その二百六十一(亜希)
私は都坂亜希。大学四年。
とうとう、最終学年になってしまった。
今見据えているのは、社会福祉士の試験。
看護師だった母と同じ道を歩もうと思ったが、高齢化社会になっていくこの国の現状を思い、福祉関係の仕事に就こうと考えるようになったのは高校三年の時だった。
私の彼の磐神武彦君は亡くなったお父さんが教員だったので、教員試験を受ける事を決断している。
大学を決める時、武君は私と同じ大学に行きたいと言ってくれ、どちらかと言うと教員試験を受けるには不利ではないかと思える道を進んでくれた。
私達が通う大学は国立の名門で、それが故に幅広く学部が存在している。
法学部、理学部、経済学部、社会福祉学部、工学部、医学部。
都内でも一二を争うマンモス校なのだ。
にも関わらず、教育学部がない。武君によると、それはあまり問題ではないらしいのだけど、何となく申し訳ない気持ちになってしまった。
「四年になったら、休みの日も試験勉強に振り向けないとね」
武君はそう言っていたが、実は彼は昨年の秋から、着々と試験の準備を始めていたのは知っている。
そういう事はお互いに詮索はなしという約束をしているので、敢えて追及しない。
そんな事があったので、私はまた勇み足をしてしまったようだ。
中学の同級生で、一番の親友である須佐姫乃ちゃんに、
「そろそろ磐神君といくところまでいかないと」
妙な事を吹き込まれ、高校の同級生の伊佐奈美ちゃんや、武皆方(旧姓:富谷)麻穂ちゃん、天野小梅ちゃんにも唆されたせいで、遊園地の帰りにホテルで一泊し、武君に迫ってしまった(きゃああ!)。
優しい武君は私を宥めてくれた。私は号泣した。
半分嬉しくて、半分切なかった。
私って、女の魅力が足りないのだろうかと思ってしまったのだ。
でも、だからこそ、何を置いても、武君と結婚したいと更に強く思った。
そして、四月。
武君と私は、また今まで通り、通学を開始した。
武君は春休みの私の「暴走」に触れる事なく、いつも通りに接してくれる。
とても嬉しくて、ちょっと涙ぐんでしまった。
「え? 亜希、どうしたの?」
その様子に気づいた武君が私を気遣ってくれた。
「ううん、何でもないよ」
「そう?」
立場が逆だったら、そんな返答は許さない私と違い、武君は何も訊いて来ない。
それが寂しくないかと言うと、寂しいのだが、そこが武君のいいところだから、何も言えない。
「いよいよ始まるね、最終学年が」
大学の最寄り駅を降りた時、武君が呟いた。
「うん。悔いのないように頑張ろうね、武彦」
危うく「武君」と言いそうになってしまった。
「お久しぶりね」
そこへ、いろいろあったけど、今は真の友人となった長石姫子さんと若井建君が現れた。
「お久しぶりです」
武君と私は声を揃えて挨拶を返した。
「おはようございます」
更に丹木葉泰史君と橘音子さんもやって来た。
「おはよう。みんな、元気そうでよかった」
長石さんが笑顔で言った。
私達は会えなかった時間を埋めるようにいろいろ話しながら、学部棟を目指した。
「おはようございます」
途中で、経済学部の長須根美歌さんも合流して来た。
彼女は三年生なので、進路を本格的に検討する事になる。
「おはよう」
男子達が心なし嬉しそうに見えたのは、私の思い過ごしだと考えたが、
「建!」
長石さんはそうは思わなかったみたいで、ニコニコして長須根さんに話しかける若井君の耳朶を思い切り引っ張った。
「いてて、痛いよ、姫子!」
若井君は目に涙を浮かべて抗議している。でも、長石さんは顔を背けてしまった。
それを見ていた丹木葉君は慌てて橘さんのご機嫌取りを始めた。
武君は長須根さんに何かを話しかけられていた。何だろうと思い、耳を傾けると、
「間島君のお姉さんが春休み中に結婚して、それからずっと間島君、落ち込んでいるんです」
彼の間島誠君は、武君以上のシスコン男子だから、お姉さんの結婚が余程ショックだったようだ。
「先輩なら、いい慰め方をご存知かと思って……」
長須根さんは私が見ているのに気づき、申し訳なさそうに武君に尋ねている。
確かにその質問は武君にするのが一番的確だろう。だから、私は長須根さんに微笑み返した。そして、
「武彦、教えてあげなさいよ。簡単でしょ?」
ちょっと嫌味がきつかったかな、と思ったが、そう言ってみた。すると武君は、
「時間が解決してくれるよ、長須根さん。無理に元気づけようとしても、間島君を追い込むだけかも知れないから、なるべくその話題には触れない方がいいよ」
さすがと賞賛したくなるようなアドバイスをした。
「そうですね。いつも通りに接するしかないですよね」
長須根さんもすっかり納得していた。武君、惚れ直しちゃった。
学部棟の前で長須根さんと別れ、ロビーに入った。
「じゃあね、武彦。お昼までお別れね」
武君と受講科目が違っているので、私は後ろ髪を引かれる思いで武君と別れた。
「うん」
武君も寂しそうに小さく手を振っている。ジンとしてしまった。
教員試験を受ける人達は、今月願書を取り寄せ、提出しなければならない。
受付期限は五月の初旬だが、早めに出しておく必要があるのだ。
私も毎日をフルに受講に当てないと、追いつけないくらい忙しくなる。
すれ違いが続くけど、我慢しなくちゃ。それがお互いのため、そして将来のためでもあるのだから。
必ず、揃って合格しようね、武君。