その二百三十八
僕は磐神武彦。大学三年。
姉に妊娠した事をすぐに教えてもらえなかったのは悲しかったけど、謝ってくれたからもう何も言わない。
それから、腹帯を彼女の都坂 亜希ちゃんとお祝いで贈ったお礼はすぐに言ってくれたし。
「お前な、絶対に亜希ちゃんと結婚しろよ。もししなかったら、許さないからな」
通話を終える直前にそんな事を言われてギクッとしてしまった。
亜希ちゃんが何かを言ったのかな? 知りたいけど、訊けない。
「もちろんだよ。亜希ちゃんと結婚できなかったら、僕は一生独身を通すつもりだから」
そこまで言い切った。すると姉も驚いたらしく、
「いや、そこまで決意しなくてもさ……」
「決意も何も、僕は亜希ちゃん以外と結婚するつもりはないから」
僕は口調を強めて言った。
「わかったわかった。姉ちゃんが悪かったよ、武。訂正する」
訂正? どういう事?
「亜希ちゃんに逃げられないように頑張るんだぞ」
ちょっと気を許すとすぐにそういう事を言う。しかも、アニメ声で。
「姉ちゃんも、憲太郎さんに呆れられないようにね」
カチンと来たので、言い返した。
「心配しなくても、憲太郎は姉ちゃんにメロメロだから大丈夫だよん」
自信満々な答えが返って来たので、少し癪に障ってしまった。
今日は亜希ちゃんとは別行動の日。
前々から決めていた通り、高校時代の同級生達といつものようにフィギュアを買いに行く。
亜希ちゃんにはたびたび説明しているんだけど、未だに誤解は解けない。
「心置きなく、萌え萌えして来てね」
そんな事を言われてしまった。一度一緒に行った方がいいのだろうか?
そんな事を考えながら、いつもの店に入る。
友人達はまさに「萌え萌え」なコーナーに一直線で、僕は特撮ヒーローのコーナーへと進んだ。
「おお!」
掘り出し物があった。約四十年以上前に放映されて、あまり人気がなかった特撮ものの怪人のフィギュアがあったのだ。
思わず手に取り、じっくりと観察した。見れば見るほど欲しくなるのだが、値段が予算を遥かにオーバーしている。
諦めるしかなかった。その隣にあったもう少し手頃な金額のものにし、会計をすませて、友人達がいるフロアへと上がった。
あれ? 何でフロアの隅に集まっているんだろう? 不思議に思いながら近づくと、非常に意外な人物を見つけた。
「あら、武彦君。こんなところで会うなんて、奇遇ね」
それは憲太郎さんのお姉さんである沙久弥さんだった。
一児の母にはとても見えない相変わらずの「ザ・美少女」ぶりは健在だ。
「お前、どうしてそんなに美人に縁があるんだよ?」
友人達に羨ましがられた。いや、でも、義理のお姉さんだから、羨ましいとかの対象じゃないでしょ?
「武彦君もこういう趣味があったのね。亜希さんは知っているの?」
溜息混じりに沙久弥さんに言われたので、心臓が停止するかと思った。
それでも、誤解されたままではまずいと思い、購入したフィギュアを見せて弁解した。
「そうなの。いろいろあるのね、人形も」
沙久弥さんはすぐにわかってくれたので、ホッとした。
「またみんなでお食事でもしましょうか」
沙久弥さんは急ぐからと店を出て行った。それにしても、どうしてここにいたのだろうか?
「誰かを探しているみたいだったよ。最初はコスプレの人かと思っちゃったよ」
友人達は鼻の下を伸ばしながら、そんな事を話してくれた。コスプレって、確かに沙久弥さんは少女漫画の主人公みたいだけど、あれが普段着だし。
あれ? 誰かを探していた? 確か、沙久弥さんは、
「武彦君もこういう趣味があったのね」
そう言ってた。という事は……?
「武彦君」
どこからか、僕を呼ぶ声がした。ああ、やっぱりと思ってしまう。
声の主を探すと、ショーケースの陰に隠れている沙久弥さんのご主人の西郷隆さんがいた。
大きな身体を小さく縮めて、必死に身を隠していたようだ。
「沙っちゃんは出て行ったかい?」
恐る恐るという感じで、西郷さんは言った。僕は笑いを噛み殺して、
「ええ、もういませんよ」
西郷さんは溜息を吐いてノソノソと出て来た。友人達は西郷さんがあまりに巨体なので驚いている。
そして、沙久弥さんの旦那さんだと知り、もっと驚いた。
「まさか つけられているとは思わなくてさ……」
西郷さんは頭を掻きながら言った。そして、
「ここで会った事は、誰にも言わないでね」
西郷さんは何度も念を押して、店を出て行った。
確かに、沙久弥さんには言えないよね。でも、沙久弥さん、本当は気がついていると思うなあ。
それにしても、西郷さんが「萌え」好きとは思わなかったな。
家に持って帰ったら、沙久弥さんだけではなく、あの姉ーズ達に罵られそうなので、機動隊のロッカーに置いているそうだ。
まだ職場の仲間の方が理解があると言っていた。
涙が出そうになる秘話だ。
「磐神、今度、女の子を紹介してくれよ」
店を出る頃には、そんな話になっていた。
友人達は、失礼な事に、西郷さんが沙久弥さんと結婚した事に妙な希望を見出したらしいのだ。
でも、思い返して見ると、僕が知っている女性は、既婚者か、彼氏がいる人ばかりだよ。
紹介のしようがないよ。
「そんな意地悪言わないでさあ。もし、紹介してくれたら、さっきお前が断念したフィギュアをプレゼントするよ」
そこまで言われてしまった。フィギュア欲しさに紹介するのも、何だか嫌だから、その提案は辞退した。
そして、亜希ちゃんに話してみると言っておいた。
そしたら、友人達は何故かすごく期待値を上げていた。
どうやら、亜希ちゃんと親友の須佐姫乃さんが歩いているのを見た事があるらしい。
取り敢えず、姫乃さんは既婚者だと言ったら、目を見開いていた。
「それでも、都坂さんの友達なら、期待できるよな」
結構ポジティブな連中だ。まあ、それくらい前向きな方がいいだろうけどね。