その二百五十(姉)
私は力丸美鈴。出産間近の妊婦。
初詣の日、思ってもみない人から救いの手を差し伸べられたのを知り、驚くと共にホッとした。
その人は、同じ会社に勤めている沖永未子さん。
一年先輩だ。
沖永さんは、「妹会」という会に参加しており、それが縁で、私や愚弟の武彦のいとこである磐神未実さんに出会った。
そして、お兄さん大好きという共通項があったためか、すぐに意気投合したそうだ。
武彦から伝え聞いた限りでは、今度こそ未実さんと和解できると思い、出社早々、沖永さんに声をかけた。
「明けましておめでとうございます、沖永さん。先日はありがとうございました」
「おめでとう、力丸さん。何とか力になりたいので、未実さんのお兄さんに連絡をとってくれる?」
沖永さんは辺りを憚るようにして小声で言った。私は眉をひそめて、
「どうしたんですか?」
すると、沖永さんは苦笑いして、
「御真津先輩には知られたくないから」
「ああ、なるほど」
御真津可恵さんは五年先輩で、かなり結婚に焦っている人だ。
同期の神沼美弥さんも婚約が決まったので、以前より見境がなくなっているのだ。
御真津さんは大人しくしていれば相当な美人なのだから、引く手数多の気がするのだが、条件が厳しいようだ。
「年収は私の二倍で、身長は私より十センチ以上高くて、高学歴で……」
そんな事を言っているから、彼もできないのよ、とは、神沼さんの言葉。
確かにそうかも知れない。
御真津さんのもう一ついけないところは、何にでもしゃしゃり出て、事態を悪化させてしまうところ。
確かに今回の未実さんの件、あの人が首を突っ込んだら、余計こじれてしまうだろう。
知られないに越した事はない。
幸い、沖永さんは未実さんに相当信頼されているようなので、今度こそ何とかなるだろう。
「未実さんはお兄さんと二人きりだと本当の事が言えないから、私に間に入って欲しいって言って来たの。だから、その前にお兄さんに会って、未実さんの事を話しておきたいの」
沖永さんは周囲の警戒を怠らずに話を続けた。
「まさかとは思いますが、沖永先輩、未実さんのお兄さんに会うのが楽しみだったりします?」
ちょっと悪戯心が働いて、尋ねた。すると沖永さんは顔を赤らめて、
「何言ってるのよ! そんなはずないでしょ!」
丸わかりだ。相当楽しみにしていると見た。大丈夫かな。そう思ったので、
「私も同席していいですか?」
「力丸さんこそ、会いたいみたいね、未実さんのお兄さんに?」
逆に沖永さんにニヤリとされた。嫌な汗が出たが、
「それこそ誤解ですよ。須美雄さんは従兄ですよ。それに奥さんもお子さんもいるんですから」
「だったら、私だって同じ立場だと思うけど?」
沖永さんはドヤ顔で言った。もう苦笑いするしかなかった。
お姉さんの最高峰が義理の姉の沙久弥さんなら、お兄さんの最高峰は須美雄さんかも知れないと思ってしまった。
いかん、いかん。
お昼休みに須美雄さんの携帯に連絡した。
須美雄さんと新年の挨拶して、その後またこの前の事を謝罪された。
どこまでも義理堅くて誠実な人だ。私は用件を手短に伝えた。
須美雄さんは驚いたみたいで、しばらく応答がなくなった。
「あの、須美雄さん?」
探るようにして声をかけると、
「ああ、すみません。いや、未実がそんな風に思っていたなんて、全然知らなかったので……」
須美雄さんは未実さんが自分の事を大好きだと知って、少し動揺しているみたいだ。
今までそんな素振りは全くなかったそうだ。
「言われてみれば、未実は僕の家には来たがらないし、子供達には優しいけれど、妻とはほとんど話さないですね……」
観点を変えるとわかって来る事もあるものだ。
もちろん、未実さんはお兄さんを異性として好きになっている訳ではない。
最近、ネット小説などで大いに持て囃されている関係ではない。
端的な言葉で言えば、ブラコンなのだ。この言葉は、沖永さんにも失礼なので使えないけど。
私は沖永さんと代わった。沖永さんは須美雄さんに未実さんの思いを伝え、未実さんと話す前に会っておきたいと告げた。
須美雄さんと話している間中、頬を紅潮させていたのは、指摘しないでおこう。
そして、三人で会う事になり、須美雄さんにお礼を言って通話を切った。
「もう、力丸さんがおかしな事を言うから、余計緊張しちゃったわ」
沖永さんは火照った顔を手で扇ぎながら言う。私は、
「そうなんですか?」
笑いを噛み殺した。
昼食を手早くすませ、午後の外回りに出る。
ホームで電車を待つ間に、憲太郎君に連絡した。
「どうして美鈴も行くの?」
当然の質問をされたが、
「沖永先輩が不安そうだったからよ」
「ホントかなあ?」
憲太郎君は須美雄さんと私の関係を疑っている訳ではないのだろうけど、妙なライバル心があるみたいだ。
完全に考え過ぎなんだけどね。
「だったら、一緒に行く?」
「いや、それは遠慮しとくよ」
尻込みしたかな、なんて思ったら、失礼か。
電車が来たので通話を終え、乗り込んだ。
そして、乗換駅で少し時間があったので、武彦の携帯に連絡した。
「はい」
何故か警戒するような声で出た。
「どうした、何かあったのか?」
私が尋ねると、武彦は、
「いや、そうじゃないんだけど、さっき未実さんと偶然会ったから」
「え?」
ギョッとしてしまった。何だろう?
未実さんは働いていないから、外出はあまりしないと聞いていたのだが。
「お前、今どこにいるんだ? 未実さんが大学まで行ったのか?」
「違うよ。大学は明日まで休みだよ、姉ちゃん。今日はバイトなんだよ」
武彦の言葉が耳に突き刺さる。そうか、学校関係はまだ年始休みなのか……。
「で、偶然てどういう事だ? 未実さんはお前がそこにいるって知らないで来たのか?」
「うん。長須根さんに会いに来たらしいよ」
長須根さんとは、武彦と同じ大学の別の学部の一学年後輩だ。通称「経済学部の巨乳ちゃん」だ。
長須根さんも、妹会に所属しているので、そのつながりで未実さんと仲良くなったらしい。
長須根さんのお兄さんが亡くなったのを知り、未実さんは泣いたそうだ。ちょっと想像がつかないんだけど。
「で、お前は未実さんと話したのか?」
「話してないよ。長須根さんとシフトが違って、午後からだから、帰って行く未実さんと会っただけで、会釈程度しかしてないよ」
武彦が何か話していないか知りたかったが、それならそれでいい。
私は搔い摘んで用件を伝えた。
「ふーん。で、どうして姉ちゃんも行くの?」
武彦にもそう言われたので、また嫌な汗が出た。
「何でよ? 姉ちゃんが行っちゃいけないっていう法律でもあるの?」
小学生みたいな返しをしてしまった。
「そ、それはないけど……」
武彦は何故か狼狽えていた。
「ごめん、休憩時間終わったから」
武彦は逃げるように通話を切ってしまった。まあ、こっちとしても助かったんだけど。
未実さん。今度こそ和解したいな。