その四十七
僕は磐神武彦。高校三年。
最近、多少は凶暴性が薄れたかと思われる姉と、その姉に近づいているのではないかと危惧している幼馴染に囲まれて暮らしている。
この前、姉に「ずっと一緒に暮らそう」発言をされたせいで、怖い夢を見た。
僕は二世帯住宅の二階に住んでいる。
僕の奥さんは当然の事ながら、幼馴染で同級生の都坂亜希ちゃん。
ラブラブの新婚さんだ。その時は夢だとわからないので、僕はドキドキしている。
母は一階に住んでいる。
そして、ここからが怖い。
姉夫婦も、二階に住んでいるのだ。
すでに子供が一人いて、これがまた姉のクローンかというくらい似ている。
姉は人間が丸くなり、僕に暴力を振るわなくなったが、その子が姉の代わりに僕を殴る。
しかも、
「武ェッ!」
と呼び捨て。父親である憲太郎さんの前では良い子なところも、姉に似ていた。
亜希ちゃんは僕に優しいけど、姉とも仲が良くて、何だか孤立している気がしている。
「どうして?」
そう強く疑問に思った時、目が覚めた。
「夢か。良かった」
ホッとしていると、
「どんな夢見たんだ?」
何故か目の前に姉がいる。
「わ!」
僕はビックリしてベッドから転げ落ちた。
「全く、失礼な奴だな、お前は! こんな美しい姉を見て、悲鳴を上げるってどういう事だ?」
姉は転げ落ちた僕を仁王立ちで睨む。
「ご、ごめん、目の前に凄い美人がいたからビックリしたんだ」
見え透いたお世辞が口から出た。僕もそれなりに強かになったつもりだ。
只、あまりに見え透いているので、余計怒らせると思ったのだが、
「あらん。いやん」
姉は妙な乙女声で照れている。思ったより単純なのだろうか?
「ダメよお、武ェ。私は姉なんだからあ」
クネクネしながら部屋を出て行く姉は、ちょっと気持ち悪かった。
弟に「美人」と言われて、そんなに嬉しいのかな?
よくわからない。
世の中のお姉さんて、そうなのだろうか?
「あ、そうだ」
いきなり姉が戻って来た。今度は何とか悲鳴を上げずに堪えた。
「武君が変な事言うからあ、用件忘れるとこだったわん」
まだ上機嫌の姉は、ヘラヘラしていた。
何か良い事があったのかな?
「今度、姉弟同士でお食事でもって、リッキーのお姉さんに言われたの。承知しておいてねん」
姉はスキップして出て行った。
憲太郎さんと憲太郎さんのお姉さん、そして姉と僕の四人で食事?
拷問に近い。
むしろ、憲太郎さん姉弟と僕と亜希ちゃんなら良いんだけど、そんな事無理だよね。
憲太郎さんのお姉さんて、あの姉が「会う時はビビる」と言うくらいの人らしい。
怖い人ではないようなんだけど、何か落ち着かない。
姉と一緒というだけでも、僕は相当精神的に負担なのに……。
どうしよう? 亜希ちゃんに相談してみようか?
僕は登校途中、亜希ちゃんにその話をしてみた。
「それは緊張するよね」
亜希ちゃんも僕に同情してくれた。
「美鈴さんが緊張するなんて聞いたら、私も怖くなる」
亜希ちゃんは苦笑いした。
「そうだよね」
僕はますます怖くなって来た。
その様子に気づいた亜希ちゃんが、
「憲太郎さんに相談してみたら? それで、事前にお姉さんと会うとか」
「ああ、それ良い考えかも。さすが、亜希ちゃん!」
僕は心の底から絶賛した。
「大袈裟よ、武君たら」
亜希ちゃんは恥ずかしそうに微笑んだ。
そして放課後。
僕は早速憲太郎さんに連絡した。
事情を説明すると、
「いいよ。ちょうど今、姉貴と一緒なんだ。図書館にいるから」
「わかりました」
良かった。僕はすぐに図書館に行った。
中に入って行くと、受付の前で憲太郎さんが女性と話していた。
奇麗な人だ。お姉さんだろうか?
「こんにちは」
僕は近づきながら声をかけた。
「やあ、武彦君。早かったね」
憲太郎さんが笑顔で言う。相変わらず爽やかな人だ。
「では」
一緒にいた女性は会釈をして立ち去ってしまった。
あれ? お姉さんじゃないの?
「あの、お姉さんは?」
てっきり今の女性がお姉さんだと思っていた僕は、憲太郎さんに尋ねた。
「ああ、姉貴なら、ほら、こっちに歩いて来るよ」
と奥を見た。
そこには、僕と同年代くらいのロングヘアの女の子が歩いていた。
身長は亜希ちゃんより低い。
でも、服は制服ではない。大人の雰囲気がする黒のワンピースだ。
ま、まさか?
「紹介するよ、僕の姉貴の沙久弥」
憲太郎さんが、その女子高生くらいに見える女性と並び、言った。
「こんにちは、武彦君。初めまして、沙久弥です」
か、可愛い……。失礼だけど、本当に可愛い。
亜希ちゃんや姉とは違って、「美人」というより、「可憐」という言葉が似合う。
確か、憲太郎さんと二つ違いだから、二十三歳のはず。見えない。失礼だろうけど……。
「こ、こんにちは、た、武彦です」
妙な緊張感がある。どう見ても同年代に見えるのに、威風堂々と言えばいいのか、貫禄があるのだ。
「美鈴さんからよくお話を聞いています。可愛いわね、貴方」
コロコロと笑うという表現があるらしいけど、まさしく沙久弥さんはそんな感じで笑った。
「あ、ありがとうございます」
僕は「可愛い」などと言われて、顔が火照った。
「喫茶室にでも行きましょうか」
沙久弥さんはニコッとして、先に立って歩き出す。
「さ、武彦君」
憲太郎さんに促されなければ、そのままずっと沙久弥さんが歩いて行くのを見ていたかも知れない。
それくらい沙久弥さんは圧倒的な存在感だった。
喫茶室では、姉の事や亜希ちゃんの事を訊かれ、本人に後で怒られないように気をつけながら、話をした。
姉の言葉の意味がわかった。
沙久弥さんの存在感は、確かにビビる。
しかも、全く威圧的ではない容姿なのに、圧倒されてしまうのだ。
何だろう?
不思議だった。
「では、美鈴さんによろしくね」
沙久弥さんは用事があるとの事で、先に帰った。
沙久弥さんが喫茶室を出ると、
「どうだった、武彦君?」
憲太郎さんが興味津々の顔で尋ねる。僕は深く溜息を吐いて、
「圧倒されました。沙久弥さんに比べれば、姉なんてどうって事ないです」
「ははは」
憲太郎さんは愉快そうに笑ったが、僕はハッとした。
「い、今のは、沙久弥さんにも姉にも内緒にして下さい」
「話さないから安心して」
憲太郎さんは僕の慌てぶりがおかしかったのか、笑いを必死に堪えていた。
「それにしても、沙久弥さんて、失礼だと思いますが、可愛いですね。とても二十三歳には見えません」
「本人は、昔はそれを凄く気にしていたんだけど、今は全然気にならないみたいなんだ。直接言ってあげると、面白いほど喜ぶから、今度言ってみて」
「ええ?」
憲太郎さんは茶目っ気たっぷりに言った。
「でも、沙久弥さんて、どうしてあんなに存在感があるんですか?」
姉と違って威圧的ではないのに、と言いかけて、言葉を飲み込んだ。
「姉貴は、合気道の有段者なんだ。だから、気の巡らせ方が尋常じゃなくて、試合では戦わずして勝つ事もあるほどなんだ」
「そうなんですか」
僕は合点が行った。だから、姉は沙久弥さんと会うと緊張するのか。
僕とは違って、姉は憲太郎さんの婚約者だからなあ。
そうだ、僕も合気道を習えば……。
「武彦君」
憲太郎さんが囁く。
「何ですか?」
「美鈴に対抗するために合気道を習おうと思ったんじゃないの?」
ギクッとする。憲太郎さん、凄い読みです……。
「やめといた方がいいよ」
憲太郎さんは同情するような目を僕に向けた。
「そ、そうですね」
そうだよね。僕が姉に勝とうなんて、一億年くらい早いかも。