その二百四十九
僕は磐神武彦。大学三年。
姉夫婦と母と、彼女の都坂亜希ちゃんと一緒に初詣に出かけた。
家族揃ってなのは小学校以来だろうか?
そして、義理のお姉さんである西郷沙久弥さんとご主人の西郷隆さんも途中で合流した。
初詣の後、西郷さんはそのまま機動隊の仕事へ赴き、沙久弥さんは姉達のマンションに行った。
母と亜希ちゃんと僕が家の近くまで来た時、事件は起こった。
いや、事件ではないかも知れないけど。
姉が勤めている会社の先輩である沖永未子さんが現れたのだ。
沖永さんは「お兄ちゃん大好き」な人。だから、亜希ちゃんはあまり警戒していない。
沖永さんが現れただけなら、確かに事件ではない。沖永さんが言った言葉が事件だったのだ。
「実は、磐神未実さんの事でお話したい事があるんです」
関係を修復しつつある亡き父の実家。
その家族の一人である未実さんの名前を沖永さんから聞くとは夢にも思わなかったのだ。
僕達はしばし呆然としたが、母が、
「ここでは何ですから、中へどうぞ」
玄関の鍵を開けて、沖永さんを家の中に招き入れた。
僕は亜希ちゃんと顔を見合わせてから、その後に続いた。
母は沖永さんを居間に通し、キッチンに行った。亜希ちゃんが僕に目配せして、母を追いかけるように居間を出た。
僕は沖永さんと二人きりにされたので、ドキドキしてしまった。
「ごめんね、武彦君、突然」
沖永さんはバツが悪そうに僕を見て、ゆっくりソファに座った。
「いえ。でも驚きました。沖永さんが未実さんと知り合いだなんて」
僕は沖永さんの向かいに座った。すると沖永さんは微笑んで、
「偶然なの。ほら、長須根さんに妹会の話をしたでしょ?」
長須根さんは、僕のバイト先の同僚で、大学も一緒。その縁で、沖永さんと知り合い、妹会という考えようによっては脅威の組織に加わった。
そこまで思い出して、ある事を思い出した。
「未実さんも妹会のメンバーなんですか?」
僕の問いかけに沖永さんは頷き、
「長須根さんの次に入会したの。大好きなお兄さんとうまくいっていなくて塞ぎ込んでいたら、友人に妹会を紹介されたって」
大好きなお兄さん? 未実さんは、お兄さんの須美雄さんが大好きだったのか。
それはちょっと意外だ。そんな印象は全然なかったから。
母が亜希ちゃんに「妹会って何?」と尋ねているのが聞こえた。沖永さんは母にお茶を出されて会釈してから、
「それで、経緯を聞いてすっかり意気投合して、いろいろ話していくうちに、彼女の名字が『磐神』だと知って、あれって思って……」
確かに珍しい名字だから、親戚かも知れないと想像するだろうな。未実さんも、同じく「お兄ちゃん大好き」な沖永さんには心を開いたのだろうか?
「最初は未実さんは否定していたんだけど、暮れも押し詰まった頃になって、実はって自分から相談して来たの」
「相談?」
僕は鸚鵡返しに尋ねた。亜希ちゃんが僕の隣に座り、母は沖永さんの隣に腰掛けた。
「ええ。ずっと交流がなかった叔父さんの家の人が来て、関係を修復したいと言ったのだけど、私は嫌だったので拒否した。でも、そのせいでお兄ちゃんにきつく叱られて、凄く悲しくなったので、どうしたらいいのか教えて欲しいって」
未実さんは未実さんで苦しんでいたのか。僕は亜希ちゃんと顔を見合わせて、二人で母を見た。
母も意外そうな顔で沖永さんを見ている。
「未実さんは、皆さんとどういう事があったのかは話してくれませんでしたから、詳しい事はわからないので、よろしければ、理由を教えていただきたいんです。未実さんを助けたいというのもありますが、それ以上に同僚である美鈴さんのご家族と未実さんとの間に何かあるのは悲しいですから」
沖永さんは僕、亜希ちゃん、母と順番に見てから言った。
母は、沖永さんと僕が一番付き合いがあるのを亜希ちゃんから聞いたらしく、
「武彦が説明して」
そう言って、亜希ちゃんと頷き合った。どうやら、キッチンで事前の打ち合わせがあったらしく、亜希ちゃんは決まりが悪そうに僕を見て微笑んだ。
僕は溜息を吐きそうになるのを我慢して、沖永さんに経緯を説明した。
沖永さんは途中何度か頷きながら、真剣な表情で聞いてくれた。
「わかりました。行き違いなんですね。どちらが悪いという事ではないのですよね?」
沖永さんは母を見た。母はゆっくりと頷き、
「ええ。強いて言えば、私が短気だったんです」
「それはあまりお考えにならない方がいいと思いますよ。未実さん自身、どうして叔父さんの家族を憎まなければならないのかわからないまま、ずっと暮らして来たと言っていたんです。誤解が解ければ、大丈夫ですよ」
沖永さんが未実さんの話を聞いて持った印象は、
「お母さんに刷り込みされている」
それだけだったそうだ。その刷り込みしていた母親の依子さんが自分より先に関係修復に動いてしまったので、未実さんには訳がわからなくなったのだろうと。
「一度、私が未実さんと話して、それからこちらに連れて来ます。そして、しっかり話し合えば、きっとうまくいくと思います」
沖永さんは大学に行っていた時、心理学を専攻していて、カウンセラーを目指した事もあるそうだ。
「未実さんは大学受験に失敗した時も、就職に失敗した時も、お母さんにもお父さんにも『慌てなくていいから』と言われたそうです。幼児期から、随分甘やかされて育ったようなので、母親に裏切られたと思う気持ちが強いようです。でも、大好きなお兄さんに強い言葉で叱られて、相当ショックだったらしく、自分が悪いのかも知れないと思うようになったみたいなんです。もう少し時間をかければ、何とかなると思います」
まさに思ってもみないところに「救いの女神」がいた。
僕達は沖永さんにお礼を言い、送り出した。今度こそうまくいく。
何度も辛酸を舐めたから、警戒したくなるけど、その思いを振り払った。
沖永さんを見送ってから、僕は姉に電話して事情を説明した。姉はあまりにも意外な人物の登場に驚いていたが、
「そう言えば、沖永さんて、揉め事を仲裁するのがうまいと思った事がある」
会社でも、沖永さんは様々な諍いを解決していたらしい。
「で、妹会って、姉ちゃんも参加できるの、武君? 姉ちゃんも一応『義理の妹』だから」
いつものように似ていない亜希ちゃんの物真似で訊いて来る姉。僕はここぞとばかりに、
「沙久弥さんも、依里さんも、詠美さんも参加しているよ」
すると姉の反応がなくなった。いくら姉が強気でも、沙久弥さんだけではなく、西郷シスターズの三号さんと四号さんが参加してるのでは、尻込みするだろう。
これ以上妹会が強大にならないように祈りたい。