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姉ちゃん全集  作者: 神村 律子
大学四年編
281/313

その二百八十

 ああ。学校に行くのが憂鬱だ。こんな事は、高校二年の途中まで以来だ。


 僕は磐神いわがみ武彦たけひこ。大学四年。


 現在教育実習中。


 その中で受け持っている二年一組の生徒の多田羅たたら美鈴みすずさんに翻弄されている。


 名前が、我が姉と同じというだけでも、何となく萎縮してしまうのに、多田羅さんは僕の家に遊びに来て、帰りに送ったら、キスをして来たのだ。


 それも、かなり大人のキス。彼女の都坂みやこざか亜希あきちゃんには黙っていられず、詫びながら告げた。


 亜希ちゃんは責める事なく、僕を許してくれたが、多田羅さんの真意を測りかね、僕は動揺してしまった。


 二年一組のクラス担任である須芹すせり日美子ひみこ先生に相談し、須芹先生に多田羅さんから事情を聞いてもらったが、逆に多田羅さんは須芹先生を論破してしまった。


 人生で最大の難問が立ち塞がっているような気がした。


 そして、昨日、多田羅さんは我が姉のマンションを訪問した。


 姉は多田羅さんの話を逆手に取り、多田羅さんの素の顔を引き出したらしい。


 それでも、多田羅さんがどうしてそんな事をしたのかはわからなかったという。


「泣いて謝るかと思ったんだけど、あくまでお前の事が大好きだと言い張ったよ。でも、絶対嘘だと思うけどな」


 電話でそう言われた時、ちょっとだけしゃくさわったが、多田羅さんに好かれたい訳ではないので、そこは突っ込まなかった。


 次の日、学校に行くと、僕を全面的に指導してくれている高木睦美先生の呼ばれ、須芹先生の時と同じく、職員室の隣の応接室に行った。


「磐神、大丈夫か? 須芹先生の報告を受けたんだが」


 高木先生は僕を責めるために呼んだのではなかったので、少しだけホッとした。


「僕は大丈夫です」


 僕は作り笑顔で応じた。高木先生はソファに座りながら腕組みをし、


「須芹先生も言っていたんだが、俺も信じられないんだよ。どうして、多田羅がそんな行動に出たのかがね。成績も優秀だし、人望も厚い。男子の人気も高い上、品行方正なのに……」


 何だか、申し訳ない気がして来た。僕がこの学校に教育実習に来たせいで、一人の女子生徒の将来を揺るがしてしまったような気がして……。


「ああ、すまん、磐神。お前を責めているんじゃないんだよ。むしろ、お前も被害者だからな」


 高木先生は、僕が俯いたので、ハッとしたようだ。


「いえ、こんな言い方、おかしいかも知れませんが、落ち込んでいる訳ではないんです。只、どんな理由があるにしても、多田羅さんがあんな事をしたのは、僕がここに来たからだな、と思って……」


 僕は高木先生を見て言った。すると高木先生は溜息を吐いて、


「お前は高校の時からそうだったよな。誰かが何かをして、それに少しでも自分が関係していると思うと、謝りに来たりして……。反応が過敏過ぎると思うぞ」


「はあ……」


 そんな事あったっけ、と思うくらい、僕にとっては特別な事ではなかったのかも知れない。


「とにかく、お前が二年一組の授業をする時は、必ず俺が立ち会うから」


 高木先生はそう言って僕の右肩をポンポンと二回叩いた。


「はい、ありがとうございます」


 僕は立ち上がって高木先生に頭を下げた。


 


 そして、職員室に行き、授業の準備をする。


「磐神先生、大丈夫?」


 今度は須芹先生が声をかけてくれた。


「ありがとうございます。大丈夫です」


 僕は今度は心からの笑顔で応じられた。随分落ち着いて来たと思う。


「多田羅さん、ホームルームでは、ごく普通だったから、大丈夫だと思うけど、何かあったら、すぐに私か高木先生に教えてね」


 須芹先生があまりに顔を近づけて言ったので、僕はドキドキしてしまい、


「はい」


 そう応じるのが精一杯だった。




 その日最初の授業は、二年に組だった。僕は階段を上がり、踊り場に出たところで、


「磐神先生」


 男子生徒に声をかけられた。それは、多田羅さんと同じクラスの狭野さのたかし君だった。


「おはよう、狭野君。何かな?」


 僕は若干引きつり気味の顔で尋ねた。狭野君は間違いなく多田羅さんに思いを寄せている。


 恐らく、多田羅さんの事なのだろうと思ったので、後退あとずさりしそうだ。


 何しろ、狭野君は僕より身長が十センチ以上高いのだ。


 暴力に訴える事はないだろうけど、すでに圧倒されてしまっている。


「先生、まさか、みす、いや、多田羅さんと付き合うつもりじゃないよね?」


 驚いた事に、狭野君は泣きそうな顔をしていた。ええ? どういう事?


「何を言ってるのさ、狭野君。僕が多田羅さんと付き合う? あり得ないよ。僕には彼女がいるんだよ。君も知っているでしょ?」


 僕は苦笑いをして応じた。すると狭野君は更に僕に近づき、


「でも、多田羅さんは先生とキスしたって言ってたんだよ」


 ますます涙ぐんで目を赤くしている。狭野君、もしかして、僕と同類なのかな?


 でもまさか、狭野君にそんな事を話すとは思わなかった。どう対処したらいいんだろうか?


「こら、狭野。もう授業始まるぞ」


 その時、高木先生が階段を上がって来て、間に入ってくれた。


「あ、はい!」


 高木先生は学校で一番怖がられている先生なので、狭野君は顔色を変えて階段を駆け上がっていってしまった。


「磐神、まずいな。多田羅がクラスメートにも話したとなると……」


 高木先生が深刻な表情で言ったので、僕の心臓は恐ろしい速さで動き出した。


 多田羅さんと僕の事が、クラス中に広まってしまう? いや、下手をすると学年中、いや、全校に広まってしまうかも知れない……。


 どうしたらいいんだろう?

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