その二十四
僕は磐神武彦。
みんなが遊びに出かけているゴールデンウイークはずっとバイトだった。
小さい時に父を交通事故で亡くし、母の苦労を見て来た姉と僕は、「連休に遊びに行く」という発想がない。
それを苦痛だとも思っていない。だって母は僕達の何倍も働いているし、我慢しているのだから。
姉が奇麗なのは、母に似たからだ。
でも、母は、化粧品にかけるお金が勿体ないと、ほとんど気にしていない。
「母さんに、今までのお礼をしよう」
姉がそんな事を言ったのは、連休最終日だった。
姉は日中ガテン系の職場で男の人に混じって仕事をし、大学の夜間の講義に出ている。
だから、日焼けが痛々しい。奇麗な顔が台無しだ。
「何だよ、武?」
悲しそうに自分を見ている僕の視線に気づき、姉はムッとした顔で言った。
「べ、別に何でもないよ」
「姉ちゃんの顔を、可哀相な子を見るような目で見ておいて、何でもないだと!?」
うわあ、見抜かれてたあ! たちまち右腕を捻られる。
「ご、ごめん、姉ちゃん! 許して!」
僕は慌ててタップした。姉は放す寸前にさらに腕をひねった。
「いて!」
僕は思わず叫んだ。
「大袈裟なんだよ、お前は」
「そんな事ないよ」
僕は口を尖らせて反論した。
「あんたのせいで、余分な体力使った」
姉は捨てゼリフのような事を言う。もう僕は何も言わない。
姉はようやく本題に入った。
「今度の日曜日が母の日だから、母さんに化粧品をプレゼントしようと思うんだけど」
「うん、いいね。僕はいくら出せばいい?」
姉の提案には「賛成」以外の選択肢はない。意見など言おうものなら、大変な事になる。
「お前は三千円でいいよ。残りは姉ちゃんが出すから」
「どんなものを買うの?」
僕は亜希ちゃんに買ってあげる時の参考にと思い、尋ねてみた。
「お前、化粧品の事なんかわからないだろ? 姉ちゃんに任せなさい」
「う、うん……」
そう言われてしまうと、何も言えない。
「お金は後でいいから」
姉はそれだけ言うと、解散を宣言した。
そして、母の日当日。
いつものようにキッチンで朝食の準備をしている母に、姉と僕はそっと近づいた。
「やだ、驚かせないでよ! 忍者みたいに音もなく近づいて」
母は振り向いたら僕達がいたので、ビクッとした。
「母さん、いつもありがとう。これ、私達からの感謝の気持ち」
姉は、ある化粧品メーカーの袋と、赤いカーネーションを一輪母に差し出した。
「……」
母は呆然としていたが、
「な、何よ。そんな事しないでって、いつも言ってるでしょ? ウチは貧乏なんだから」
と言いながら、涙ぐんだ。
「そうなんだけど、たまにはいいじゃない、母さん。受け取って」
姉ももらい泣きしそうになりながら言った。
「ありがとう、美鈴、武彦」
母は嬉しそうに袋とカーネーションを受け取った。
「これからは、もっと奇麗な母さんでいてね」
姉の言葉に母は、
「今更遅いわよ」
と返した。いや、遅くないよ、母さん。母さんは今でも十分奇麗だから。
恥ずかしいから言葉にできなかったけど、ホントにそう思った。
「あんたこそ、少しは気遣いなさいよ、美鈴」
「へへへ」
姉は涙を拭って笑った。
そしてその日の夜。
夕ご飯は、ご馳走だった。母が腕によりをかけて作ってくれたのだ。
これでは「母の日」の意味がないような気もした。
久しぶりに、三人で揃って食べた。
普段よりずっと美味しかったのは、気のせいではないだろう。




