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姉ちゃん全集  作者: 神村 律子
大学四年編
272/313

その二百七十一

 僕は磐神いわがみ武彦たけひこ。大学四年。


 只今、教育実習中。生徒とも特に何事もなくカリキュラムは進んでいる。


 そんな中、須芹すせり日美子ひみこ先生に、


「今度の休みにウチに遊びに来て。彼女と一緒に」


 そう言われた。これが単なる先輩教員の方のお誘いだったら、何も問題はない。


 だが、須芹先生は姉の夫の憲太郎さんの中学時代の同級生で、しかも男子の憧れの存在だった。


 そればかりではない。


 須芹先生が誘って来た日が、姉の誕生日であり、結婚記念日でもあったのだ。


 弟としては、絶対に外せない日なのだ。特に我が姉はそういう事にはうるさい。


 誕生日に欠席するだけでも大問題なのに、その欠席の理由が、憲太郎さんの中学の同級性で、しかももしかすると付き合っていたかも知れない女性の家に遊びに行くとあっては、許されるはずもない。


 僕は迷う事なく、須芹先生のお誘いを断わる事にした。


 翌日、僕は学校に着くと、すぐに須芹先生を探した。


「須芹先生、申し訳ないんですけど、今度の日曜日は姉の誕生日で、結婚記念日なんです。ですから、昨日のお誘いはお断わりさせてください」


 すると須芹先生はくすくす笑って、


「知ってるわよ。力丸君から聞いてるわ。昨日の夜、彼から電話があって、事情を説明されたの」


「そうなんですか」


 僕は姉が電話させたのかと一瞬思ったが、違うだろう。


 憲太郎さんのナイス判断だと思う。


「ごめんなさいね、武彦君。また今度、誘うわね」


 須芹先生が笑顔で言ってくれたので、僕はホッとした。


 あ、でも、また誘うつもりなのか。何でもない日なら、姉は何も言わないだろうか?


 ちょっと心配だが……。


「あの……」


 僕は気になっている事を尋ねる事にした。


「何?」


 須芹先生は笑顔のままだ。何だかドキドキしてしまう。


「先生はどうして僕の事を『武彦君』て呼んでくださるんですか?」


 僕は更に行動を速めて質問した。すると須芹先生はまたクスクス笑って、


「力丸君の義理の弟さんだからよ。磐神君なんて他人行儀な呼び方、嫌だったから」


「そ、そうなんですか……」


 須芹先生は周囲に他の先生がいないのを確認してから、


「貴方のお姉さん、誤解しているようなんだけど、私と力丸君は通常の会話こそしたけど、付き合ってはいないわよ」


「そ、そうですか」


 何故か顔が熱くなる。僕がそういう顔をしていたのだろうか?


「力丸君はもう忘れてしまっているようなんだけど、私、力丸君に助けられた事があるの」


 須芹先生は真顔になっていた。何だろう?


「助けられた?」


「ええ。彼とは小学校は別だったんだけど、夏休み中に市営のプールで私が溺れかけた時、力丸君に助けてもらった事があるの」


 須芹先生は懐かしそうな顔で教えてくれた。そんな事があったのか。


「それ以来、私、ずっと彼の事が好きで、中学で同じクラスになった時は天にも昇るような気持ちだった」


 うわあ……。そんな話を聞かされると、姉と顔を合わせるのが苦痛だ。


「あはは、こんな事まで話しちゃったけど、誰にも内緒ね。特に貴方のお姉さんには」


 須芹先生は右手の人差し指を口の前で立てて、右目でウィンクした。


「も、もちろんですよ……」


 とてもじゃないが、誰にも話せない。彼女の都坂みやこざか亜希あきちゃんにしか無理だ。


 そんな気持ちで授業に臨んだせいか、ミスが目立ち、後で担当の高木先生に注意されてしまった。


「どうしたんですか、磐神先生? お疲れですか?」


 職員室を出たところで、二年一組の多田羅たたら美鈴みすずさんに声をかけられた。


 姉と同じ名前の女子生徒。この子にもドキドキしてしまう。


「え、いや、そんな事ないよ」


 僕は嫌な汗を掻きながら苦笑いで応じた。すると多田羅さんは、


「そうですか? 板書のミスや、教科書のページのミス、それから読み上げのミスもありましたよ」


 しっかり気づかれていた。いや、生徒全員が気づいていたかも知れない。


「そうか。ごめん、迷惑かけて」


 僕は多田羅さんに頭を下げて詫びた。多田羅さんはびっくりした顔で、


「謝らないでくださいよ。私は別にそんなつもりでは……」


 その時、廊下の向こうから幾人かの男子生徒が僕を見ているのに気づいた。


 須芹先生の話だと、多田羅さんは男子に人気があるらしいから、まずいな。


「授業に遅れるよ」


 僕は腕時計を見て多田羅さんを促した。多田羅さんはニコッとして、


「はい!」


 元気よく応じると、手を振りながら駆け去る。ひらりと舞ったスカートの下から太腿が見えたので、ギクッとした。


 男子達は多田羅さんが振り返ると同時に逃げ出し、いなくなってしまった。


 


 そして、姉の誕生日当日。


 僕は姉が荒れるのを見越して、憲太郎さんのお姉さんの沙久弥さんとお母さんの香弥乃さんにも声をかけ、来てもらった。


 もちろん、亜希ちゃんも出席している。母は仕事の都合で来られなかったけど。


「あ、ありがとうございます、お義姉ねえさん、お義母かあさん」


 思っても見なかった二人の来訪に姉は顔を引きつらせて挨拶していた。


 そして、どうやら憲太郎さんの仕業と思ったらしく、小声で何か言っていた。


 後で憲太郎さんに謝らないといけないな。


憲人けんとはまた大きくなったわね」


 沙久弥さんと香弥乃さんは姉と憲太郎さんの息子の憲人を見て言った。


「そう言えば、隆久君は元気ですか?」


 姉が憲人をベビーベッドから抱き上げながら尋ねる。沙久弥さんは微笑んで、


「隆君が連れて行ったわ。最近は彼にべったりなの」


 隆君とは沙久弥さんの夫の西郷隆さん。警視庁第一機動捜査隊所属の警察官だ。


 隆久君をあやす西郷さんはあまり想像がつかないが、子煩悩らしい。


「沙久弥さん、ヤキモチ妬いてますね?」


 姉がすかさず突っ込むと、沙久弥さんは、


「ええ。隆久を隆君に取られてね」


 微笑ましい会話だなあ。と思っていたら、亜希ちゃんに二の腕を抓られた。


 どうやら、沙久弥さんを嬉しそうに見ていたらしい。


「ごめん、亜希ちゃん」


 僕は小声で謝った。すると亜希ちゃんは、


「私達も早く赤ちゃん欲しいね、武彦」


 大胆発言。僕は顔が火照るのを感じた。


「そう言えば、二人はいつ結婚するの? 結納はまだだったかしら?」


 沙久弥さんに突然そんな話を振られ、僕は亜希ちゃんと顔を見合わせてしまった。


 そんな事はまだまだ先の気がする。


 教員試験合格、大学卒業、と道のりは遠いのだ。


 頑張らないと。


 そして、沙久弥さんと香弥乃さんが早めに帰ろうとするので、姉が引き止めると、


「今日は父の日だから」


 父のいない姉と僕に気遣ったのか、申し訳なさそうに教えてくれた。


「ああ!」


 僕と姉は、綿積わたづみの祖父と磐神の祖父との約束を忘れていたのを思い出した。


 しまった……。どうしよう?

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