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姉ちゃん全集  作者: 神村 律子
高校三年編
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その五十

 僕は磐神いわがみ武彦たけひこ。高校三年。


 先日、幼馴染で彼女でもある都坂みやこざか亜希あきちゃんと映画を観に行った帰り道の事。


 姉の婚約者である力丸憲太郎さんのお姉さんの沙久弥さくやさんに会った。


 二度目だけど、それでも緊張した。


 亜希ちゃんが早とちりして、嫉妬したらしいのは、何だかとっても嬉しかったけど。


 


 そして、とうとう、「姉ーズ」との食事会の日が来た。


 僕と亜希ちゃんは制服にしようと決めていたので良かったが、姉が手間取った。


「美鈴、いつまで悩んでいるの! 遅れるわよ」


 母の言葉に姉は余計焦り、パンプスを履き損ねたまま、玄関を飛び出して来た。


 結局姉は、紺のスーツを着ていた。


 最初はドレスを着て行こうとしていたので、


「場所は日本料理のお店なんでしょ? そんな服装じゃおかしいわよ」


と母にたしなめられた。


「沙久弥さんと憲太郎さんによろしくね」


 母は、テンパっている姉にではなく、僕と亜希ちゃんに告げる。


「うん」


 僕は母が買って来てくれた有名和菓子店の菓子折りが入った袋を持ち、


「姉ちゃん、行くよ」


「う、うん!」


 ようやく落ち着き始めた姉を促し、駅へと歩き出す。


「何だか、ドキドキするね、武君」


 亜希ちゃんが囁く。僕は苦笑いをして、


「そだね」


とだけ答えた。姉を見ると、何かブツブツ呟いている。


 どうやら、沙久弥さんに挨拶するようだ。


「本日はお招きいただきまして、誠にありがとうございます」


 そんな言葉が聞こえて来た。


 


 そんなこんなで、僕達は沙久弥さんと憲太郎さんが待つ日本料理店に到着した。


「うわ……」


 想像以上の雰囲気に、僕は思わず声を上げてしまった。


「高そうなお店だね」


 亜希ちゃんも緊張した顔で言った。


「本日はお招き……」


 姉はそれどころではないようだった。


「いらっしゃいませ」


 中に入ると、静かな音楽が流れ、川のせせらぎが聞こえる。


 ふと見ると、本当に店の中に川が流れている。もちろん、造った川だろうけど。


 僕は思わず亜希ちゃんと顔を見合わせた。


「ご予約の力丸様のお連れ様ですね。こちらです」


 何も言っていないのにどうしてわかったのだろう。


 品のある着物姿の女性に案内され、僕達は店の奥に通された。


「はあ……」


 更に溜息が出る。川にかかる短い石の橋を渡り、石畳が敷かれた通路を抜けると、そこには日本庭園が広がり、よく時代劇のドラマで見かける「ししおどし」があった。


 ほとんど異空間だ。また亜希ちゃんと顔を見合わせてしまう。


「こちらになります」


 女性が示したのは、素手で触ると怒られそうなくらい奇麗な襖だ。


「失礼致します。お連れ様、ご到着でございます」


「はい。お通しして下さい」


 中から凛とした沙久弥さんの声が聞こえた。


 女性は襖の前の縁側に正座して、ススッと襖を途中まで開き、一度お辞儀をしてから更に襖を開き、


「どうぞ」


と僕たちを見て言った。僕達は姉を先頭に女性に会釈をしながら、部屋の中に入った。


「失礼します」


 僕達が中に入ると、女性はまたお辞儀をして襖を閉めた。


「いらっしゃい、皆さん。さあ、おかけになって」


 漆塗りの大きなテーブルの向こう側に沙久弥さんが鎮座していた。


 先日とは違い、浅黄色の着物を着ていて長い髪をまとめた沙久弥さんは、すっかり大人の女性で、あの可愛らしさはなく、むしろ妖艶ささえ漂わせている。凄い変貌振りだ。


 僕は思わず見とれてしまった。


「武君、失礼よ」


 亜希ちゃんに小声で注意された。


「ほ、本日はお招きいただきまして、誠にありがとうございます……」


 姉が唐突に挨拶を始めてしまった。


「まあまあ、そんな堅苦しい事はいいから。座って、三人共」


 沙久弥さんの付き人のようにテーブルの脇に座っていたチャコールグレーのスーツを着た憲太郎さんが言った。


「は、はい」


 姉はホッとした顔で憲太郎さんを見た。


 今日初めて、姉の笑顔を見た気がする。


「つ、つまらないものですが、どうぞ」


 姉は僕に渡された手土産を沙久弥さんに差し出した。


「お気遣いなく。憲太郎」


 沙久弥さんはニコッとして憲太郎さんを見る。


 憲太郎さんが姉から紙袋を受け取り、テーブルの下に置いた。


 僕達はようやく何かの呪縛から解放されたように腰を落ち着ける事ができた。


「ごめんなさいね、美鈴さん。私の我がままでこんなところにおいでいただいて」


 沙久弥さんが言う。姉は引きつった顔で笑い、


「とんでもないです」


 沙久弥さんは姉の緊張気味な様子を感じたのか、


「ここにいるのは、皆身内同然なのですから、そんなに緊張しないでね、美鈴さん」


 身内同然と言われて、僕はまた亜希ちゃんと顔を見合わせた。亜希ちゃんの顔が赤い。


 


 やがて料理が運ばれて来て、食事会が始まる。


 沙久弥さんも憲太郎さんもお酒を飲まないので、酒豪の姉も今日は我慢だ。


 それに酒が入って大失態をしては困るので、姉も飲むつもりはなかったようだが。


 でも、想像していたよりは、落ち着いて食事ができて良かった。


 亜希ちゃんのおかげかな?


 姉があそこまで緊張するとは思っていなかったので、彼女が同行してくれたのは、本当に助かった。


「楽しかったわ、武彦君、亜希さん。また次回もよろしくね」


「はい」


 僕と亜希ちゃんは息を合わせたつもりはなかったが、見事に声を揃えて返事をした。


「美鈴さん」


 沙久弥さんの声に姉がピクリと反応する。可哀想なくらいだ。


「憲太郎の事、頼みますね」


「は、はい」


 姉は背筋を伸ばして返事をした。沙久弥さんは優しく微笑んでいたが、憲太郎さんは肩を震わせて笑いを堪えていた。




 今日はこのお店は貸切だった。経営者の人が、沙久弥さんのお友達の父親なのだそうだ。


 だからお店の人は、すぐに「お連れの方」だとわかったのだ。


 沙久弥さんは先に帰って行った。これから師範として道場で稽古をつけるのだそうだ。


「ふう」


 沙久弥さんが帰ると、姉はホッとして足を畳の上に投げ出した。


「ごめんな、美鈴。辛かったろ?」


 憲太郎さんが姉をねぎらった。姉は苦笑いして、


「大丈夫。今日はリッキーと武と亜希ちゃんがいてくれたから」


 憲太郎さんが大笑いした。僕と亜希ちゃんは顔を見合わせてクスッと笑った。


「それじゃあ、今度手ほどきしたいって言う姉貴の話は、断った方がいいかな?」


「て、手ほどき?」


 姉がギクッとして正座した。憲太郎さんは微笑んだままで姉を見て、


「そう。美鈴の立ち居振る舞いを見て、『いい筋をしている』って姉貴が言っててさ。合気道を教えたいんだってさ」


「あ、そ、そう……」


 姉の顔がまた引きつっている。すると憲太郎さんは僕を見て、


「武彦君でもいいよ。姉貴に合気道習ってみない?」


「えええ!? ぼ、僕がですか?」


 いきなりのとばっちりに、僕は度肝を抜かれた。


「そ、そうだ。それがいいよ、武。お前が教えてもらいなさい」


 姉は自分にお鉢が回って来ないようにするためか、そんな事を言い出した。


 僕は亜希ちゃんに救いを求めた。すると、


「いいかも。武君、習いなさいよ」


と亜希ちゃんまで悪乗りして来た。


「えええ!?」


 僕は本当に逃げ出したくなった。

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