「何よ、この浮気者!」
と怒ると、
「ち、違うよ、姫乃。沙久弥さんは、東大卒なんだよ。だから、東大受験について訊きたい事があったんだよ」
須佐君、言い訳が苦し過ぎるよ。
それでは、僕も納得しないから。
「後でゆっくり話をしましょう」
「いてて!」
「じゃあね、亜希、磐神君」
須佐君は櫛名田さんに耳を引っ張られて去って行った。
「またね」
僕と亜希ちゃんは二人に手を振り、また歩き出す。
「今日は何だか、色々な事があったね」
「そうだね。沙久弥さんの彼氏さん、身体は大きいのに、沙久弥さんには敵わないみたいね」
亜希ちゃんがそう言った時、僕は危うく、
「僕もそうだよ」
と言いかけ、何とか言葉を呑み込んだ。
亜希ちゃんを家まで送り、僕は自分の家に向かった。
「あれ?」
家の前に姉が立っている。もう晴れ着はぬいでしまい、上下スウェットだ。
どうしたんだろう? 誰か待っているのかな?
「武!」
えっ? 何? 僕、何か悪い事した?
「あんた、沙久弥さんに何を話したのよ!?」
「え? 沙久弥さんに?」
僕は何かまずい事を言ったかな、と思い返してみた。
姉は僕の襟首をねじ上げて、
「美鈴さん、あまりお酒を飲み過ぎないようにしてねって、さっき電話を頂いたのよ!」
「げっ」
そ、その事か? まずいぞ、これは。
「お仕置きだべー!」
姉のスリーパーホールドが決まった。
新年早々、これかよ……。
でも、新年早々、あの感触も……。
今年も良い年になりそうだ……。