その五十二
僕は磐神武彦。高校三年。
進路指導の先生のところに行き、亜希ちゃんと一緒に某国立大学を受験する事を話した。
「そうか。いいんじゃないか」
そんな風に言われるとは思わなかったので、僕はビックリした。
「どうした、そんな顔をして? 冗談はよせとでも言われると思ったのか?」
先生はニヤッとして言う。僕は図星を突かれて、
「はあ、まあ……」
すると先生は書類を整頓しながら、
「お前は本当に見違えるように進化したって、各教科の先生に聞いている。元々、あの磐神美鈴の弟だと知っていたから、潜在能力はあると思っていたよ」
「はあ」
姉の存在は、こんなところにまで知られていた。姉はこの高校の卒業生ではないのに。
「お前、自分の姉さんがどれほど頭がいいのか知らないのか? 全国模試上位の常連だったんだぞ」
やや呆れ顔で言われると、ギクッとする。
「姉ちゃんは怖い」
それしか刷り込まれて来なかった僕は、実際の話、姉が頭がいいかどうかなんて考えてもみなかった。
よく思い出してみると、姉は随分進路で悩んでいたように思う。
父を早くに亡くして、母の苦労を痛いほど感じていた姉は、夜間がある大学を選び、本当に行きたかった大学を諦めた。
でも気丈な姉は、その事を誰よりも気にしている母には絶対に言わなかった。
僕も強く口止めされた。
「もし喋ったら、本当に殺す」
姉に脅かされて、僕は漏らしてしまった事を思い出した。
ううう。
「だからさ」
先生の声に、ふと現実に引き戻される。
「お前がやっと勉強する気になって嬉しいよ」
「ありがとうございます」
僕は頭を下げた。先生は微笑んで、
「お前ならきっと都坂と一緒に大学に行ける。信じているよ」
今日は本当に感激した。
僕が進路指導室を出ると、亜希ちゃんが駆けて来た。
「どうだった、武君?」
亜希ちゃんは心配そうだ。僕はニッコリして、
「磐神美鈴の弟だから、大丈夫だって」
「そう」
亜希ちゃんは涙ぐんでいた。もらい泣きしそうなのを何とか堪える。
「美鈴さんに感謝しないとね」
「うん」
僕達はしばらくして下校した。
「ごめんね、武君。今日はここで」
亜希ちゃんは田舎から出て来た従妹と買い物の約束があるらしい。
「本当は一緒に行きたいんだけど、人見知りする子だから」
亜希ちゃんは申し訳なさそうだが、僕もその子の気持ちがよくわかるので、
「気にしないで。じゃ、また明日」
「うん」
亜希ちゃんは別れ際に片目を瞑って手を合わせ、去って行った。
胸がキュンとするほど、可愛かった。
僕はそのまま家に向かった。
「あ」
あるビルの建設工事現場の前を通りかかった。その工事は、姉がアルバイトで行っている会社が請け負っている事が看板に書かれていた。
「姉ちゃん、いるのかな?」
車両の出入り口から中の様子が少しだけ見えた。
「さっすが美鈴ちゃん! 頼りになるねえ」
男の人の声がした。そちらを見ると、セメントの袋を二つも肩に担いだ姉がいた。
うわ、ホントに凄い!
「これくらい、余裕っすよ、監督」
姉は笑いながら運んで行く。
「姉ちゃん……」
今まで生きて来て、一番心が震えた瞬間だった。
昼間、あれほどの肉体労働をこなして、夜は大学の講義を受ける。
休みの日は恋人の力丸憲太郎さんの応援のために試合を見に行く。
凄いよ、姉ちゃん。
涙が出て来た。
歩き出す。
姉ちゃん、僕は絶対に亜希ちゃんと同じ大学に合格するからね。
だから、無理しないでよ。
これからは、どんどん炊事当番代わってあげるからさ。
でも、毎日はきついから、たまには当番こなしてよね。




