その四十五(姉)
私は磐神美鈴。
昼は肉体労働に汗を流し、夜は大学に通う二十一歳の乙女だ。
そんな私には出来の悪い弟武彦がいる。今年高校三年。早生まれだから、まだ十七歳だ。
ところが、今ではそれほど出来が悪くなくなってしまった。
高校の成績も順調に伸びて来ており、姉としても鼻が高いのだ。
何故成績が上がったのか?
それは姉である私のおかげだと言いたいのだが、私もそこまで厚顔無恥ではない。
武彦の成績が伸びたのは、幼馴染の都坂亜希ちゃんのおかげだ。
小さい頃から武彦と仲が良かったのだが、今でも謎なのは何故武彦と付き合い始めたのか、という事だ。
姉の私が言うのも酷い話だろうが、武彦はお世辞にもイケメンではないし、運動音痴だし、万事においてトロい。
それに引き換え、亜希ちゃんは成績優秀、スポーツ万能、見目麗しい。更に性格もいい。
要するに欠点がないのが欠点というほど、凄い女の子なのである。
もしかすると、これは非常に恐ろしい「刷り込み」ではないかと思う。
亜希ちゃんは、長い間武彦とだけ遊んでいた。
そのため、男の基準が武彦になってしまったのかも知れない。
まあ、あいつはイケメンではないが、女の子に悪戯したり、暴言を吐いたりする事はないから、その辺はプラス要因なのかも知れないけど。
いつか亜希ちゃんに訊いてみたいのだが、軽くかわされそうなのでやめておこう。
何て事を考えながら街を歩いていたら、その亜希ちゃんとバッタリ会ってしまった。
「こんにちは、美鈴さん」
爽やかな笑顔で挨拶された。
「こんにちは。今日はあのバカ、一緒じゃないの?」
気がついてみると、武彦の事を訊いている私。
ちと恥ずかしい。
亜希ちゃんはニコッとして、
「今日は別行動の日なんです。以前もこんなタイミングで会いましたね」
「ああ、そうね」
そっか、そんな事を言われた気もするな。忘れてた。
「ね、ちょっと訊きたい事があるんだけど」
「はい」
これは神のお導きだ。勝手にそう思った私は、亜希ちゃんを誘って某コーヒーショップに行った。
「あの」
オーダーを終えると、すぐに亜希ちゃんが切り出した。
「訊きたい事って何ですか?」
彼女、ほんの少しだけど、警戒している。
武彦め、また私の事を大袈裟に伝えてるな!?
私は笑顔全開で、
「亜希ちゃんてさあ、モテるんでしょ?」
と唐突な質問をしてしまった。いきなり危険球だ。
「え?」
当然亜希ちゃんはキョトンとした。
「そんな事ないですよ。私、気が強いですから」
それ、私に対する嫌味? そう言いたくなるが、それは被害妄想だ。
「でも、武の話だと、全校男子のマドンナだって……」
「そんな事、全然ありませんよ」
亜希ちゃんは真っ赤な顔で否定する。こういうところが、男共にはいいんだろうなあ。
私なんか、男には恐れられてたからなあ。中高一貫で……。
「あの、訊きたい事って、そういう事ですか?」
亜希ちゃんは顔の火照りを手で扇いで覚ましながら尋ねて来た。
「違うわ。じゃあ、訊くね」
私が居ずまいを正したので、亜希ちゃんは緊張したようだ。
そんなに怖いの、私って? 武のせいだな、きっと。
「亜希ちゃんてさ、どうして武彦と付き合おうと思ったの?」
「え?」
亜希ちゃんの顔がさっきより赤くなった。
何? どうしたの? 私って、そんなにいけない質問した?
「どうしても言わなくちゃいけませんか?」
恥ずかしそうに亜希ちゃんは私を見た。
「ええ。是非教えて」
私は手を組んでその上に顎を載せ、フッと笑って言った。
亜希ちゃんは消え入りそうな声で話し始めた。
まだ武彦と亜希ちゃんが小学校一年の時の事だ。
家が近かった二人は、毎日一緒に帰っていた。
亜希ちゃんの事を好きな上級生の悪ガキがいて、ある日二人を待ち伏せしたらしい。
無理矢理亜希ちゃんを連れて行こうとする悪ガキ共に対して、武彦は必死に抵抗した。
早生まれの上、元々小さかった武彦は悪ガキ共の相手にならず、コテンパンにやられたらしい。
しかし、あいつは絶対に悪ガキの足を放さず、亜希ちゃんに、
「逃げて!」
と叫んでいたそうだ。
亜希ちゃんは泣きながら走り、近くにいた大人達を連れて戻った。
しかし、悪ガキ共は逃げた後で、武彦が倒れているだけだった。
「その時、私、決めたんです。この人のお嫁さんになろうって」
亜希ちゃんは相変わらず真っ赤な顔で言う。
「絶対に勝てない相手だとわかっていたはずなのに、武君は私を助けるために立ち向かってくれたんです」
亜希ちゃんはそう言いながら涙ぐんでいた。
私ももらい泣きしそうだったが、何とか堪えた。
「その時からずっと、武君の事が好きなんです。だからお付き合いを申し込みました」
何だか、凄く悪い事をしてしまった気がする。
「そう。ありがとう、教えてくれて。武は本当に幸せ者だね、亜希ちゃんのような子と付き合えてさ」
「ありがとうございます」
亜希ちゃんの目から大粒の涙がポロッとこぼれたのを見て、とうとう私も泣いてしまった。
そして、私は亜希ちゃんが逆に心配するくらい泣いてしまい、周囲の冷たい視線を浴びた。
「不思議だったのは、それ以来、その子達が私達を見ると逃げるようになった事なんですけど」
コーヒーショップから出てまもなく、亜希ちゃんが悪戯っぽく笑って私を見る。
亜希ちゃん、気づいてたのか……。
悪ガキ共が武達にチョッカイを出さなくなったのは、私がきっちり「お礼」をしたからなのだ。
「へえ、そうなの。どうしてかしらね?」
私は白々しくとぼけた。
「今度は私が美鈴さんに訊きたい事があるんですけど?」
亜希ちゃんの笑顔に、私は苦笑いで返すしかなかった。