その二百六十
僕は磐神武彦。もうすぐ大学四年。
姉の美鈴が三月初旬に出産した。男の子で、名前は憲人。夫である憲太郎さんから一文字採ったのだ。
女の子だったら、鈴音と名づける予定だった。もちろん、姉から一文字採った名前だ。
憲人は自分にとっては甥。最初はそんなに嬉しくはないと思ったのだが、実際に憲人に会い、抱かせてもらうと、もうどうしようもなく可愛くなった。
彼女の都坂亜希ちゃんも、憲人にメロメロで、ちょっと嫉妬してしまうくらいだ。
「ドンドン嫉妬して」
その事を亜希ちゃんに話すと、そう言われてしまった。
「今まで私ばかり嫉妬していたんだから、たまには武彦も嫉妬してよ」
恥ずかしそうに俯いて言う亜希ちゃん。可愛過ぎる。
「わかった。亜希が引くくらい嫉妬するね」
冗談混じりに言うと、亜希ちゃんは嬉しそうに笑ってくれた。
今日は久しぶりのデート。
春休みが長い割りには、お互い忙しくてなかなか予定を合わせられずにいた。
ようやく二人揃って一日空けられる日ができたのだ。
四年になれば、もっと忙しくなるから、最後のデートと思って楽しもうという事になった。
だから、思い切って、千葉にある遊園地に行く事にした。
亜希ちゃんは親友の須佐姫乃さんや高校の同級生と何回も行っているらしいのだが、僕は初めて。
いくらかかるのか、どうすればいいのかも知らず、亜希ちゃんにご指導願った。
「大袈裟よ、武彦ったら」
亜希ちゃんはクスクス笑いながら、丁寧に教えてくれた。
人気のアトラクションは僕の想像以上に行列ができており、二時間待ち、三時間待ちは当たり前だった。
有名なキャラクターを見かける事はできても、近づく事はできなかった。
そもそも、春休みに混雑するところに行くこと自体が間違っているのかも知れない。
それでも、根気よく並び、乗りたいものには何とか乗る事ができた。
「楽しかったね、武彦」
亜希ちゃんは一息吐いたレストハウスで言った。
「うん。もっと早く来ればよかったって、後悔しているよ」
僕は本当は行列に並んでクタクタだったけど、そんな事は噯気にも出さずに応じた。
「ホントは武彦は、萌えたかったんでしょ?」
亜希ちゃんがニヤリとして言う。亜希ちゃんは未だに僕の趣味であるフィギュアを誤解したままだ。
その手の人形と言うと、アニメの女性キャラだと思っているのだ。
実際、僕のフィギュア仲間でそういうものが好きな奴はたくさんいる。
だから、仕方がないのかも知れない。しかし、どうにも納得がいかない。
いい機会だから、きっちり説明しようと思った。
「だからね、そうじゃなくて……」
でも結局、亜希ちゃんは理解してくれなかった。誤解を解くには時間をかけるしかないようだ。
それから、レストランで昼食を摂り、午後の部を開始した。
亜希ちゃんはそこから経験を生かし、うまい順序でアトラクションを選んでくれたので、午前中程並ばずにすんだ。
とは言え、乗っていた時間に比べれば、圧倒的に行列していた時間の方が長かったけどね。
一人で来たら、絶対に無理だ。そのまま帰ってしまうかも知れない。
大体、一人では絶対に来ないし。
「お土産を買おうか?」
亜希ちゃんが言った。二人で真っ先に思いついたのは、憲人へのお土産だった。
でも、憲人はまだ小さいので、どんなものを買ってあげればいいか、わからなかった。
なので、一番人気のぬいぐるみを二人からのお土産という事で買った。
そして、姉が拗ねると困るので、僕だけで姉に憲人よりは小さめの人形を買った。
確か、姉は人魚姫が大好きだったはずと思い、それを買った。
「じゃあ、私は憲太郎さんに」
亜希ちゃんは悪戯っぽく笑い、憲太郎さんには人形ではなく、バスタオルを買った。
そして最後に、お互いにもお土産を買った。僕は亜希ちゃんに耳付の帽子を、亜希ちゃんは僕にお姫様の人形を……。
何だか恥ずかしかったが、亜希ちゃんなりの冗談だと思い、快く受け取った。
「ありがとう」
互いに言い、建物の陰でキスをした。
そして、夜。イルミネーションが綺麗なパレードを観た。
涙ぐんで観ている亜希ちゃんを見て、僕も泣きそうになった。
「また来ようね」
亜希ちゃんはとびっきりの笑顔で言ってくれた。
「もちろん」
僕も笑顔で返した。
「武彦、明日、予定あるの?」
遊園地の外に出た時、亜希ちゃんに不意に尋ねられた。
「え? 明日はゆっくり休もうかと思っているから、何も予定はないよ」
「じゃあ、ホテルに泊まろうよ」
亜希ちゃんは恥ずかしそうにクネクネして言った。
「えええ!?」
僕は仰天してしまった。いや、お泊まりはまずいのでは……。
心臓が壊れそうなくらい激しく動き出した。亜希ちゃん、今日は何だかテンションが高いとは思ったけど、この事をずっと胸に秘めていたからなのか?
「もちろん、同じ部屋……」
最後の方はゴニョゴニョになって、よく聞き取れなかった。
ここまで女の子に言わせて、
「いや、それはまずいから帰ろう」
そんな事は言えない。僕は亜希ちゃんの肩を優しく抱き寄せて、
「うん」
それだけ言った。亜希ちゃんも僕に寄りかかって来た。
ホテルとは言っても、遊園地の系列のホテルで、決してあのホテルではない。
亜希ちゃんはお母さんには泊まると言ってあるらしいが、お父さんには友人と出かけると言ってあるそうだ。
だんだん亜希ちゃんが大胆になって来た気がする。
夕食をホテルのレストランですませ、部屋に行った。
すると、何とベッドは大きめのが一つ。目眩がしそうだ。
「汗掻いちゃったから、シャワー浴びるね」
亜希ちゃんが浴室に入って行く。僕は動悸がして来て、ベッドの足元にあるソファに倒れるように座った。
「武君も、シャワー浴びたら」
バスローブを着て頭にタオルを巻いた亜希ちゃんが出て来た。呼び捨てを忘れているので、相当動揺しているのがわかる。
亜希ちゃん、何を考えているんだろう? 僕は仕方なく、浴室に入った。
まさかとは思ったけど、亜希ちゃんが入って来たりしたら困ると思い、ロックをした。
手が震えて、身体をうまく洗えない。仕方がないので、シャワーで汗を流す程度で浴室を出た。
お互い、バスローブの下は何も来ていないんだと思うと、更に動悸がして来た。
「武君、いいよ」
また呼び捨てを忘れている。亜希ちゃん、無理はしないでって前にも言ったはずなのに……。
亜希ちゃんは頭のタオルを外し、バスローブを脱ごうとした。
「亜希」
僕はそれを止めた。そして、黙って首を横に振る。するとようやく亜希ちゃんは我に返ったようだ。
ワアッと泣き出し、僕に抱きついて来た。うわ! 直ではないけど、柔らかいものが……。
そして、亜希ちゃんは泣き止んだ。僕は亜希ちゃんを宥め、バスローブを着たままで、寝る事にした。
「まだ僕達はここまでで止めておこうよ。綺麗事を言うつもりはないけど、その方がいいよ」
「うん」
それでも、亜希ちゃんと同じ部屋、同じベッドで寝るなんて、もう限界を超えているような衝撃だ。
しばらくすると、亜希ちゃんは可愛い寝息を立て始めたが、僕は完全に一睡もできずに朝を迎えた。