その三十六
僕は磐神武彦。高校三年。
この前の連休に、幼馴染で現在交際中の都坂亜希ちゃんとプールデートをした。
あれほど見たかった亜希ちゃんの水着姿だったのに、僕は全く記憶していない。
何故なら、プールに行く直前、中学の同級生の櫛名田姫乃さんに、
「私、本気だから」
などという「爆弾発言」を投下されたからだ。
結局その日は、何も考える事ができず、翌朝になって頭の中を整理して、ようやく亜希ちゃんに電話する事ができた。
「そうなの」
亜希ちゃんも僕が櫛名田さんに言われた事より、須佐君と櫛名田さんの仲が深刻な状態なのを気にしていた。
「でもさ」
亜希ちゃんが携帯を切り際に言う。
「武君て、ホントに女の子に優しいのね」
「え?」
何か、すっごく怖いんですけど、今の発言。
「この件は私に任せて。姫ちゃんと話してみるから」
「う、うん。頼むよ、亜希ちゃん」
僕は祈るような気持ちで携帯を切った。
櫛名田さん、きっと須佐君に当てつけで僕にあんな事を言ったのだから、真に受けてはいけない。
でも、彼女を傷つけるような事もしたくないしなあ。
「ひっ!」
などと考えていると、その櫛名田さんからメールが届いた。
ドキドキしながら、開いてみる。
「連休の最終日の明日、花火を見に行かない? もちろん、二人きりでよ」
うわわ! 最後にハートマークが踊っている。
どうしよう? すぐに亜希ちゃんに連絡した方がいいかな?
アタフタしていると、今度は知らない携帯から着信。
誰だろう? 間違い電話かな?
僕は恐る恐る出てみた。
「はい」
「あ、磐神君?」
うん? この声は、もしかして……?
「須佐君?」
「うん。今大丈夫?」
びっくりだ。須佐君からだ。でも、どうして僕の番号知ってるの?
「都坂さんから聞いたんだ。ごめんね」
「え、いや、別に……」
須佐君が何に対して謝ったのか良くわからなかった。
「昨日、姫乃と駅前広場で話していたでしょ?」
「え?」
何だ、須佐君、見てたのか……。だったらどうして、などと思うのは、意地悪だな。
「あいつ、何を話したの?」
須佐君はドキドキしているのだろう。声が震えているのがわかる。
僕もドキドキして来た。
「不良に絡まれた時、君が櫛名田さんを置き去りにしたって……」
「……」
須佐君は黙り込んでしまった。言うべきではなかったのか?
「そうか。やっぱり……」
須佐君は何度も溜息を吐いていたが、
「どうすればいいと思う? 僕、わからないんだ」
僕は自分の立場に置き換えてみた。どうすればいいだろう?
ああ。
僕の場合、不良が絡んで来ない。
特にこの界隈では、僕にちょっかい出す不良はいないのだ。
何故なら僕は、「磐神美鈴の弟」で通っているから。
中学時代に僕を苛めていた奴らですら、嫌味を言って来たりはするけど、絡んでは来ない。
何だか恥ずかしいが、仕方がない。
うーん。それにしても、どうしたらいいのかな?
そして、結論を出す。
「謝るしかないよ。櫛名田さんは君に戦って欲しかった訳じゃないんだ。置き去りにされた事を悲しんでいるんだと思うよ」
「そうか」
須佐君の声はすっかり沈んでいた。
「謝るのは恥ずかしい事じゃないよ、須佐君。僕なんか、ほとんど毎日謝ってるよ」
「そ、そうなの?」
須佐君の声が少しだけ明るくなった。僕は苦笑いして、
「そうさ。櫛名田さんだって、君が心から謝罪すれば、許してくれるよ」
「ありがとう、磐神君。これからも、時々電話していいかな?」
須佐君は嬉しそうだ。
「時々じゃなくて、頻繁でもいいよ。僕達、友達でしょ?」
「うん」
須佐君はもう一度「ありがとう」と言って、通話を切った。
「お」
今度は亜希ちゃんからだ。
「はい」
「あ、武君、須佐君から電話あった?」
「あ、あったよ。さっきまで話してたんだ」
「そうなの」
僕は須佐君に話した事を掻い摘んで亜希ちゃんに言った。
「美鈴さんの知り合いだって言うのが、不良に絡まれた時の一番の対処法ね」
亜希ちゃんが楽しそうに言った。
「そうかもね」
僕も笑って応じる。
「あ」
僕は櫛名田さんのメールの事を思い出した。
「どうしたの、武君?」
僕は迷わず亜希ちゃんに話した。すると亜希ちゃんは、
「武君はどうなの? 姫ちゃんと花火見に行きたいの?」
ギクッとするような質問。僕は即座に、
「そんな事、全然ないよ。僕は亜希ちゃんと行きたいよ」
「ありがと、武君」
亜希ちゃんはとても嬉しそうだった。
「でも、行ってあげて、武君」
「え?」
な、何ですと!? それはどういう事?
「実はね、さっき姫ちゃんと話した時、その事を言われたの」
「そうなんだ」
でも、どういう展開?
「武君と一回だけどうしてもデートしたいって、お願いされちゃったの」
「は?」
えええ!? 亜希ちゃん公認で、櫛名田さんとデート?
でも、須佐君の立場は?
「親友にそんな風に頼まれたら、断れなくて。ごめんね、武君」
「え、いや、そんな、亜希ちゃんがそう言うなら、仕方ないよ」
僕は須佐君の悲しそうな顔を思い浮かべて、
「でも、須佐君に悪いなあ。どうしよう?」
「須佐君には、それを交際復活の条件として認めさせるって言ってたわ」
ふああ。櫛名田さん、すっごく悪女の才能があるなあ。
何だか、僕と須佐君て、弄ばされてるだけかも。
「でもね、武君」
「はい?」
急に亜希ちゃんが厳しい口調になる。
「それをきっかけに、姫ちゃんに乗り換えたりしたら、許さないわよ」
「ま、まさか!」
僕達は笑って電話を切った。
「朝食だって、何度言えば返事するんだ、バカ武ェッ!」
いきなり飛び込んで来た姉が、強烈なナックルパートを放って来た。
「いったあああ!」
その衝撃は、目が飛び出してしまうのではないかと思うほどだった。
でも、櫛名田さんとのデートがそれ以上に衝撃的になるとは、その時は夢にも思わなかった。