その二百四十二(姉)
私は力丸美鈴。只今新米妊婦。
定期検診も順調で、出産が楽しみになりつつある。
親友の美智子は暮れに出産予定。彼女の子供と同級生にしたかったので、希望が叶い、喜ばしい限りだ。
そして、その日も病院に寄ってから、出勤する予定だった。
病院のロビーに入ろうとした瞬間、携帯が鳴った。
いつかかって来てもすぐわかるように着メロを替えてあったので、すぐに誰からなのかわかった。
そのせいで、愛する憲太郎君に疑惑を持たれたのも確かだが、そんな対象ではないのは理解して欲しい。
その相手とは、父方の従兄である須美雄さん。
既婚者で、すでにお子さんが二人いる良きパパ。憲太郎君の疑惑もちょっと度が過ぎている。
確かに以前、母と二人で須美雄さんに会った時は、あまりにも亡き父に立ち居振る舞いまでよく似ていたので、ドキッとしたが、それは恋愛感情とは違う。
「はい」
声を弾ませて出てしまったので、少し恥ずかしくなった。やっぱり、誤解されても仕方ないかな?
「朝早くすみません、美鈴さん。今、大丈夫ですか?」
電話で声だけだと、父が話しているような錯覚に陥る程よく似ている。
「はい、大丈夫です。病院に行く途中ですから」
「え? 具合が悪いんですか?」
須美雄さんが言う。私はクスッと笑い、
「いえ、違います。新しい命を授かったんです」
「ああ、そうでしたか。おめでとうございます」
まだ一度しか会った事がないので、いとこ同士なのに会話がぎこちない。
「ありがとうございます。それで、もしかして例の件ですか?」
私は探るような調子で尋ねた。例の件とは、父の実家との事だ。
父の父母、私や愚弟の武彦にとっては祖父母に当たる人達とはすでに何の蟠りもないのだが、父の兄である研二さんの奥さんの依子さんと須美雄さんの妹さんの未実さんとは、まだ完全修復には至っていない。
その修復を須美雄さんが引き受けてくれたのだ。
「はい。母はすぐに僕の話を聞いて理解を示してくれましたが、妹が全然言う事を聞いてくれませんでした。でも、時間をかけて説得して、ようやく自分が意固地になっているのをわかってくれました」
須美雄さんの努力は並大抵のものではないだろう。母の親友の塚沢紀美子さんから伝え聞いた話では、依子さんは夫の研二さんより須美雄さんを頼りにしているらしく、須美雄さんに言われれば、すぐに折れるという事だった。
それは事実だったようだ。
未実さんが手強いのは、実際に父の実家で顔を合わせた時の態度でわかったけど。
「それから、研二伯父さん自身はどうなのでしょうか?」
それも心配だったので、訊いてみた。すると須美雄さんは、
「父は母の顔色を窺っているだけですから、何も心配ないですよ。それにしても、時間がかかり過ぎました。申し訳ありません」
その言葉に私はウルッと来てしまった。
「とんでもないです。早かったと思っています。年内には無理かなと思っていましたから」
それは本心だ。もっとこじれると思っていたのだから。
「そう言っていただけると助かります。ありがとうございます、美鈴さん」
どこまでも誠実そのものの須美雄さんは、年下の私に丁寧な言葉でお礼を言ってくれた。
「須美雄さん、私達、長く交流がなかったから会話がぎこちないのは仕方ないですけど、私は年下なんですから、そんなに丁寧な言葉でなくてもいいですよ」
私は須美雄さんの人柄に感動しながら、そう言った。すると須美雄さんは、
「すみません。僕はどうも堅い人間で、友人からもよく言われるんです」
「そうなんですか」
ますます須美雄さんに魅力を感じてしまった。ああ、ごめんね、憲太郎君。
「今度の日曜日、都合が付くようでしたら、珠世叔母さんとご主人と弟さんと一緒に実家にいらしていただきたいんです。全員で話をして、全部決まりをつけようと思っています」
「わかりました。母と夫と弟に話して、お返事致します」
私は鼓動が高鳴るのを感じながら、通話を終えた。
ようやく終わる。
母の実家との和解から始まり、父と母が「仕出かした事」の始末が何とかつけられるのだ。
ホッとしたせいか、涙が流れていてびっくりした。
そして、この事を伝えるべく、再び携帯の画面を見る。
今回は武彦に一番に知らせようと思い、奴の携帯に電話をした。
「どうしたの、姉ちゃん?」
妙な時間帯に連絡したので、武彦は私に何かあったと思ったらしく、不安そうな声で出た。
武彦らしくて、笑いそうになる。
「須美雄さんから連絡があった。今度の日曜日に父さんの実家に集合して欲しいって」
躊躇う事なく、すんなりと言えた。武彦が一瞬息を呑む音が聞こえた気がした。
「須美雄さんは、絶対にもう大丈夫って言ってたけど、あのお二人には会ってみないとわからないと思うんだ」
その部分だけは、私には自信がなかったので、そういう表現にした。
「わかったよ。僕は大丈夫。店長に言ってシフトを替えてもらうから」
武彦は店長にはあれこれ相談しているようで、親身になって聞いてくれるらしい。
私には、顔を出すと、飲みに行きましょうと言う軽いノリの人っていうイメージしかないんだけどね。
「母さんと憲太郎君の予定があえば、須美雄さんに返事する事になってる。母さんにはお前が訊いてくれ」
「うん、わかったよ」
母は何としても都合を付けてくれるだろう。憲太郎君は最悪不参加でも仕方がない。
鉄は熱いうちに打て。先延ばしにすると、相手の気が変わってしまうかも知れないのだ。
私は武彦との通話を終え、病院に入った。
憲太郎君には、検診を受けてからメールを送っておいた。
彼は昼休みも不規則なので、電話に出られない事が多いのだ。
でも、それは取越苦労で、お昼休みに電話がかかって来た。
「僕も都合を付けるよ。みんなで行かないと意味がないから」
「そうだね。ありがとう、憲太郎」
「どうしてお礼を言うのさ? 当たり前の事だよ」
憲太郎君の優しい言葉に私は泣いてしまった。
これで心に引っかかっている事は全て解決する。年越しにならなくてよかった。
私は何としても依子さんと未実さんとの蟠りを解こうと思った。