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姉ちゃん全集  作者: 神村 律子
大学四年編
310/313

その三百九

 僕は磐神いわがみ武彦たけひこ。大学四年。


 念願の教員まで、あと一歩のところまで来た。長かったようであっと言う間のような気もする。


 教員採用試験は、合格すれば必ず教員になれるという訳ではない。


 合格者は「教員候補者名簿」に登載されるだけなのだ。


 需要が合格者を下回れば、採用されない可能性もある。


 試験結果の上位者から順番に採用内定が出される。


 採用内定者は、教育委員会や学校長による面談を経て、本採用・赴任校が決定する。


 この時点で、本人には何もできる事がない。まさに「天命を待つ」しかないのだ。


 気を抜いていた訳ではなかったが、二次選考の合格発表から年末まで、あっという間だった気がした。


 そして、僕の彼女である都坂みやこざか亜希あきちゃんは、一月下旬にある社会福祉士の試験を目指して勉強中だ。


 何しろ、万遍なく得点しないと合格できないという過酷な試験なのだ。


 だから、僕達はしばらくデートはお預けにした。亜希ちゃんなら、そこまでしなくても大丈夫のような気もするが、


「武彦は社会福祉士の試験を知らないからそんな事が言えるの!」


 真顔で言われてしまった。確かにそうかも知れない。事情がわからないのに楽天的な事を言われると、ちょっとムッとしてしまう気持ちはよくわかる。


 自分達の事に夢中だったので、学友達の動向にすっかり疎くなってしまっていたが、同じ外国語クラスだった長石ながいし姫子きこさんは、地元の上級公務員試験に合格したそうだ。


 長石さん、随分頑張っていたんだな。知らなかった。


 その恋人である若井わかいたける君は、地元の会社に就職が決まったらしい。


 郷里に帰って、二人は結婚するそうだ。


 それから、丹木葉にぎは泰史やすし君は、以前聞いた通り、介護関係の仕事に就くようだ。


 その恋人のたちばな音子おとこさんは、都の上級公務員試験に合格したそうだ。


 みんな、凄いなと思った。


「亜希ちゃん、合格するわよ、絶対に。私達でも、何とかなったんだからさ」


 みんなで一度だけ集まって食事会をした時、長石さんが言った。


「そうそう。私達の中で、一番優秀なんだから」


 橘さんが相槌を打つ。亜希ちゃんは苦笑いして、


「そんな事ないですし、それ、返ってプレッシャーになりますから」


 皆は笑い合ったが、僕は亜希ちゃんが顔を引きつらせているのがわかり、あまり笑えなかった。


 試験が済んだ者とこれからの者の差だろう。


「またね」


 僕達はそれぞれに別れ、家路に着いた。そして、亜希ちゃんはその日からお付き合いを全て断わり、現在に至っているのだ。


 大学に一緒には行くけど、帰りは別だ。


 またバイトを再開した僕は亜希ちゃんより早く大学を出ている。


「先輩、お疲れ様です」


 バイト先には、一年後輩の長須根ながすね美歌みかさんがいる。


「間島君、今になって、教員試験を受けるの、躊躇ためらい始めているんですよ」


 長須根さんが愚痴を言い始めた。


 恋人の間島誠君は、僕と同じく教員試験を目指すつもりらしいのだが、僕の話を誰かから聞いたのか、ちょっとビビり始めているのだそうだ。


「でも、今から針路変更も難しいから、続けなさいって言ったんです」


 よくよく話を聞いてみると、長須根さんの亡くなったお兄さんも、教員試験を目指していたそうだ。


 でも、大学四年の時、お兄さんは病気で亡くなってしまったのだ。


 長須根さんは、間島君に教員になる事を強制した事はないそうだが、長須根さんがお兄ちゃん子だったのを知っているので、何としてでも教員になると言っていた。


 長須根さんは長須根さんで、間島君のお姉さんが料理が得意で、間島君にいろいろ作ってあげていたのを知り、そちら方面に狙いを定めているとの事。


 好きな人のために頑張る。それもありなのかな、と思った。


 ならば、僕は好きな人のために何ができるだろうかと考えてみた。


 亜希ちゃんは優しいから、僕の採用が決まるのを祈っているだろう。


 だったら僕は、一刻も早く彼女を安心させられるようにするしかない。


 採用が内定しても、面談で持ち越しになる可能性だってある。


 そんな事がないように、僕は母校で教育実習の指導をしてくださった高木睦美先生に連絡し、面談での心構えを尋ねた。


「そこで不採用になるなんて事はあり得ないから、あまり思い悩むな、磐神。大丈夫だよ。お前なら絶対に採用されるから」


 高木先生の温かい言葉に元気づけられ、僕は礼を言った。


 


 そして、大晦日。夜遅く、携帯が鳴った。その着信音は、永らく耳にしていなかった亜希ちゃん専用のものだった。


「はい」


 声を弾ませて出ると、電話の向こうで亜希ちゃんがクスクス笑っているのが聞こえた。


 ちょっとだけ恥ずかしくなった。


「武彦、今から出られない? 初詣に行こうよ」


 亜希ちゃんからのしばらくぶりのお誘いに僕は感激してしまった。


「うん」


 僕は素早く着替えをすませ、風呂から上がった母に出かける事を伝えて、家を出た。


「はしゃぎ過ぎよ、武彦!」


 母が呆れ声だったような気がしたのは、被害妄想だろうか?


「武彦!」


 驚いた事に、亜希ちゃんは晴れ着姿だった。手間暇がかかるのに……。感動してしまった。


「亜希!」


 まるでロミオとジュリエットみたいに喜び合った。大袈裟かな?


「年に一度くらいはね」


 亜希ちゃんがニコッとして小首を傾げた。可愛い! 可愛過ぎるよ、亜希ちゃん!


 そして、並んで神社へと歩き出す。周りにも同じようなカップルがいた。


 そして、もう少しで神社に着くと言うところで、新年を迎えた。


「明けましておめでとう」


 お互いに言い合い、木陰で新年初のキスをした。


 今までで一番印象的なキスだった。


 亜希ちゃん、頑張ってね。心の中で言ってみた。

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