その三十九
僕は磐神武彦。高校三年。
夏休みに入り、僕は幼馴染みで同級生で、その上彼女の都坂亜希ちゃんと勉強する事にしていた。
ところが、亜希ちゃんの伯母さんが交通事故で入院して、亜希ちゃん達は静岡まで泊まり込みでお見舞いに出かけた。
亜希ちゃんは三日後に帰って来るので、一緒に勉強しようと誘われた。
僕はドキドキしている。
遂にその日が来たのだ。
今、都坂家には、亜希ちゃんしかいない。
昔はよく二人きりで遊んだけど、その頃は亜希ちゃんを女の子だと意識していない頃だ。
今は、一応付き合っているし、キスもしているけど、さすがに彼女の家で二人きりという設定には胸が高鳴った。
「早く来てね。いろいろ用意して待ってるから」
亜希ちゃんからメールが来た。ますます動悸が激しくなる。
もしかして心臓が故障した? そう思ってしまう程だった。
「どうしたの、ソワソワして?」
キッチンに降りて行くと、母に声をかけられた。
珍しく休暇を取れた母は、いつものように朝食の準備をしている。
「あれ、姉ちゃんは?」
「出かけたわよ。今日は憲太郎さんが試合だって」
「ああ、そうなんだ」
何だかホッとしている僕。
この前、事故とは言っても、いきなり姉にキスされてしまい、僕はかなり混乱した。
今は冷却期間として、極力姉と顔を合わせたくないのだ。
「全く、まだ姉ちゃん? いい加減、自立しなさいよ、武彦」
母に呆れ顔で諭されてしまった。ああ。違うんだけど。
でも、事情を説明すると、相当難しい話になりそうなので、
「う、うん……」
と照れ笑いしたフリをして、その場をしのいだ。
「今日さ、亜希ちゃん家で勉強するから」
「フーン。だから落ち着きがないのね?」
さすが母上。何もかもお見通し?
「ま、まァね」
母はニヤッとして、
「まさか、手ぶらで行くつもりじゃないでしょうね?」
「まさか……」
言われてギクッとする。何も考えていなかった……。情けないな。
「それから」
「な、何?」
僕は更にドキッとした。母はクスッと笑い、
「あんた、ほとんど条件反射ね。何をビクビクしてるの? 美鈴はいないわよ」
「ハハハ」
何気に酷いことを言う母。
「今日は父さんのお墓参りに行くから、あまり遅くならないようにね」
「うん。夕方には帰るよ」
そう。僕の父は、僕が三歳の時、交通事故で他界した。今日が父さんの命日。
もう十四年経つのだ。
正直、僕は全く父の事を覚えていない。
でも、全然知らないんだけど、父の事が大好きだ。
それは姉の影響。
姉にとって、父はまさに全能だったらしい。
父が死んでしまった時、姉もまだ六歳だったから、姉もそれほど父の事を覚えているはずはないんだけど、それでも姉は「ファザコン」と言われても仕方ないくらい、父が絶対だったようだ。
「本当に母さんがヤキモチを妬くくらい、父さんにベッタリだったの」
姉が以前そう話してくれた事がある。
「だからこそ、あんたには、父さんのようになって欲しいの。だから、ビシビシいくわよ」
変な理屈だったが、姉は僕を「教育」するのに真剣だったのは確かだ。
僕は亜希ちゃんの家に行き、亜希ちゃんの部屋で、二人きりで勉強した。
亜希ちゃんも、気のせいか、ソワソワしている感じだ。
まさかね。彼女はそんな軽くない。
僕の妄想だ。そう思いながら、真剣に勉強する。
そして、妄想タイム終了。僕は帰る事になった。
「あのさ」
亜希ちゃんが僕を送り出しながら言い出す。
「何?」
「私も一緒に行ったら迷惑かな、お墓参り?」
亜希ちゃんは恥ずかしそうに言った。
「迷惑なんて、とんでもないよ。きっと父さんも喜ぶよ」
「ありがとう、武君」
亜希ちゃんは部屋に戻って着替えて来た。制服だ。リボンを法事用に付け替えている。
さすが亜希ちゃん。
母さんも、亜希ちゃんが一緒に行くのを知って喜んだ。
「父さん、若い子が大好きだったから、大喜びするわ」
そんな冗談を言いながら、母さんは涙ぐんでいる。
「ありがとうございます、おばさん」
亜希ちゃんは嬉しそうに微笑んだ。
姉は出先から直接お墓に行くらしい。僕達は夏の日差しの中、のんびりと歩いて父さんの眠るお墓へと向かった。
「おじさんが亡くなった時、私、小さかったから、全然何もわからなくて、お墓参りに初めて行ったのって、何年後だったかしら?」
亜希ちゃんが不意に尋ねる。僕は首を傾げて、
「いつだったっけ?」
と更に母に尋ねる。母は笑って、
「亜希ちゃんが最初にお墓参りに行ってくれたのは、三周忌の時よ。二人が小学校に上がる前だったから」
「ああ、そうか。それじゃ、記憶が曖昧だ」
僕は亜希ちゃんと顔を見合わせて笑った。
こうして父の事を話しても、笑顔で話せるようになったのはいつからだろう?
子供心に、僕は母とは父の話をしないようにしていた気がする。
それほど当時の母は疲れていたのだ。
「あ!」
お墓の前まで行くと、姉と憲太郎さんが先に来ていた。
「遅いぞ、武!」
何故か僕にだけ文句を言う姉。相変わらず理不尽だ。
「亜希ちゃん、ありがとう」
姉は優しい顔になり、亜希ちゃんに礼を言った。
「いえ、とんでもないです。当たり前の事ですから」
亜希ちゃんは照れ臭そうだった。
みんなでお墓を掃除して、団子を供え、線香を上げる。
そして、手を合わせた。
「父さん。これからは、ここにいる人がみんな、私の家族になります。見守っていて下さいね」
母のその言葉に、姉と憲太郎さん、そして僕と亜希ちゃんは思わず顔を見合わせた。
「父さんに報告したんだから、二組とも、別れたりしたらダメよ」
母は涙を拭いながら言った。
「うん」
僕は頷いて涙を堪える。亜希ちゃんはクスンクスンと嗚咽を上げながら頷いている。
「はい」
姉も目を潤ませ、憲太郎さんをもう一度見た。憲太郎さんは優しく姉に微笑む。
今日はいい一日。