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姉ちゃん全集  作者: 神村 律子
大学四年編
302/313

その三百一

 僕は磐神いわがみ武彦たけひこ。大学四年。


 教員試験の一次選考に何とか合格し、今は二次選考である面接に向けて準備中だ。


 一日中、勉強しているのも気詰まりになるので、いつもよりは短めだが、バイトにも行っている。


 バイト先から近い場所に住んでいる磯城津しきつ実羽みわさん。


 母の高校時代の同級生で、現在交際中(と表現すると母が烈火の如く怒るのだが)の日高ひだか建史たけふみさんのお嬢さんだ。


 お嬢さんとは言っても、四歳の娘さんがいるお母さんだが。


 そう言えば、先日バイト先で会った時、ちょっとふっくらしていたなと思ったら、妊娠しているとの事。


 それを知った娘さんの皆実みなみちゃんは、お姉ちゃんになるからと頑張っているそうだ。


 何を頑張っているのかと言えば、食事や着替え。そして、保育園でのお遊戯。


 赤ちゃんが生まれたら、教えるつもりらしい。


 そう言えば、僕の姉も、僕が生まれるとわかった時に、


「絶対に妹がいい」


 そう言って、母と今は亡き父を困らせていたらしい。


 母と父はそのとき既に、二人目が男だと知っていたからだ。


 何も知らない姉は、僕が生まれて来て、がっかりしたそうだ。


 それを聞かされた時、僕もがっかりしたのだが、話はまだ先があった。


 父にこんこんと諭された姉は、妹ではなかった僕の事を可愛がるようになった。


 そして、まるで自分の子供のように世話をし、それが段々すごくなって、最終的には父の世話まで焼くようになった。


 父が帰って来ると、玄関で三つ指を突いて出迎え、お風呂はもちろん一緒に入り、背中を流した。


 母が嫉妬してしまうくらいだったらしい。


 そこまで父に尽くしていた姉だから、父が交通事故で命を落とした時は、尋常ではない程落胆し、泣いた。


 只、姉は父の死を理解していたのではなく、父が遠くに行ってしまったと思っていたそうだ。


 そして、しばらくして、父が死んでしまった事、それはいくら待っても戻って来ないのだとわかった時、もっと泣いたという。


 そのせいで、当時まだ三歳になったばかりくらいの僕を殴り、怒ったのだ。


 僕に父の死が理解できたのは、それから随分と経ってからだった。


 姉程父と暮らした時間が長くない僕には、姉以上に父の死は実感できなかったのだろう。


 それでも、無意識のうちに教員になるための科目を選択している事を彼女の都坂みやこざか亜希あきちゃんに指摘された時、はっきりわかった。


 僕はずっとほとんど記憶がないながらも、父の背中を追いかけていたのだと。


 そこでようやく僕は父を強く意識するようになった。


 そこまで考えて、しばらく忘れていた事を思い出してしまった。


 多田羅たたら美鈴みすずさん。


 僕の教育実習先で出会った女子生徒。


 そして、父の命を奪った多田羅亮という人の姪だと後で知った。


 多田羅さんは否定していたが、彼女が僕に敵意を向けていたのは、伯父さんが僕の母のせいで刑務所に入れられたと思っているからだろう。


 そして、それは逆恨みだとわかっていながらも、後戻りしようとしていないのだ。


 亜希ちゃんにその事を話した時、


「違うかもしれないけど、多田羅さん、もしかすると妄想性パーソナリティ障害かも知れない」


 亜希ちゃんは、進路の関係で、いくつかの心理学を専攻していて、そういう方面の勉強もしているのだ。


 妄想性パーソナリティ障害とは、十分な根拠もなく他人を疑い、恨みを抱き続けたりする人の事らしい。


「武彦、もう多田羅さんの事は考えない方がいいよ。彼女がああいう態度を取るのは、貴方には関係ないのだから」


 亜希ちゃんは深刻な顔で僕に忠告してくれた。


「わかったよ、亜希」


 僕も、一時は真剣に多田羅さんと向き合おうと思ったのだが、それは不可能な気がして来た。


 教育実習でお世話になった高木睦美先生に一次選考に合格した報告をした時、


「とうとう多田羅は、狭野さのにまで疑いの目を向けて、攻撃を始めたらしい」


 そんな話を聞かされたからだ。


 狭野君は、同じく教育実習で受け持った生徒の一人で、多田羅さんと交際を始めた男子だ。


 その狭野君が、僕を庇うような事を言ったため、多田羅さんに敵と看做みなされ、罵倒されたらしいのだ。


 それに真っ先に気づいたのは、クラス担任の須芹すせり日美子ひみこ先生だ。


「須芹先生が母親とも何度か話をしたんだが、彼女の両親も、どうする事もできないようだ。今更ながら、父親は自分が仕出かした事の重大さを知って、打ちひしがれているそうだよ」


 高木先生は、もう多田羅さんとは話し合っても時間の無駄だから、忘れるように言ってくれた。


 そうなのかな? もう仕方ないのだろうか? 諦めるのは悲しかったけど、ご両親すら手に負えないのでは、僕には何もできないのかも知れない。


 だが、完全に諦めるのは嫌だ。いつか、機会があったら、何とかしたい。そう思った。


「多田羅も、お前の事を思い出さなければ、全く普通の生徒なんだよ。皮肉な事にな」


 高木先生の言葉に僕は衝撃を受けたが、でも、実際そうなのだろう。


 狭野君も、僕の事を話題にしなければ、ごく普通に多田羅さんと話をできるそうだから。


「お前にとっても心残りなのはわかるが、世の中にはどうしようもない事もあるものだ。忘れろ、磐神」


 高木先生は僕が納得していないのを察したのか、最後にそう言ってくれた。


「はい」


 僕は高木先生にこれ以上ご迷惑をおかけする事はできないので、素直に返事をした。


 時間がかかる事だ。僕は自分にそう言い聞かせて、多田羅さんの事を忘れる事にした。


 だが、それは一時的な事になる。その時の僕には、到底想像もつかなかったのだけど。

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