その二百二十八
僕は磐神武彦。大学三年。
ある事が切っ掛けで、自分が教員免許取得のために科目を選択しているのがわかり、最近は本格的に教職課程について調べている。
早い人は二年生の時から準備しているらしいし、教育実習を含めて考えると、僕は出遅れている事に気づいた。
しかし、調べを進めていくと、教員免許を取得したからといって、必ず教職に就けるとは限らない事もわかってきた。
ちょっと尻込みしかけてしまった。
「確かに倍率は厳しいみたいね。姫ちゃんの大学の先輩は、教員になろうとして途中で諦めたそうよ」
今日は彼女の都坂亜希ちゃんと二人きりでデート中。
今、僕達は住んでいるところから少し離れた大きなプールに来ている。
人工の波も起こせるところだ。そのプールサイドの一角のパラソルの下で、一つのジュースを二人で飲むという定番な事をしている。
これをどうしてもしたかった亜希ちゃんは、知っている人がいないと思われるところを選んだのだ。
僕も知り合いにこれは見られたくないから、ちょうどよかった。
「武彦も無理しないでね。どうしても学校の先生でなければ、とかはしないでね。お父さんと同じ仕事に就きたいっていうのはわかるけど」
亜希ちゃんは僕の事を心配してそう言ってくれた。僕もそこまで拘るつもりはない。
亡くなった父は小学校の先生だった。でも、教職科目をとり始めたのが遅かった僕には小学校の先生の免許は無理だ。
それに小学校の先生は全教科を教えられなければならないので、尚更無理だ。
どこから情報を仕入れたのか、母が、
「教員にはならないでよ、武彦。父さんを見ていて、本当に大変だと思ったから」
お酒も入っていたせいで、泣かれてしまった。
母は姉が家を出てから、僕と二人きりになったせいで、愚痴を零す事が多くなって来ている。
それに加えて、先日の父の実家との騒動で、余計に心労が溜まっているようだ。
「わかったよ」
そういう返事しかできなかった。
教員になれない可能性を考えて、一般企業との二股をする人達もいるらしいが、それはやめた方がいいようだ。
教員採用試験は五月に行われる。
その合否がわかってから、一般企業を回るのではもう遅いのだ。
それは、教員に限らず、他の公務員試験も同じらしい。
公務員になれないとわかってから、一般企業を就活しても手遅れだからだ。
また逆に一般企業も就活しながら、教員試験も受けようとするのもダメらしい。
教員試験を受けている事を企業に知られるとそこを突っ込まれるのだとか。
企業としても、来てくれるのかどうかわからない人間に内定を出す事はないという事らしい。
それに大学側でも、教員になるつもりがないなら、教職を履修するなと言う先生もいるらしい。
教育実習を受け入れてくれる学校の先生方に失礼だというのだ。
その通りだと思う。だから、僕はどちらを選ぶにしても、二股をかけるつもりはない。
「もちろん、何が何でも先生になりたいって訳じゃないよ。狭き門なのはよくわかっているから」
僕がそう言うと、亜希ちゃんはホッとしたように微笑んだ。
それにしても……。
いくら知り合いがいる可能性がないプールだとは言え、今日の亜希ちゃんは大胆過ぎる。
水着はこの前のターコイズブルーのビキニで変わりないのだが、パレオを巻いていない。
それだけではない。どう調整したのか、いつもより胸の谷間が見えるのだ。
そうでなくても目のやり場に困るのに……。
「どうしたの、武彦?」
僕が俯いている理由も知らず、亜希ちゃんは顔を覗き込んで来た。
上体を倒しているせいで、ますます直視できない状態になっているなどと韻を踏んだような話になる。
「な、何でもないよ」
うっかりして、誘い水になるような事を言ってしまった。
「そういう時の武彦は、絶対に何かある時なの! 隠し事はなしよ」
亜希ちゃんはムッとした顔で腕組みをし、僕を睨んでいる。
正直に言った方がいいのだろうか?
「だって、亜希の水着が、この前より刺激的だからさ……」
ゴニョゴニョと言うと、亜希ちゃんの顔が赤くなった。
「そ、そうなんだ」
倒していた上体を起こし、椅子の背もたれに寄りかかった亜希ちゃんは、顔の火照りを冷ましたいのか、両手を団扇代わりにして扇いでいる。
「姫ちゃんに教わったのよ。そうしたら、いつもより谷間ができたから、嬉しくなって……」
そう言って、また顔を赤らめる亜希ちゃん。可愛いなあ。
親友の須佐姫乃さんは、きっと面白がって教えたのだろうなと想像がつく。
「そうなんだ」
僕は微笑んで応じた。亜希ちゃんは俯いて、
「だって、美鈴さんや長須根さんを見ていると、やっぱりもうちょっとあった方がって思えてしまって……」
なるほど。姉や長須根美歌さんの胸を見てしまうと、そう思ってしまうのも仕方がないか。
ああっと、ごめん、亜希ちゃん。
「だって、男子はほとんどが、胸が大きい子が好きなんでしょ?」
亜希ちゃんは少し拗ねたように口を尖らせて言い添えた。
僕は、別に胸の大きさにこだわりはない。
姉の義理のお姉さんである沙久弥さんだって、決して胸は大きくないよと言おうと思ったが、火に油だと判断し、言わなかった。
「亜希は巨乳だって前に言ったの忘れたの?」
その時、天啓のように思い出した事を代わりに言った。
「ありがとう、武彦」
空いている椅子に置いていた大きな白のビーチハットを衝立代わりにして、亜希ちゃんはキスをして来た。
お互い飲んでいたマンゴージュースの味がして、笑ってしまった。