その二百四十五
僕は磐神武彦。大学三年。
父の実家との完全な関係修復に力を尽くしてくれた従兄の須美雄さん。
その須美雄さんの思いを踏みにじる結果を生み出したのは、須美雄さんの妹の未実さんだった。
その挙げ句、ご両親である研二さんと依子さんをなじり、本心ではないだろうと断じた。
そのせいで須美雄さんは酷く動揺した。
僕達は須美雄さんを宥め、時間をかけてゆっくり進む事を提案し、父の実家を後にした。
父の両親、すなわち、姉と僕の祖父母はずっと黙ったままで僕らを見送ってくれた。
二人も相当ショックだったのだろう。
だが、未実さんを責める事はできない。
「元はと言えば、私が父さんの事で感情的になって、絶縁状を送りつけたのが悪いんだから」
母は冷静だった。
「でも、それを抜きにしても、未実さんの言動は酷過ぎるわ。信じられない」
姉は駅へと向かう途中でとうとう感情を爆発させた。
「須美雄さんに申し訳ないから何も言わなかったけど、大人とは思えないような態度だった」
姉がヒートアップするのを憲太郎さんが気遣うように、
「美鈴、お腹の子に良くないから、あまり感情的にならないで」
「うん……」
姉はハッとして憲太郎さんを 見た後、自分のお腹を見て、
「ごめんね」
愛おしそうに撫でた。それを見て、僕はウルッと来そうになった。
「さっきも言ったけど、今までの止まっていた時間に比べれば、動き出した時間はずっと短いの。ゆっくり進めるしかないのよ」
母も姉に微笑み、その肩を抱いた。
「そうね。焦っても何もいい事ないもんね」
姉は潤んだ目で母と憲太郎さんを見る。
「あのさ」
僕はちょっと疎外感を感じたので、口を開いた。三人の視線が一斉に僕に向く。
「もし、僕が未実さんの立場だったらって考えてみたんだけど、やっぱりそう簡単には受け入れられないと思うんだ」
姉は母と顔を見合わせたが、憲太郎さんは微笑んで僕を見ると、
「そうだね。僕もそう思うよ」
僕は少しだけホッとして話を続けた。
「須美雄さんは父さんの事をいろいろと知っている人から情報を得ていて、何があったのか公平に知る事ができたのだろうけど、未実さんはご両親からしか情報が入って来ないから、判断が偏るのは仕方ないと思うんだ」
姉と母はちょっと癪に障るくらい目を見開いて僕を見ている。
「須美雄さんは実家を離れて暮らしているから、より客観的に伯父さんと父さんとの経緯を考える事ができた。でも、未実さんにはそういう機会はなかったと思うんだ」
「どうしたの、武彦? 今日はやけに冴えてるじゃないの?」
姉は僕の頭を撫でながら言う。鬱陶しかったので手で撥ね除けて、
「僕達が何を言っても、未実さんは聞き入れないよ。だから、未実さんが信頼している人に説得してもらうのがいいと思うんだ」
「なるほど、それは名案だね」
憲太郎さんはすぐに賛成してくれたが、姉は、
「でもさ、未実さんが信頼している人って、未実さんの話を聞いていて、先入観があるんじゃないの?」
早速ケチをつけてきた。これだからもう……。
「その可能性もあるだろうけど、私達が未実さんを説得するよりは近道ではあるんじゃないの?」
母も賛成してくれた。すると姉は口を尖らせて、
「はいはい、わかりましたよ」
拗ねてみせる。そういうところ、やっぱりいとこ同士だからだろうか、未実さんに似ている気がした。
そんな事で、未実さんとの和解を進めるために、未実さんの周りにそれを頼める人がいないか、探す事になった。
そして次の日、僕はいつも通り、彼女の都坂亜希ちゃんの家に向かった。
「おはよう、武彦」
亜希ちゃんは眩しいくらいの笑顔で言った。僕は躊躇う事なく、昨日あった事を亜希ちゃんに話した。
「そっか、ダメだったんだ」
亜希ちゃんは自分の事のようにがっかりしてくれた。
「未実さんも混乱していると思うんだ。落ち着けば、きっとわかってもらえると思う」
「そうね」
駅へと歩きながら、僕は亜希ちゃんに未実さんを説得する方法を話してみた。
「確かにそうね。私が未実さんの立場だったら、ご両親の心変わりに驚くわ。だって、二人の話を聞いて、それが本当の事だと思って、何年も信じて、ずっと武君達の事を怨んだり、憎んだりしていたんでしょう?」
亜希ちゃんは真剣な表情で僕を見る。僕はビクッとしてしまったが、
「そうだね」
何とかそう応じた。すると亜希ちゃんは何故かニヤニヤして、
「もしかして未実さん、美鈴さんに似ているの?」
「え? どうしてわかったの?」
僕は亜希ちゃんは超能力者になったのかと思った。
「だって、武彦が未実さんを一生懸命理解しようとしているから」
亜希ちゃんは微笑んでいるが、僕は心臓が止まりそうになった。
まさかとは思うけど、亜希ちゃん、未実さんに嫉妬してるの?
確かに、未実さんは美人で、性格の一端が姉に似ているかも知れないけど、それはないよ。
亜希ちゃんは姉にも嫉妬するくらいだから、未実さんに嫉妬しても不思議じゃないのかな。
「姉ちゃんに似ているところもあるけど、未実さんはもっときつそうだよ。でも、どこか寂しそうな感じがしたんだよ」
言い訳のつもりではなく、僕はそう言った。
「寂しそうな感じ?」
亜希ちゃんが鸚鵡返しに訊いて来た。僕は頷いて、
「うん。只、そう思えただけだから、理由を訊かれると答えられないんだけど」
それは本当だ。何となくそう感じただけだから。未実さんも第二子、僕も第二子だからだろうか?
「早く理解し合えるといいね」
亜希ちゃんがギュッと腕を組んで来る。コートを着ているから、例のアレは感じないけど、亜希ちゃんの温もりは伝わって来た。
「うん」
僕達は微笑み合って、駅へと歩いた。