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姉ちゃん全集  作者: 神村 律子
大学四年編
273/313

その二百七十二

 僕は磐神いわがみ武彦たけひこ。大学四年。


 先週、姉の誕生日だという事ばかり考えていて、「父の日」だった事をすっかり失念していた。


 姉と僕の父は、姉が六歳、僕が三歳の時に交通事故で他界している。


 父の日をずっと祝った事がなかったので忘れてしまったと言えば聞こえがいいが、違う。


 ここ何年かは、彼女の都坂みやこざか亜希あきちゃんや姉の夫の力丸憲太郎さんのお父さん達を対象にして、お祝いをしていた。


 だから、「忘れていた」というのは言い訳にはならない。


 そして何より、母の日は大々的にお祝いしておいて、


「父の日も忘れないでくれよ」


 母方の祖父と父方の祖父に念を押されたのにも関わらず、まるで頭になかったのは本当に申し訳なかった。


「ごめんね、武彦。私も気がついていたのに、言わなくて」


 亜希ちゃんに謝られてしまった。彼女は彼女なりに、父がいない僕に気を遣ってくれたのだと思う。


 だから、悪くない。悪いのは、祖父達と約束しておきながら、それを怠った姉と僕だ。


「私も同罪だね」


 母も仕事から帰って来て、すっかり意気消沈していた。


「ウチの父はともかく、お義父とうさんの事を忘れてしまったのは、お詫びのしようがないわ」


 それでも、母はすぐに磐神の祖父に連絡し、失礼を詫びていた。僕も電話を代わり、お詫びした。


「いや、そんなに謝らなくていいよ。今までだって、ずっと忘れられていたんだからさ」


 祖父の言葉が胸に突き刺さる思いがした。


 従兄の須美雄さんも父の日のお祝いをしてもらったらしいのだが、同居していないせいか、祖父の事は忘れてしまっていたらしい。


 元々、ウチとの断絶が原因で、須美雄さんは祖父とはあまり交流していなかったそうだから、ある意味仕方がないのかも知れない。


 父のお兄さんである研二さんも、ちょうどその前後は出張だったので、奥さんの依子よりこさんと従姉の未実みみさんも祖父の事には思い当たらなかったそうだ。


「父親の存在なんて、母親に比べれば、そんなものさ」


 磐神の祖父は寂しそうに言った。僕はジンとしてしまった。


「来年は絶対に忘れないようにしないとね」


 電話を切った直後、母が真顔で告げたので、僕は黙って頷いた。


 姉はどうしていたのかと言えば、もっと大変だったらしい。


 綿積わたづみの祖父と磐神の祖父に謝罪し、憲太郎さんのお父さんの利通さんにも謝罪し、憲太郎さんのお姉さんの夫の西郷隆さんのお父さんの孝徳たかのりさんにも謝罪したらしい。


「あちこちとお約束していて、全部忘れるなんて、本当に恥ずかしかったよお」


 翌日、べそを掻きながら電話をかけて来た。何だか可愛いと思ってしまった。


 ごめん、亜希ちゃん……。


「でも、今回は仕方ないよね。たまたま、自分の誕生日と結婚記念日が重なったんだからさ」


 姉は早速自分を正当化し始めた。しかし、憲太郎さんはきちんとお祝いの品を贈っていたらしいから、姉の言い分は通らないのは知っている。


 だからと言って、それを指摘したところで、僕には何のメリットもないのもわかっているので、何も言わなかった。


「来年は忘れないようにしろよ、武」


 結局、不始末の張本人は僕という事で幕引きされてしまった。まあ、それでいいけど。


「それからさ」


 姉は急に話題を変えて来た。


須芹すせりさんが連絡をくれて、次の休みに家に遊びに来て欲しいって言って来たんだ」


「え?」


 須芹さんとは、憲太郎さんの中学の同級生で、男子達のマドンナ的存在だった人。


 そして、現在は我が母校の教員で、僕が教育実習で受け持っている二年一組の担任でもある。


 姉の誕生日に遊びに来ないかと誘われたのをお断わりしたら、また今度と言われたのだ。


 それにしても、姉に連絡するとは思わなかった。


「武彦君と彼女だけではなく、美鈴さんも一緒にどうですかって言われたぞ」


 姉の声のトーンが危険な響きなのは長年弟をしているからすぐにわかった。


 まだ、憲太郎さんと須芹先生の事を疑っているんだ……。


「憲太郎はいいんですかって、訊こうと思ったけど、さすかに嫌味がきつ過ぎると思ってやめといたけどな」


 それは絶対に言ってはダメだ。憲太郎さんと須芹先生のご主人にも失礼だと思う。


「姉ちゃん、須芹先生は憲太郎さんと付き合ったりしていないって言ってたよ」


 僕は我慢できずに言った。すると姉は、


「何だよ、お前は! 向こうの言葉を信用するのか?」


 思った通りの反応をして来た。予想していたとは言え、ちょっと情けない。


 横で聞いていた母が、


「疑い過ぎよ、美鈴。それ以上バカな事を言うのであれば、母さんも怒るよ」


 まさしく鋭い声で口を挟んだ。姉もそばで母が聞いているとは思っていなかったのか、


「な、か、母さん、いたの? じょ、冗談よ、本気の訳ないでしょ」


 酷く狼狽えているのが声だけでもわかった。


 結局、姉と僕と亜希ちゃんで、今度の日曜日に須芹先生のお宅に伺う事にした。


 そこまではよかった。


 


 次の日。


 その日の授業は滞りなく終了し、僕は提出書類を作成し、職員室を出た。


「磐神先生」


 そこへまた姉と同じ名前の多田羅たたら美鈴みすずさんが現れた。


 ドキッとしてしまう僕。多田羅さんはクスクス笑いながら、


「今度の日曜日に先生のお宅にお邪魔してもいいですか? 女子達五人で伺いたいんですけど?」


 驚愕の申し出をされた。


「えええ!?」


 あまり驚いた僕は、しばらくまばたきも忘れてしまう程だった。

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