その六十七
僕は磐神武彦。高校三年。
受験生なので、クリスマスもお正月もない。
しかし、姉はそんな事は関係なく、年末年始は飲んだくれていた。
そして、一月一日の夜明け前。
「武、今から初詣、行くぞ!」
酒臭い息を撒き散らしながら、姉が僕の部屋に入って来た。
しかし、格好だけは決めている。
振袖だ。普段はがさつだが、姉は着付けを自分でできる。
こういうのを着ると、やっぱり姉が奇麗なのがよくわかる。
僕は夜通し問題集と格闘していたので、疲れ切っていた。
だが、姉には僕の体調など関係ないのだ。
「亜希ちゃんも来てるんだぞ。早く支度しろ!」
姉はそう言ってドアを勢いよく閉めた。
年明け早々、理不尽全開だ。
でも、亜希ちゃんも一緒なら、是非行きたい。
亜希ちゃんとは、去年の僕の誕生日から付き合い始めたので、今年が初めての初詣だ。
亜希ちゃんも振袖だ。初めて見た。奇麗だ。見とれてしまう。
夏の浴衣も素敵だったけど、やっぱり本格的な着物はいいなあ。
できれば二人で行きたいのだけれど、そんな事を言えば、姉が拗ねて暴れると思い、グッと言葉を飲み込んだ。
姉も婚約者の力丸憲太郎さんと行けばいいのに。
そう思ったので、
「憲太郎さんと行かないの?」
「リッキーは家族で旅行中なの!」
また酒臭い口で怒鳴る姉。
なるほど、大晦日から機嫌が悪かったのはそういう事か。
まずい事を思い出させたかな?
「何だよ、姉ちゃんは邪魔者か!?」
うわ、絡み酒だ。
「そんな事言ってないよ」
僕は困惑した顔で亜希ちゃんを見た。
「美鈴さん、早く行かないと、混雑しますよ」
「優しいねえ、亜希ちゃんは。武とは大違い」
亜希ちゃんのナイスフォローで機嫌は直った。
「さ、行こう」
しかし、姉は亜希ちゃんの手を取り、まるで恋人同士のように歩き出す。
今度は僕が邪魔者みたいだ。
亜希ちゃんは苦笑いしている。
酔っ払いに何を言っても無駄だから、諦めるか。
「もう一度、二人で行こうね」
僕は亜希ちゃんに囁いた。
「うん」
亜希ちゃんは嬉しそうに頷いてくれた。
向かったのは、家から歩いて行ける厄除け不動尊。
まだ夜明け前だというのに、結構な人が歩いている。
小さい頃は、お参りより露店の方が気になったが、今回は違う。
何が何でも、亜希ちゃんと同じ大学に一緒に合格する。
その思いがあるから、目的もしっかりしている。
道行く人、特に男の人が、僕らを見ている。
赤い顔をしてヘラヘラしている美人と、それを支えるようにして歩いている美人。
そして、その二人の美人のお付きのように後ろから歩いている男。
どんな関係に見えるのだろう?
とにかく、姉と亜希ちゃんの二人は、男性陣の視線を集めていた。
喧嘩まで始める若いカップルや、奥さんが呆れて先に行ってしまう年配の夫婦がいた。
何だか、妙に誇らしい。
途中で、
「武ェ、綿飴買って!」
と姉にしつこく言われたのは恥ずかしかったけど。
そして、お参りをすませる頃には、姉も酔いが覚めて来たみたいで、
「あれ、どうして私だけ綿飴持ってるの?」
と不思議そうな顔をしていた。
僕と亜希ちゃんは笑いを噛み殺して、顔を見合わせた。
「武君」
亜希ちゃんがそっと顔を近づけて来た。
「何?」
僕はドキッとして亜希ちゃんを見る。
「もしかして、徹夜で勉強してたの?」
「うん。何となく、問題集を解いてたら、終わりにできなくて、姉ちゃんが呼びに来て……」
亜希ちゃんは呆れた顔になった。
「この時期は無理しちゃダメよ。もうセンター試験まで半月もないのよ」
「そ、そだね」
僕もそれはわかっていたが、何かをしていないと落ち着かないのだ。
本当は初詣だって来るつもりはなかった。
「そんなに深刻にならないで、武君。油断は禁物だけど、私達はもう安全圏内なのは確かだから」
「うん」
亜希ちゃんの優しい笑顔に癒され、僕は気持ちが楽になった。
ふと気づくと、姉の姿がない。
「姉ちゃん?」
僕は周囲を見回した。
まさか、拗ねて帰っちゃったのか?
「武君、こっち」
亜希ちゃんが絵馬をかけてある所から呼ぶ。
亜希ちゃんは人差し指を口に押し当てて、手招きする。
僕は声を出さずに亜希ちゃんに近づき、絵馬の向こうを覗き込んだ。
そこには、絵馬に向かって熱心に何か願い事を言っている姉がいた。
う。まずい、泣きそうだ。
姉ちゃん、僕達のために絵馬を買ってくれたのか。
「武君」
亜希ちゃんは僕を引っ張るようにして、そこから離れた。
「美鈴さんには何も言わないでね。きっと、内緒でお願いしているつもりだろうから」
「そうだね」
照れ屋の姉なら、そうかも知れない。
僕達は姉を探しているフリをして、絵馬に近づいた。
「あ、そこにいたの、姉ちゃん」
わざとらしい言葉に気づかれると思ったが、姉の方がビクッとしている。
「お、おう。そろそろ帰ろうか」
姉は自分の書いた絵馬を見られたくないのか、僕と亜希ちゃんの背中を押し、絵馬から無理矢理離れさせる。
姉の顔が赤いのは、酔いのせいではないだろう。
ありがとう、姉ちゃん。
絶対合格するからね。