その四十六
僕は磐神武彦。高校三年。
僕の姉と僕の彼女の都坂亜希ちゃんが密談したらしい。
中学の時の同級生の須佐昇君が、塾に行く途中で見かけたそうだ。
須佐君、そんな事教えてくれなくてもいいのに。
多分その日は、亜希ちゃんとは別行動の日だ。
それにしても、須佐君は塾に通っているのか。
でも、彼は僕と違って将来を嘱望されているから、受ける大学のレベルが違うんだよね。
恐らく、東京六大学とか受けるんだろうなあ。
羨ましいよ、須佐君。
その頭脳。そして櫛名田姫乃さんという美人の彼女もいて。
あ。
彼女に関しては、僕は負けていないか。
いや、絶対勝ってる。間違いない。
そんな事を思いながらも、僕は亜希ちゃんが姉と何を話したのか気になっている。
僕が姉の悪口を言ったのを話されたのなら、その日のうちに「結果」が出ているだろうから、そうではないのは確かだ。
それに亜希ちゃんがそんな告げ口のような事をするはずがない。
「こら、磐神、ボンヤリするな」
先生に叱られた。
しまった、授業中だった。
亜希ちゃんが見てる。
呆れられたようだ。
そしてお昼休み。
「さっき、何ボンヤリしてたの、武君?」
早速亜希ちゃんに追求されてしまった。
どうしよう? 訊いてみようか?
でも何となく怖いな。
亜希ちゃんが僕に姉と話した事を言ってくれないという事は、僕に話したくないという事だ。
訊いても教えてくれないだろうし、亜希ちゃんの機嫌を損ねかねない。
「何でもないよ」
そう言ってしまって、あっとなる。
「武君が、何でもないって言う時は、必ず何かある時なの」
亜希ちゃんは誰もいないベランダに僕を引っ張り出す。
「話して。私達、隠し事はしない約束でしょ?」
亜希ちゃんがムッとして言った。
お。今の言葉はチャンスかも知れない。
よし、訊いてみよう。
「須佐君がさ、教えてくれたんだけど」
「須佐君?」
亜希ちゃんは意外な登場人物に驚いたみたいだ。
「亜希ちゃんが姉ちゃんと会っていたって……」
今度は僕が驚いた。
亜希ちゃんが急に真っ赤になったのだ。
「え? 何かまずい事言った、僕?」
慌てて尋ねる。でも亜希ちゃんは、
「ううん、そんな事ないよ。で、何?」
と冷静さを保とうとしているのだが、かなり動揺しているのがわかる。
ベランダの手すりを持つ手が震えているのだ。
何だろう? そんなに僕に知られたくない事を話したの?
「いや。その、何を話したのかなって思って」
僕は気まずくなったので、消え入りそうな声で答えた。
「内緒」
あっさり却下された。でも、隠し事はしないのでは?
そう思ったが、言えない。
亜希ちゃんがソワソワし始めたのだ。
「ああ、休み時間終わっちゃうわ」
彼女はベランダから教室に戻ってしまった。
まだお昼休みになって五分しか経っていないのに……。
何だか不安になった。
でも、話したくないのはわかった。
だからそれ以上追求するつもりはない。
僕はそれ以降、その話題を忘れる事にした。
その後は亜希ちゃんとは別に普段通りに話をして、いつものように一緒に下校した。
亜希ちゃんの家の前まで来た時だった。
「あのさ、武君」
亜希ちゃんが切り出す。僕は振り向いて亜希ちゃんを見た。
「どうしても知りたい? 美鈴さんと話した事を」
「いや、いいよ。亜希ちゃんが話したくないなら」
僕は微笑んで応じた。すると亜希ちゃんは、
「でも、知りたいんでしょ?」
「それはまあ……」
亜希ちゃんはジッと僕の顔を見る。何だか照れて来る。
「ああ、やっぱり無理……。美鈴さんに訊いて」
「えっ?」
どういう事? そんなに僕に直接言いたくない事なの?
「じゃあ、また明日ね」
亜希ちゃんはそそくさと家に入って行ってしまった。
僕はしばらく呆然としていたが、我に返って家に歩き出した。
自分では言えないけど、姉になら話してもらっても構わない事?
何だろう?
頭の中が「はてなマーク」だらけになった。
家に帰ると、姉はまだ出かけておらず、キッチンで洗い物をしていた。
珍しい事もあるものだと思ったら、憲太郎さんが来ていたらしい。
全く、外面がいいんだから。
「お帰り」
姉は僕に気づいて振り返った。
「只今」
僕はそのまま部屋に行こうと思ったのだが、さっきの事が気にかかり、
「あのさ」
「何?」
姉は布巾で手を拭きながら僕を見た。
「この前の休みの日に亜希ちゃんと会ったの?」
姉はムッとして、
「悪い?」
何でそうなるの? 相変わらず理不尽全開だ。
「いや、そうじゃないけど。何を話したのか気になって、亜希ちゃんに訊いたら、姉ちゃんに訊いてくれって言われたんだ」
すると姉は何故か急に嬉しそうな顔になって、
「そうなんだ。亜希ちゃん、そんな事言ったんだ」
何故にそれほど喜ぶんだ? 理解できない。
「わかった。亜希ちゃんから許可されたのなら、話してあげる」
姉があまりに嬉しそうなので、僕は怖くなって後退りした。
そして、話を聞いて僕は赤面した。
亜希ちゃん、そんな昔の事を覚えていたんだ。
何だか感動してしまった。
その時からずっと、僕の「お嫁さん」になるって決めてたなんて……。
うん? 一つ気になる事を思いついた。
「姉ちゃん、まさか話を作ってないよね?」
僕は疑惑の目を姉に向けた。すると姉はムッとして、
「そんな事、する訳ないでしょ! 失礼だよ、武!」
姉の目をジッと見る。背けないで睨み返しているところを見ると、嘘は吐いていないようだ。
「お前さ、ホントに感謝しなよ、亜希ちゃんにさ」
「う、うん……」
泣きそうになっている。
「だから、亜希ちゃんと別れる事になったら、この家にも戻れないと思いなさいよ」
「何でそんな事になるのさ!?」
意味がわからないので、思わず反論した。すると姉は、
「それくらいの覚悟をしろって事よ。でないと、この家は私とリッキーの愛の巣になるからね」
などと臆面もなく言ってのけた。
母さんを忘れてるよ、姉ちゃん。
「憲太郎さんは長男だから、自分の家に住むんでしょ?」
僕は反撃してみた。すると姉はニヤリとして、
「リッキーの家は、将来お姉さんがお婿さんと住むのよ。だからリッキーは大丈夫」
いや、何が大丈夫なのか意味がわからないよ。
「とにかく、亜希ちゃんとは別れる事は禁止。この前、お墓で母さんが父さんに報告したんだし」
「でも、亜希ちゃんが別れようって言ったら?」
僕は半ば呆れ気味に尋ねた。
「亜希ちゃんがそんな事言う訳ないでしょ! 例えそうなっても、お前が悪いんだろうから、この家からは出て行ってもらうわ」
「はあ?」
何だか話がおかしな方向に動き始めている。
何なんだ、このメチャクチャな理屈は?
姉は僕をこの家から追い出したいのか?
悲しくなった。キッチンを出ようと姉に背を向ける。
そしたら、さっきまで我慢していた涙がこぼれた。
「あーっ、ウソウソ! ウソに決まってるじゃん、武ェッ。ごめんな、姉ちゃんが悪かったよお」
いきなりギューッと後ろから抱きしめられた。
ああ。この感触は久しぶりだ。
「ずっと一緒に暮らそう。リッキーも、亜希ちゃんも。そう、それがいい」
姉は僕を宥めようとしてそんな事を言っているのだろうけど、それの方が出て行くより過酷だよ。
まだまだ姉に振り回される人生は終わらないみたい。