その三十七
僕は磐神武彦。高校三年生。昔、そんなタイトルの歌があったと聞いた事がある。
夏休み直前の連休の二日目、僕は彼女の都坂亜希ちゃんとのデートの待ち合わせをしていた時、中学の同級生の櫛名田姫乃さんに会った。
そして、
「明日、二人きりで花火大会に行こう」
とメールをもらった。
小悪魔全開の櫛名田さんは、亜希ちゃんに、
「どうしても磐神君と一度だけデートがしたい」
と懇願したらしい。
人の好い亜希ちゃんは、断りきれずに承諾。僕も亜希ちゃんの「お許し」が出てしまったので、櫛名田さんと「花火大会」デートをする事になった。
そして、次の日。花火大会当日の夕方。
珍しく休みが一緒になった姉が、嬉しそうに浴衣に着替え、迎えに来た婚約者の力丸憲太郎さんと出かけた。
まずいなあ。
姉には、櫛名田さんとの花火デート、話してないよ。
どこかで見られたら、その場で殺されてしまいそうだ。
僕は窮余の策として、憲太郎さんの携帯にメールで事情説明を送信しておいた。
これで、突発的な事故は回避できるだろう。
母は久しぶりに取れた休みなので、家でゆっくりすると言ってた。
僕は母には事情を説明した。
「いろいろ大変ね、武彦も」
何だか母は、
「この色男!」
とか言って、妙に嬉しそうだ。
「姉ちゃんには後で僕から話すから、言わないでよ」
「話さないわよ。でも美鈴が、自分に最後に話したって知ったら、怒るだろうなあ」
母はニヤリとして僕を見た。
「や、やめてよ、脅かすの! 憲太郎さんにはメールで説明しておいたんだから」
「それ、もっとまずいんじゃないの?」
「え?」
母のその言葉に、僕は本気で家出を考えた。
そして、僕はいつもの格好で駅前へと向かった。
「あれ?」
亜希ちゃんがいる。浴衣を着てる。金魚の柄だ。
可愛い。可愛すぎるよ、亜希ちゃん。
「あら、武君」
亜希ちゃんは団扇を振った。
「一人?」
「当たり前じゃない。彼氏は浮気中なんだから」
悪戯っぽく笑って、軽いジャブを放つ亜希ちゃん。僕は苦笑いして、
「浮気だなんて、そんな……」
「あら、本気なの?」
亜希ちゃんが笑って言う。しかし、目が笑っていない気がした。
「ち、違うよ!」
僕は赤面して否定した。
「相変わらず、仲がいいね、二人共」
後ろから声をかけられた。
「あ、須佐君」
そこには、櫛名田さんの本来の彼である須佐昇君がいた。しかも、浴衣姿だ。
「ごめん、遅れて」
は? 須佐君が、亜希ちゃんに言った。
「私も今来たとこ」
「そうなんだ」
えええ? 亜希ちゃん、須佐君とデートなの?
「何?」
ニヤニヤした亜希ちゃんが僕を見る。須佐君はバツが悪そうだ。
「これが、姫ちゃんに出した交換条件。私が須佐君と花火デートするの」
「……」
今まで、随分辛い思いや悲しい思いをして来たけど、今日ほどではなかった気がする。
「ご、ごめんね、磐神君」
須佐君が言ってくれたが、僕は呆然としたままだ。
「待った、磐神君」
櫛名田さんが後ろからいきなり腕を組んで来た。
「い、今来たとこだから」
僕は辛うじてそう言った。櫛名田さんは裾の短い浴衣を着ていて、太腿まで見えそうだ。
「うわあ、姫ちゃん、大胆! すごいね、その浴衣」
亜希ちゃんが顔を赤らめて言う。須佐君と僕は、まともに櫛名田さんを見られない。
「でも、可愛いでしょ? どう、磐神君?」
櫛名田さんはクルッと回ってみせた。そのせいで、腿がもっと見えてしまう。
「か、可愛いよ」
僕はチラッとだけ見て言った。すると亜希ちゃんが、
「武君は、足フェチだから、すごく嬉しいと思うよ」
と言い、僕をキッと睨む。わ、亜希ちゃん、少し不機嫌モード?
「そうなんだあ、良かった、頑張った甲斐がある!」
櫛名田さんはニコニコして、とても嬉しそうだ。須佐君と僕は思わず顔を見合わせて、溜息を吐いた。
僕達って、何なのさ? ふとそんな事を思ってしまった。
僕達は、花火大会の会場である河川敷に向かう。
途中たくさんの夜店が出ていて、僕達はいろいろ食べたり、遊んだりしながら、メインイベントである花火の打ち上げを待った。
「始まった!」
櫛名田さんが夜空を指差す。
「わあ!」
夜空に咲く、大輪の花。奇麗だ。
僕はつい、亜希ちゃんと須佐君が気になり、見てしまう。
二人も夜空を見上げていた。
「奇麗……」
うっとりと花火を見る櫛名田さんの顔は、確かに可愛いし、素敵だ。
でも、僕はやっぱり亜希ちゃん……。え?
急に櫛名田さんが僕の視界いっぱいになった。
「……」
櫛名田さんの柔らかい唇が、僕の唇に触れた。
「ありがとう、磐神君。楽しかった」
櫛名田さんは照れ臭そうに言った。
「……」
僕はあまりの事に何も言えずにいた。
そして花火大会は終了。僕らの「交換デート」も終わった。
「はい、お互い、捕虜交換ね」
櫛名田さんが酷い事を言う。
「捕虜って……」
須佐君が不満そうに櫛名田さんを見る。櫛名田さんは、ニッコリして、
「おかえり、昇」
「あ、ああ」
櫛名田さんの笑顔に、須佐君は全面降伏らしい。「こうふく」の字が違うかな?
「じゃあね」
現地解散し、僕らは河川敷を離れた。
「武君」
ギク。今日は久しぶりに怖い亜希ちゃんだ。でも何となく心地良いのは何故?
「姫ちゃんとキスしたでしょ?」
「え?」
驚いた。心臓が止まりそうだ。まさか、見てたのか? すると亜希ちゃんは、
「私も須佐君としたから、おあいこね」
「ええええ!?」
もっと驚いた。今確実に一瞬、心臓が止まった気がする。
「ウソよ。そんな事する訳ないでしょ」
亜希ちゃんはニコッとして、その後ペロッと舌を出す。
あああ。可愛い。こんな可愛い子を、僕は裏切ったのか……?
「でも、許してあげる。姫ちゃんは私の親友だし、武君は私の王子様だから……」
「は?」
亜希ちゃんは真っ赤になって走り出す。
「ああ、亜希ちゃん、今何て言ったの?」
「知らない!」
陸上部の元エースと帰宅部の僕では勝負にならず、亜希ちゃんは走り去ってしまった。
「ああ……」
僕は仕方なく、一人で家に帰った。
忘れていたのだ。僕はその時……。
「武ェッ! お前、亜希ちゃんじゃなくて、他の女の子とデートしてたなあああ!」
玄関を開けると、仁王立ちの姉が待っていた。花柄の浴衣のはずなのに、炎の柄に見える。
「うわわ、憲太郎さんに何も聞いてないの?」
「リッキーがどうしたのよ!? 関係ないでしょ、このバカ男!」
僕は姉の怒りの拳を食らい、涙を流した。
憲太郎さん、話してくれなかったの?
僕は何とか怪獣「姉ちゃん」から逃げ出し、自分の部屋に避難した。
「あ」
憲太郎さんからメールが来てる。件名が「ごめん」? どういう事?
「ごめん、武彦君。美鈴に話をできなかった。このメールを見たら、僕の家に来て。匿ってあげるから」
遅いです、憲太郎さん……。
僕は痛い頭を撫でながら、亜希ちゃんに電話をした。
謝らなくちゃ。このままじゃ、いけない。
「はい」
亜希ちゃんは泣いていたのだろうか、声が上ずっていた。
「亜希ちゃん、ごめん」
「いいの。元はと言えば、姫ちゃんとのデートを私が承諾したのが悪いんだから。私の方こそ、ごめんなさい」
「亜希ちゃん……」
亜希ちゃんは、僕が苦しんでいると思い、泣いていたのだそうだ。
ううう。僕も泣きそう。
「僕には、亜希ちゃんしかいないから。亜希ちゃんが大好きだから!」
「武君」
僕らは、時間を忘れて泣いてしまった。もう、こんな辛い思いはしたくない。
「武」
姉の声がした。
「な、何?」
僕は高速でドアを開いた。
「ごめん、武。事情も聞かずに殴ったりして……。母さんとリッキーから聞いたよ」
ちょっとだけ恥ずかしそうな顔で、姉が謝ってくれた。
「あ、別にいいよ、僕が悪いんだからさ」
と言った。すると何故か姉はニヤリとして、
「よし。姉ちゃんは謝ったからな。その件に関しては、それでおしまい。でも、別件がある」
「は?」
またいきなり鉄拳が頭蓋骨を揺らした。
「いったあああ! 何するんだよ、姉ちゃん!?」
僕は涙目で姉を睨んだ。すると姉は、
「どうしてそんな大事な事を、姉ちゃんに最後まで言わないんだ、バカ武ェッ!」
ああああ! しまった! 忘れてた!
そして僕は、ボコボコにされた……。