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姉ちゃん全集  作者: 神村 律子
大学三年編
257/313

その二百五十六

 僕は磐神いわがみ武彦たけひこ。大学三年も終了した。


 長い春期休暇に入った。


 だが、僕も、彼女の都坂みやこざか亜希あきちゃんも、のんびりしていられない。


 四月になれば、四年。就職も大事だが、その前に卒業論文も控えている。


 しかも、教職を取るつもりの僕には、教育実習も控えている。


 今から胃が痛くなりそうだ。


 ところが、弟でもある僕には、もっと大変な事が待っていた。


 姉である美鈴が、三月に出産予定なのだ。


 しかも、上旬。もうすぐなのだ。


「武君、育児、頼むね」


 昨日、電話でアニメ声の姉に命令された。


「姉ちゃんの、お・ね・が・い」


 姉はそう言っていたが、あれはお願いではない。命令だ。


 しかも、相当レベルの高い命令だ。


「美鈴はそんなつもりはないわよ。気にし過ぎよ、武彦」


 母はそう言って笑ったが、僕にはそうは思えなかった。


 試験勉強どころではない。こうなって来ると、早く姉に出産してもらい、できるだけ手早く育児をすませるしかない。


「私も手伝うね」


 心優しい亜希ちゃんは、真剣な眼差しで言ってくれた。


「亜希ちゃんには迷惑かけられないよ」


 僕は遠慮でも何でもなくそう言ったつもりだったが、


「私がやりたいの!」


 亜希ちゃんにムッとされてしまった。どういう事だろう?


 もしかして、僕達の子供が生まれた時の予行演習のつもりなのだろうか?


 うわ、僕達の子供だなんて、顔が爆発しそうなくらい火照ってしまう事を想像してしまった。


 恥ずかしい……。


「予定では、三月七日だから、まだ少し間があるよ」


 姉の夫である憲太郎さんが教えてくれた。だが、油断はできない。


 あの姉の事だ、予定通りに行動するとは思えないのだ。


 僕はいつでも対応できるようにバイト先のコンビニでは、携帯をバイブにして肌身離さず持ち歩いた。


「お姉さん、安産だといいね」


 店長にまで心配された。姉は出産が終わったら、あらゆる人に挨拶回りに行くべきだと思った。


「美鈴さん、予定日いつなの?」


 母のボーイフレンド(そう言うと母は怒るが)である日高ひだか建史たけふみさんの次女である磯城津しきつ実羽みわさんに尋ねられた。


「三月七日だそうです」


 僕は顔を引きつらせて答えた。実羽さんまで知っているなんて……。


「たけくん、みなみもたけくんのあかちゃんをうみたい」


 実羽さんの娘さんの皆実ちゃんが心臓に悪い事を言い放った。


 それには実羽さんも仰天したらしく、


「もう、この子ったら、どこでそんな事を覚えて来るのよ!」


 顔色を変えていた。


「武彦君、また来るね」


 動揺が酷い実羽さんは嫌がる皆実ちゃんを引き摺るようにして帰ってしまった。


 僕も嫌な汗がたくさん出た。皆実ちゃんがあんな事を言い出すんだから、西郷シスターズの長女の恵さんの二人のお嬢さんにはしばらく会いたくないと思った。


 これ以上心臓に負担がかかる言葉を聞きたくないからだ。


 ところが、僕の人生は波瀾万丈が通常なようだ。


 コンビニを出た時、母から連絡があった。


「美鈴が出先で破水して、救急車で病院に運ばれたわ!」


 金切り声で言う母に僕は只返事をするだけ。


 どうやら、当人は極冷静だったらしく、救急隊員の人に通っている病院を告げたという。


 さすが、姉ちゃん、と思ってしまった。


 そんな僕はと言うと、どうしたらいいのかわからず、電車を乗り間違えそうになり、亜希ちゃんに電話するつもりで間違えて中学の同級生の須佐昇君にかけてしまった。


 それが怪我の功名と言うべきなのか、須佐君に落ち着くようにアドバイスされた。


「磐神君、お姉さんの出産でそんなに慌てていたら、都坂さんの時、どうするのさ?」


 須佐君に突っ込まれてしまった。亜希ちゃんの時? えええ!? 想像もつかない。


 そんな事を言われたせいで、僕は余計パニックになってしまった。


「磐神君、落ち着いて!」


 また須佐君に諭されてしまった。情けないな……。


 ようやく自分を取り戻し、病院の最寄り駅に降りた時、憲太郎さんから電話があった。


「今、生まれた。男の子だよ」


 憲太郎さんは泣いているみたいだった。


「おめでとうございます」


 僕も泣いてしまった。ホームを行き交う人達は、突然泣き出した僕を怪訝そうな目で見ながら通り過ぎていく。


「何を置いても、武彦君に一番に知らせてくれって、美鈴が言ったんだよ」


 憲太郎さんのその言葉にまた泣けてしまった。


 姉はずっと二つの事で僕に負い目を感じていたのだ。


 一つは、憲太郎さんと一緒に暮らす事が決まったのを僕にだけ言いそびれた事。


 そして、もう一つは、妊娠がわかった時、僕にだけ言うのを忘れていた事。


 だから、今回は何としても僕に一番に連絡したかったのだそうだ。


 僕は憲太郎さんとの通話を終え、亜希ちゃんに連絡した。


「おめでとう、武彦」


 ところが亜希ちゃんには須佐君の奥さんの姫乃さんから連絡が行ったらしく、出るなりお祝いを言われた。


「ありがとう。何か変だね、この会話」


 僕は当事者ではないのに、と思ったのだが、


「武彦も晴れて『叔父さん』になったんだから、おめでたいでしょ?」


 亜希ちゃんにそんな事を言われて、ちょっとだけ落ち込みそうになった。


 大学生にして「叔父さん」か。


 所謂いわゆる「おじさん」とは意味は違うけど、響きは一緒だからなあ。


「私達も早く子供が欲しいね、武彦」


 最後のとどめという感じで、亜希ちゃんに言われてしまった。僕は倒れそうになった。


 だが、落ち込んではいられない。


 姉が戻って来るのだ。そのための準備をしなければならない。


 僕は母に連絡して、必要なものを聞き出し、ドラッグストアで買えるものは買った。


 


 ところが、更に予期せぬ出来事が起こった。


「武彦君は教員試験を控えていて、大変だから、美鈴さんにはウチに来てもらいなさい」


 憲太郎さんのお姉さんである沙久弥さんが進言した。


 姉は反対する事もできず、力丸家に赤ん坊と共に行く事になった。


「毎日、顔を出してね、武君。姉ちゃんのお・ね・が・い」


 姉から必死のメールが来たのは言うまでもない。


 ほっとしたような、ちょっぴり残念なような複雑な気分だ。

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