その四十三
僕は磐神武彦。高校三年。
先日、本当に命が危ない事件が起こった。
中学の同級生の須佐昇君が、彼女の櫛名田姫乃さんと携帯電話の登録名の事で揉めたせいで、僕にトバッチリが来た。
幼馴染みで同級生で、その上付き合っていただいている(最近そんな風に思えて来た)都坂亜希ちゃんに、彼女の登録名を追求され、まだ以前の「委員長」のままだった事を知られてしまい、怒らせてしまった。
あれは僕が全面的に悪かった。本当に亜希ちゃんに申し訳ない事をした。
その日のうちに訂正し、お詫びメールを入れ、次の日はバイトの帰りに買った花を持って謝りに行った。
大袈裟に思われてしまうだろうが、僕に取ってはそれ程の事だったのだ。
「いいよ、もう、武君。私も大人気なかったし」
花を差し出した時、亜希ちゃんはそう言って照れ臭そうに微笑んでくれた。
「ありがとう、亜希ちゃん」
僕はようやくホッとし、二人で学校へと歩き出した。
「あれ?」
亜希ちゃんが何かに気づく。
「ねえ、武君、まさか昨日泣いたの?」
「えっ?」
亜希ちゃんは多分、僕の目が少し腫れているのを言っているのだろう。
どうしよう? 本当の事を言ったら、軽蔑されそうだな。
「う、うん。亜希ちゃんに酷い事をしたと思って、泣いちゃった」
そういう事にして、その場を収める作戦に出た。
「そ、そうなんだ、武君」
亜希ちゃんが本当に嬉しそうに僕を見たので、罪悪感で押し潰されそうだ。
本当は、泣いたから目が腫れているんじゃないんだよな。
姉にも、
「あんたさ、姉ちゃんの名前、何て登録してるの?」
と訊かれて、見られちゃったんだ。
僕はまさかそんな事になるとは思わなかったので、
「凶暴姉ちゃん」
て登録していたんだよね。
「武ェッ!」
そりゃ怒るよね。怒られて当然だったので、僕は抵抗しなかった。
姉もまさか僕が避けないと思わなかったのか、まともに正拳を繰り出して来た。
で、見事にそれは僕の右目の上をクリーンヒット。
「わわっ、武、何で避けないんだよ?」
姉の方が慌てていた。
僕の目の上は鉛筆が載せられるくらい腫れてしまった。
「バカ、もう……」
姉はすぐに氷水とタオルを持って来て、冷やしてくれた。
「何でだよ?」
姉にはそれが凄く疑問だったらしい。
「だって、僕が全面的に悪いから……」
僕はタオルのヒンヤリとした感じを心地よく思いながら答えた。
「バカなんだから、お前は……」
そう言いながらも、姉は何故か涙ぐんでいた。
またキュンとなってしまった。可愛いと思ってしまったのだ。
しばらく僕はベッドに横になっていた。姉はその間ずっと、僕についていてくれた。
「もう大丈夫だよ、姉ちゃん」
僕はタオルを取って言った。すると姉は、
「まだ腫れてるよ。それに、この前のお返し」
「えっ?」
ああ。食べ過ぎて苦しんでいた時にそばにいてあげた時の事?
「ごめんな、武。痛かったろ?」
姉からそんな事を言われたのは多分生まれて初めてだ。
そして、タオルを氷水に浸し、絞ってからもう一度僕の右の瞼に載せてくれた。
「あのままでいいよ」
「え?」
一瞬、何の事かわからなかった。姉は自嘲気味に笑っている。
「確かに凶暴姉ちゃんだ。あのままでいいよ」
そんな言われ方をして、本当にあのままにしたら、僕は随分な奴になってしまう。
「姉ちゃんは凶暴なんかじゃないよ。だから変更する」
僕はタオルを取って起き上がり、姉を真っ直ぐに見て言った。
「そ、そうか。ありがとう、武」
姉は何故か狼狽えた様子で、部屋を出て行ってしまった。
ああ。またキュンとしてしまった僕。
なんて事があったなんて亜希ちゃんに話したら、
「まだ姉離れできないの、武君?」
て言われちゃうからなあ。
本当に僕、姉離れできるのかな?
心配になって来た。