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姉ちゃん全集  作者: 神村 律子
大学四年編
306/313

その三百五

 僕は磐神いわがみ武彦たけひこ。大学四年。


 月日はあっという間に過ぎ去り、遂に教員試験の二次選考の結果発表の日が来た。


 昨夜はほとんど眠れない程気持ちがたかぶってしまった。


 そして、今朝は日の出前には目が覚めてしまい、悶々としていた。


 母を起こしてはまずいと思い、そっと階下したに降りて行くと、まさに似た者親子を絵に描いたように、母も既に起きていた。


「おはよう、武彦。よく眠れた?」


 目の下に隈を作った母が、微笑んで言った。僕も同じか、もっと酷い隈ができているだろうと思いながら、


「いや、あまり眠れなかったよ」


「そう。母さんもよ」


 互いに苦笑いした。


 洗面をすませてから、まだ暗いキッチンに行き、明かりを点けて母が淹れてくれたお茶を飲んだ。


 まだかなり熱かったので、火傷をしそうになったが、何とかえられた。


 ふと気づくと、スウェットのポケットに入れていた携帯が震えていた。


 こんな朝早く、誰だろうと思って見ると、彼女の都坂みやこざか亜希あきちゃんからだった。


 僕はキッチンを出て、廊下で通話を始めた。


「おはよう、武彦。もう起きてるのね?」


 亜希ちゃんが言った。僕は微笑んで、


「おはよう、亜希。亜希こそ、もう起きているんだね?」


 すると亜希ちゃんは、


「だって、武彦の面接の結果が今日発表なんでしょ? 全然眠れなかったんだから」


 やや非難めいた口調だ。僕は、


「ごめん、心配かけて」


「ううん、それはいいんだけどさ」


 亜希ちゃんの心遣いに感動してしまった。


「朝食食べたら、そっちに行ってもいい?」


「あ、うん、いいよ。待ってるね」


「うん」


 通話を切り、キッチンに戻ると、母がジッと僕を見ているので、


「亜希ちゃんからだよ」


「いい彼女ね。絶対に幸せにしてあげないとね」


 また気の早い事を言い出した。


「そうだね」


 そこをたしなめたところで、話が長くなるだけなのは、姉と同じなので、何も言わないのが吉なのだ。

 

 朝食中は、何も話さなかった。母が気を遣ってくれたのだろう。


「行ってくるね」


 母はまさに後ろ髪を引かれるような顔で出勤した。今日は早番なので、結果が出る午前十時まで待っていられないのだ。


「メールで連絡するから」


「わかった」


 母は途中で亜希ちゃんと会い、少しだけ話をしてから、駅へと走って行った。


「おばさん、一緒にいられないのが悲しそうだったわ」


 亜希ちゃんが玄関で教えてくれた。僕は苦笑いして、


「ありがたいんだけど、仕事なんだから、仕方ないよ」


「その分、私がいてあげるから」


 亜希ちゃんがグイッと腕を組んで来る。また例のあれがムギュッと腕に当たった。


 でも、喜んでいる場合ではない。


「ありがとう、亜希」


 僕達は居間に行き、都庁のホームページに結果が掲載される時間になるのを待った。


 今日は一時限目の講義をサボる事にしたのだ。


 インターネットが普及する前は、都庁まで行くか、通知が郵送されるまで待つしかなかった。


 すぐに知る事ができるのは、嬉しいような悲しいような……。複雑だ。


 僕達は落ち着かずにソワソワしながらその時を待った。


 時が過ぎるのをこれほど遅く感じたのは大学の受験以来だろうか?


 そろそろ時間だと思い、携帯でアクセスしようとすると、いきなり呼び出し音が鳴り出した。


 姉からだった。全く。


「ど、どうだった?」


 うわずった声が受話口から聞こえた。僕はちょっとイラッとして、


「まだだよ! 姉ちゃん、気が早過ぎるよ。今から見るところなんだから」


「ああ、そうか、ごめん。わかったら、連絡くれ」


 そう言うと、サッサと通話を切る姉。マイペースこの上ない。


 僕は深呼吸して、携帯を操作した。亜希ちゃんがそれを固唾を呑んで見守っているのがわかり、余計緊張して来た。


 ホームページにアクセスし、確認する。スクロールする指が震えた。


「武彦、落ち着いて」


 亜希ちゃんが背中から抱きしめてくれた。そんな亜希ちゃんも震えているのがわかる。


「あった……」


 僕は自分の受験番号を見つけ、ボソッと言った。


「武彦!」


 亜希ちゃんが抱きついて来た。そして、いきなりのキス。しかも、情熱的なバージョン。


 僕も辛うじてそれに応える事ができた。


 しばらく、亜希ちゃんの「ご褒美」の余韻に浸ってから、まずは姉に連絡した。


「姉ちゃん、合格したよ」


「よかったな、武彦!」


 姉は泣いているようだった。もらい泣きしそうになったが、まだたくさん連絡しなければならないところがあるので、何とかこらえた。


 次に母の携帯にメールで連絡した。母は多分仕事中だから。ソワソワしているだろうけど。


 そして、姉の義理のお姉さんである沙久弥さんに連絡。


 亜希ちゃんが怒ると困るので、手短にすませた。


 それから、時間を見計らって、教育実習でお世話になった高木睦美先生に連絡した。


 ちょうど先生は休憩時間だったので、少しだけ話ができた。


 そして、居合わせた須芹すせり日美子ひみこ先生とも話ができた。


 お二人と話すと、どうしても多田羅たたら美鈴みすずさんの事を思い出してしまうが、今は話題にしない。


「これからが本当に根気のいる段階だからな」


 最後に高木先生が言ってくれた。教員採用試験合格は、あくまでスタートラインに立てただけなのだ。


「ありがとうございます」


 僕は電話だけど、深々と頭を下げ、通話を終えた。


 そして、亜希ちゃんが淹れてくれたコーヒーを飲んで、一息吐き、大学へ行こうと居間を出た時、携帯が鳴った。


 開いてみると、見知らぬ番号からだった。誰だろうと思いながら、


「もしもし?」


「磐神武彦さんの携帯電話ですか?」


 男の人の声だ。高木先生くらいの年だろうか?


「はい、そうですが、ええと?」


 僕は相手の男性に先を促した。するとその男性は、


「私は、多田羅亮と申します」


 あまりにも意外な人からの電話に、僕は一瞬頭の中が真っ白になってしまった。

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