その二百七十三(姉)
私は力丸美鈴。只今、見苦しい嫉妬中。
我が夫の憲太郎が、偶然再会した中学校時代のマドンナ的存在である須芹日美子さん。旧姓は岩村さん。
その人は、あろう事か、我が愚弟の武彦の母校の先生。しかも、愚弟はその高校で教育実習中。
その縁なのか、私の誕生日である六月十五日に家に遊びに来ないかという所業に出て来た。
「喧嘩売ってるの?」
そんな風に邪推してしまった私。
愚弟は私の怒りを恐れて、須芹さんの申し出を断わった。当然な結果だが、少しだけ心配だったので、ホッとした。
それから数日後、驚いた事に須芹さんから私の携帯に電話があった。
憲太郎君が教えたらしい。まあ、それはいいのだが、
「武彦君と彼女さんだけでなく、美鈴さんも一緒に遊びに来ませんか?」
そんな事を言われて、私は仰天してしまった。
どうしよう? 断わる訳にもいかない。
「以前、お誘いしておいて、ずっとそのままになっていたので、ご一緒に如何かなと思いまして」
須芹さんの言葉には何も裏はないと判断した私は快諾した。
そして、その事を愚弟に連絡して、ちょっと嫌味を言ったら、そばで母が聞いていて、
「疑い過ぎよ、美鈴。それ以上バカな事を言うのであれば、母さんも怒るよ」
あれには慌てた。母は、一度怒らせてしまうと途轍もなく怖いのは、先日の母の実家との騒動でよく承知しているので、かなりビビってしまった。
「な、か、母さん、いたの? じょ、冗談よ、本気の訳ないでしょ」
まさしく、見苦しい程慌てて、呂律が回らない状態で言い訳をした。
母の隣で、笑いを噛み殺している武彦の姿を想像し、癪に障ったが、今はどうする事もできない。
そんな事で、武彦と奴の彼女の都坂亜希ちゃんと三人で須芹さんのお宅を訪問する事になった。
ところが、だ!
更に急展開があった。武彦から連絡があり、当日、教育実習で受け持っているクラスの女子生徒が家に遊びに来るので、行けなくなったと言って来たのだ。
「ふざけるな! 嘘も大概にしろ!」
だが、嘘ではなかった。須芹さんからも連絡があり、
「生徒と武彦君はもう今週でお別れですから、そちらを優先してと言いました。ごめんなさいね、美鈴さん」
「はあ……」
そういう事で、私は一人で須芹さんのお宅に行く事になった。
「憲人はしっかり面倒みるから」
最愛の息子を抱きながら、嬉しそうに送り出す憲太郎君が少しだけ憎らしかった。
かと言って、中学の時のマドンナの家に憲太郎君を誘う訳にもいかないし。
ああ、胃が痛くなりそうだ。どうしてこうなったの?
何でも、実家に遊びに来る女子生徒の中に「美鈴さん」がいるのだそうだ。
あいつの事だから、私と同じ名前の子にビビったのかも知れない。
まあ、亜希ちゃんも同席するらしいから、おかしな事にはならないだろうけどね。
後でじっくり話を聞こう。
そんな事を考えながら歩いているうちに、須芹さんのお宅の前に着いていた。
ドアフォンを鳴らすと、
「お待ちしてました!」
勢いよくドアを開いて顔を見せたのは、同じく憲太郎君の中学の同級性の須芹真治さんだった。
須芹さん、あいや、日美子さんと二人きりではないので、ホッとした。
本当に誠実そうな方だ。日美子さんがこの人を選んだ理由がわかった気がした。
「いらっしゃい、美鈴さん。お待ちしていました」
真治さんの後ろから、日美子さんが顔を見せた。
うわ、お淑やかが服を着ているような感じの人だ。
高校が一緒だったら、敵わなかったかも知れない、などと思ってしまった。
「お邪魔します」
私は玄関に足を踏み入れながら言った。すると、日美子さんが、
「もう、主人が、美鈴さんが来るので朝からソワソワしてしまって、ヤキモチ妬いていたんですよ」
想像もしていなかった事を言われた。ええ? すると真治さんは恥ずかしそうに俯いて、
「いや、その、力丸がすごく自慢していたから、会ってみたいって思ったんだよ。日美子が心配するような事じゃないよ」
うわ、憲太郎君、真治さんに何を話したのよ? 私のイメージ、どうなのかしら?
リビングダイニングに通されて、コーヒーを淹れていただいた。
二人のお子さんは、日美子さんのご実家で預かってくださっているそうだ。
お気遣いいただいてしまって、恐縮した。
日美子さんが食事の用意をしている間、私は真治さんと話をした。
憲太郎君の中学時代の事とか。
「力丸は中学時代も柔道していましたし、あの顔でしょ? すごくモテていましたよ」
そんな憲太郎君の親友だった真治さん。私は心配な事があったのだが、切り出せない。
「力丸が日美子と付き合っていたっていう噂があるんですけど、それはないですから、安心してください」
真治さんが察してくれたのか、そう切り出したので、私はびっくりしてしまった。
「いえ、別に……」
白々しい応じ方だったかも知れない……。顔に出ていたろうなあ。
「日美子は確かに力丸に思いを寄せていたらしいですけど、とうとう切り出せないままで終わったそうです」
真治さんは苦笑いをして、そこまで話してくれた。
切り出されていたら、危なかったかも。憲太郎君も日美子さんに憧れていたっぽいし。
「お二人の馴れ初めは?」
私はホッとしたせいか、そんな事を訊いてしまった。真治さんは更に照れ臭そうに笑って、
「馴れ初めっていうか、ちょっと卑怯な手段を講じたんですけど、力丸が貴女と付き合っているっていう情報が入って来たんですよ。それで、日美子にその話をして、僕じゃダメかって言ったのがきっかけなんです」
「そうなんですか……」
うわあ、真治さん、思い切ったのね! 何だか、素敵な関係だなあ。
「もう、貴方、昔の話はしないでよ。恥ずかしいわ」
そこへサラダを盛った大皿と取り皿を載せたトレイを抱えて、日美子さんが戻って来た。
キッチンとは壁ではなく、シンクが隔てているだけなので、丸聞こえだったのだろう。
「ごめんごめん」
真治さんは頭を掻きながら言った。本当に仲がいいご夫婦だ。
おかしな疑惑を抱いた自分が本当に恥ずかしい。
そして、食事が終わり、今度はお茶をいただいた。
「美鈴さん、武彦君、きっといい先生になりますよ。期待してください」
日美子さんに言われて、我が事のように照れ臭くなった。
「ありがとうございます。しばらくの間、よろしくお願いします」
私は立ち上がって深々と頭を下げた。日美子さんと真治さんへのお詫びも込めて。




