その二百四十六
僕は磐神武彦。大学三年。
先日、みんなで父の実家に行き、和解をしようとしたのだが、従姉の未実さんとはできなかった。
父の兄である研二さんとその奥さんの依子さんも、本心はどうかわからない。
でも、母が言ったように、ゆっくり進んでいくしかないのだ。
そして、今日は彼女の都坂亜希ちゃんと別行動の日。
でも、今回はフィギュア仲間とは行動を共にする予定はない。
たまには一人で出かけようと思い、外に出た。
亜希ちゃんは親友の須佐(旧姓:櫛名田)姫乃さんと出かけている。
「おはよう、武彦君」
ちょうど玄関を出て来た亜希ちゃんのお父さんに挨拶された。
「おはようございます」
僕は笑顔で挨拶を返した。お父さんは妙に嬉しそうに、
「今日は亜希とは別行動の日なんだって?」
「ええ、そうです」
何だろう? あまりにも嬉しそうなので、ちょっと引く。
「亜希はうるさいだろう? 困っていないか?」
意外な事を訊かれた。いや、例え困っていたとしても、そんな事は言えません。
そう言いたかったけど、それも無理だ。
多分、お父さんは僕と話したことを全部亜希ちゃんに言うだろうから。
「いえ、全然」
あれこれ言うと、尾ひれが付きそうなので、言葉少なに応じた。
「そうか。困った事があったら、いつでも相談に乗るよ」
お父さんはニコニコしたままで、郵便受けに入っていた新聞を取り出すと、家に戻って行った。
僕はもう一度会釈をして歩き出した。
駅に着いたが、どこに行くとも決めていなかったので、改札を通り抜けてから考え込んだ。
大学近辺の書店に行くか?
それとも、今まで全然行った事がないところに足を向けてみようか。
「あら、武彦君、今日は一人?」
意外な人に声をかけられた。
「沙久弥さん、お久しぶりです」
振り返ると、そこには姉の義理のお姉さんである西郷沙久弥さんがいた。
子供がいるとはとても思えない「ザ・美少女」ルック全開だ。
「沙久弥さんもお一人ですか?」
僕は周囲を見回して尋ねた。すると沙久弥さんはコロコロと笑って、
「隆君は隆久と一緒にお出かけよ。柔道を見せたいんですって」
「そうなんですか」
隆久君は沙久弥さんと西郷隆さんの長男。西郷さんは姉の夫の憲太郎さんと共にリオの五輪を目指している。
隆久君にも柔道を習わせたいのだろうか? それにしても、隆久君はまだ一歳だよね?
気が早すぎるんじゃないかなあ。
「親バカでしょ?」
沙久弥さんはまるで僕の心の中を覗き見たように言った。ギクッとしてしまった。
「まだ隆久には早いから、もう少し待ちなさいって言ったのに、聞かないのよ。隆君が私の言う事を聞かないなんて、初めてだからびっくりしたわ」
沙久弥さんは笑顔で言うが、僕は顔が引きつりそうだ。
西郷さんて、沙久弥さんに逆らった事、今までなかったんだ……。
「武彦君はどこかに行く途中なの?」
沙久弥さんは思いついたように僕を見つめる。
「い、いえ、別にどこに行こうとかは決まっていなくて……」
僕も沙久弥さんには逆らえない気がした。
「そうなの。私、これから長須根さんが働いているコンビニエンスストアに行くところなの。確か、武彦君もそこで働いているのよね?」
沙久弥さんは何故かすがるような目をしている。
あ、そうか。沙久弥さん、方向音痴なんだっけ?
「是非来てくださいって言われていたんだけど、なかなか行けなくて。今日予定が空いたので行こうと思ったの。でも、降りる駅はわかったけれど、お店の場所がわからなくて……」
やめてください、沙久弥さん。目をウルウルさせられたら、ドキドキしてしまいます。
「それで、武彦君は今日はアルバイトはお休みだと長須根さんに聞いたので、道案内をお願いに行こうと思ってここで降りたの」
沙久弥さんにそう言われたら、断われない。後で亜希ちゃんに知られたらまずいなあ。
「亜希さんには私から連絡しておくわね」
沙久弥さんはニュータイプなのだろうか、と思ってしまった。
亜希ちゃんは沙久弥さんから電話をもらって、恐縮しているみたいだ。
「私が無理を言って一緒に行ってもらうの。ごめんなさいね、亜希さん」
沙久弥さんにそこまで言われたら、亜希ちゃんも何も言えないだろう。
取り敢えず、僕も後で亜希ちゃんに連絡しよう。
「じゃあ、行きましょうか?」
沙久弥さんは笑顔全開で僕を見た。
それにしても、亜希ちゃんと歩いていた時も感じたが、それ以上だ。
沙久弥さんはどう見ても僕より年下に見えるから、二人で歩いていると、恋人同士に見えるのだろう。
男達の視線を独り占めにしている沙久弥さん。ついでに奇異な目で見られている気がする僕。
彼女が怒り出して、喧嘩が始まったカップルもいた。
「私達、どう見えるのかしら?」
電車に乗ると、沙久弥さんが言った。まさか沙久弥さんにそんな質問をされるとは思わなかったので、僕は狼狽えてしまった。
「姉弟に見えるんじゃないですか?」
辛うじてそう答える事ができた。まさか「恋人同士」とは間違っても言えない。
「あら、残念」
沙久弥さんがそんな冗談を言うとは……。嫌な汗が出る。
まもなく、僕達はコンビニの最寄り駅に着き、電車を降りた。
「こっちです」
僕はキョロキョロしている沙久弥さんを先導して歩き出し、コンビニに向かった。
「ああ、長須根さんがいるわね」
沙久弥さんが遥か前方に見える長須根さんらしき人がゴミ箱を掃除しているのを見て言った。
凄い視力だ。鳥並みだな。長須根さんもこちらを見てお辞儀をした。
すると更に店の中から同僚の男子一人と店長まで出て来た。
沙久弥さん、凄い人気だ……。
「美歌さん、やっと来られたわ」
沙久弥さんは何故か緊張しているような顔つきの長須根美歌さんに告げた。
「は、はい、先生」
長須根さんは顔を強張らせている。ああ、そうか。長須根さんは合気道の師範である沙久弥さんを知っているから、緊張するのか。
「先生はやめて。今はお友達同士でしょ、美歌さん」
沙久弥さんは微笑んで応じた。
「はい、沙久弥さん」
長須根さんは少しだけ表情を和らげた。
沙久弥さんは買い物をしたいからと事務室に行くのを断わり、長須根さんと話しながら店内を回っている。
店長はがっかりしていた。全く……。
「羨ましいなあ、磐神先輩。あんな美人のお義姉さんがいて」
長須根さんの後に入った二年後輩の塚本君が言う。僕は苦笑いした。
「あら、武彦君、今日はお休みじゃなかったの?」
そこへ磯城津実羽さんが娘さんの皆実ちゃんと現れた。
「そうなんですけどね」
僕は事情を話すと、実羽さんは早速沙久弥さんに近づき、話しかけた。
皆実ちゃんは嬉しそうに長須根さんにじゃれている。
「何だ、また今日も武彦君は一人じゃないんだ」
更にそこへ姉が勤めている会社の先輩の御真津可恵さん、神沼美弥さんが現れた。
っていうか、まだこのお二人は僕を狙っていたのか?
お二人も同世代の沙久弥さん、実羽さんとすぐに打ち解けた。
そんな事で、コンビニは「姉ーズ祭」開催中になった。
ちょっと怖いのは内緒。