その四十二
僕は磐神武彦。高校三年。
この前、ケーキを食べ過ぎて具合が悪くなった姉に付き添っていたら、何だか凄く可愛く見えた。
普段気が強い女性が、急に「あたしダメェ~」とか言うと、キュンとなってしまう僕。
もし、現在交際中の都坂亜希ちゃんが目をウルウルさせて、
「武く~ん、亜希、熱があるみた~い」
とか言ったら、一晩中看病しちゃいそうだ。絶対言わないだろうけど。
あ。それって、亜希ちゃんの事を「気が強い」って思ってるって事か?
確かに彼女はそうかも知れないけど、姉と同列ではいくら何でも失礼だ。
ごめんね、亜希ちゃん。
そして、今日は二学期初日。
久しぶりに学校に行くサイクルになったので、僕は遅刻しそうになった。
「武君、急いで!」
亜希ちゃんが玄関前でソワソワしている。
「ごめん!」
結局、違う意味で亜希ちゃんに謝っている僕だった。
何事もなく初日を過ごせた僕は、亜希ちゃんと下校。
「今朝はごめんね、亜希ちゃん。明日は寝坊しないから」
僕が言うと、亜希ちゃんはニコニコして、
「何だか、懐かしかったわ。一学期は武君が寝坊した事なかったでしょ?」
「そ、そうだね」
何だか、僕が寝坊したのを喜んでいるみたいだ。
「亜希」
コンビニの前で、中学の時同級生だった櫛名田姫乃さんに会った。
「あら、姫ちゃん。今日は須佐君は?」
亜希ちゃんが尋ねると、櫛名田さんは、
「あいつ、磐神君のお姉さんにメロメロみたいで、ムカつくから無視しているの」
「え?」
僕はギョッとした。亜希ちゃんも、
「え? そうなの?」
と意外そうに櫛名田さんを見た。
「何だか知らないけど、今度プールに行くんですって」
櫛名田さんが僕をギロッと睨む。
「それホント、武君?」
亜希ちゃんまで僕を睨む。何で?
「ち、違うよ。みんなで行きたいって言ってただけだよ。それに僕、まだ姉ちゃんに話してないし」
「え、そうなの?」
今度は櫛名田さんが慌てている。
「あいつ、紛らわしい言い方して!」
彼女は顔を赤くしていた。自分の早とちりに気づいたのかな?
「ごめん、亜希、磐神君」
櫛名田さんは走って行ってしまった。
「結構ヤキモチ妬きだね、櫛名田さん」
「そ、そうね」
亜希ちゃんはバツが悪そうだ。
「私が余計な事を姫ちゃんに言ってしまったみたい……。悪い事したなあ、須佐君に」
亜希ちゃんは携帯を取り出し、
「須佐君に謝らないと」
何だか複雑な心境。亜希ちゃんが僕以外の男子の携帯に電話するのを見るのって。
僕も結構嫉妬深いのかな?
「あ、須佐君? え? どうしたの? 姫ちゃんがいるの? あ!」
亜希ちゃんは慌てている。
「須佐君、姫ちゃんと会ってるみたいなんだけど、急に携帯が切れちゃって……」
「行ってみようよ。多分、近くだよ」
「ええ」
僕達は櫛名田さんが去った方へ走り出した。亜希ちゃん、置いてかないでェ!
須佐君と櫛名田さんは、コンビニからすぐの月極駐車場の前にいた。
「姫ちゃん!」
須佐君を問い詰めている櫛名田さんに亜希ちゃんが声をかけた。
「あ、亜希」
途端に櫛名田さんはバツが悪そうに須佐君から離れた。そして、
「後でメールする!」
と須佐君に言い、また走り去ってしまった。どういう事?
「何があったのさ、須佐君?」
僕は須佐君を見て言った。
「下らない事だよ」
須佐君は呆れ気味に携帯を見せた。
「姫乃の携帯の名前が『姫乃』で、都坂さんのが『亜希さん』だったので、『どうして私は呼び捨てなのよ!?』って怒られてさ……」
僕と亜希ちゃんは顔を見合わせた。そして、プッと吹き出す。
「姫ちゃん、嫉妬し過ぎね」
「ホント」
僕と亜希ちゃんはひとしきり笑った。
「今度は姫ちゃんも、『姫乃さん』にしたら、須佐君」
亜希ちゃんが提案した。すると須佐君は、
「でも、姫乃は特別だから、呼び捨てなんだけどなあ」
「それもそうね」
亜希ちゃんは何故か僕を見る。
「武君はどうなの?」
「え?」
ギクッとする。僕は、亜希ちゃんの番号は、付き合い始める前から入れているから、今見られるのはまずい……。
「見せて」
亜希ちゃんは笑顔で言っているが、とっても怖い。
「はい」
僕は観念して携帯を差し出した。
「……」
亜希ちゃんが僕を睨む。須佐君が同情の目を向ける。
「どういう事、武君!? どうして姫ちゃんが『櫛名田さん』で、私は『委員長』なのよ!?」
「ああ、その、それは……」
僕は必死に言い訳しようと思ったが、亜希ちゃんは、
「知らない!」
と言うと、走り去ってしまった。あああ。
「今回の事は、全面的に磐神君が悪いよ」
須佐君はそれだけ言うと歩いて行った。
僕はションボリしたまま、家に帰った。
「ただいま」
消え入りそうな声で言った。姉がいるようだ。普段なら、
「声が小さい!」
と怒りに来るのだが、今日は来ない。
まだ具合が悪いのかな?
でも、姉はキッチンにいた。
「ああ、武、聞いてよお」
何故か姉は「甘えモード」だ。どうしたんだろう?
「リッキーッたらね、自分の携帯に、私の事は『美鈴』って呼び捨てで入れてて、大学の女子の名前はさん付けで入れてるのよ。酷いと思うでしょ?」
「……」
ここにも嫉妬深い女性がいた。
それ、普通だと思うけどな。
僕は尚も愚痴りまくる姉を無視して、自分の部屋に戻った。
そして、亜希ちゃんにお詫びのメールを送る。
「ごめんね、亜希ちゃん。今はもう、『亜希ちゃん』に変更したよ」
するとすぐに返信が来た。
「私こそごめんね」
僕はホッとした。
でも、亜希ちゃんには本当に悪いことをした。付き合い始めた頃、訂正すべきだったのだ。
「武」
突然姉が入って来た。毎度の事であまり驚かないのだが、
「あんたさ、姉ちゃんの名前、何て登録してるの?」
「え?」
僕は生涯で一番焦っていた。
何故なら、姉の登録名は、
「凶暴姉ちゃん」
だからだ。