その二百二十(姉)
私は力丸美鈴。そう、とうとう入籍し、本日結婚式。
ところが、先日初めて会って、結婚式の招待状を手渡した父方の祖父母が式場に来ていないという思わぬ事態が起こった。
絶対に出席すると言ってくれたお二人の言葉を疑いたくない。
何かあったのだろうかと心配で、披露宴が始まるギリギリまで、私は受付の見える場所にいた。
「美鈴、もう行かないと」
私の夫の憲太郎君が優しく肩を抱いて言ってくれた。
「うん、わかった」
私がここにいても、事態は何も進展しない。もう一度、式場のスタッフの人にお願いをして、披露宴会場へと向かう。
定番の結婚行進曲が流れる中、憲太郎君と腕を組んだ私は、思いっきり笑顔になって入場した。
入場の曲はいろいろ考えたのだが、定番中の定番が一番いいだろうという事になったのだ。
客席から歓声が上がり、スポットライトに照らされた私達は周囲に会釈をしながら席へとゆっくり歩む。
視界の端に見えた母と武彦と奴の彼女の都坂亜希ちゃんは心なしか浮かない顔をしている。
祖父母が姿を見せない事を心配しているのだ。
二人が携帯電話を持っていれば、もう少し状況がわかったのかも知れないが、今更そんな事を考えてみても仕方がない。
私達が高砂に着席すると同時に、パンとクラッカーが鳴り、紙テープが宙を舞った。
驚いた人もいたようだが、景気づけにはちょうどいい。そんな気分ではないのは押し隠し、笑顔を振りまく。
司会の女性が開宴の宣言をした。
そして、媒酌人を立てない方式なので、私達自らがウェルカムスピーチをした。
こういうのが苦手な私は、憲太郎君に任せ、隣で笑顔で客席を見渡すだけだ。ちょっと情けない気もしたが、その方がお淑やかなイメージができていいかも知れないと思っている。
今更手遅れだと愚弟の武彦は思うだろうけどね。
母方の祖父母も、父方の祖父母が来ていないのを気に病んでいるのか、笑顔がない。
(笑って、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん!)
私は集中的に二人を見て、笑顔を強調した。すると二人は私の思いに気づいてくれたのか、少しだけ笑ってくれた。
続いて、憲太郎君の柔道の監督が主賓の挨拶をなさった。
私の方は、会社の直属の上司である営業課長が挨拶をしてくださった。
何故か課長は涙ぐんでいた。課長の娘さんも「美鈴さん」で、まだ小学生なのだが、将来の事を想像してしまったのか、こみ上げるものがあったようだ。
そのお陰で、主賓の挨拶が盛り上がった。もらい泣きしているのは、実家の面々。ここから泣いていては、先が思いやられる。
そして、乾杯。音頭をとったのは、憲太郎君のお姉さんの沙久弥さんの嫁ぎ先である西郷家の大黒柱である西郷孝徳さん。
眉毛が太くて、豪快そうな顔をしているのは、沙久弥さんのご主人の隆さんと一緒だ。顔もそっくりだけど。
孝徳さんの大きな声はマイクを通さなくても会場の隅々まで聞こえる程だった。
「でか過ぎよ」
席に戻ると、奥さんの輝子さんに叱られていたのが可愛かった。
そして、イベントの一つであるケーキ入刀。沙久弥さんの時、あまりに前に出過ぎて、憲太郎君に叱られたっけ。
ケーキはあまり張り込まなかったので、高さは一メートルくらい。
笑顔でナイフを入れる。
武彦がデジカメを持ってすぐそばまで来ていた。わざと舌を出して戯けた顔をすると、びっくりしていた。
「美鈴、ふざけないで」
憲太郎君が小声で窘めて来た。
「えへへ」
少しずつ宴に気持ちを移せた私は、肩を竦めた。
一段落し、お食事タイム。だが、私達はまだ食べられない。次はお色直しだからだ。
会場を出ると、スタッフの人が待っていた。その顔は冴えない。祖父母達はまだ来ていないようだ。
「お急ぎください。次は白無垢ですから」
女性スタッフに言われ、私は慌てて控え室に向かう。
「美鈴、また後でね」
憲太郎君も自分の控え室に向かった。
沙久弥さんが披露宴で白無垢を使ったので、私は本当は嫌だったのだけど、
「父さんが白無垢を望んでいたのよね」
式を挙げられなかった母がぽつりと言ったその一言で決意した。
亡き父が母の白無垢を見られなかったのであれば、娘の私が見せてあげようと。
ずるいよ、母さん、今になってそんな事。そうも思えたのだが、聞いてよかったとも思った。
父の意向を反映した式にできたのだ。娘として、これ程嬉しい事はない。
こんな事を武彦に知られれば、
「ファザコンなの?」
そう言われてしまうだろう。絶対言わないだろうけど。
でも、言われてもいい。だって、父が大好きなのは紛れもない事実なのだから……。
そこまで思った時、また祖父母の不在を思い出してしまった。
父が亡くなってしまって、直接見せてあげる事ができないから、余計にお二人には出席して欲しかったのだ。
これも宿命なのだろうか? とても悲しいけど。
「さあ、整いました。ご覧になってください」
着付けの人が声をかけてくれて、私は我に返った。目の前の姿見に写った私。別人だ。こんな楚々とした私は人生の中で一度も見た事がない。
「お綺麗ですよ」
着付けの人とスタッフの女性が笑顔で言ってくれた。
「ありがとうございます」
私も笑顔で返し、控え室を出る。
「綺麗だよ、美鈴」
憲太郎君は目を潤ませて言った。憲太郎君も紋付羽織袴で凛々しくて惚れ直してしまう。
「うん」
私も涙を堪えて応じた。
会場に再入場する時、今度は「越天楽」という雅楽が鳴り響いた。一転、厳かな雰囲気に包まれる。
おおっという喚声が聞こえた。皆さんが見つめているのが最初の入場よりはっきりとわかるので、恥ずかしくて俯いてしまった。
音楽の効果だろうか、いつもは着物を着てもつい大股で歩いてしまうのに、そんな事にはならなかった。
憲太郎君に手を引かれながら、ゆっくりと高砂へと向かい、着席した。
そして、来賓の祝辞、余興となる。
余興は、西郷さんの同僚の皆さん、要するに機動隊の方々が、ギャップが大き過ぎる警官コントをしてくれた。
会場は大爆笑、私は化粧が落ちてしまうくらい笑ってしまった。
祝電のお披露目。ここに来られなかった憲太郎君の恩師の竜神監督と私の親友の美智子のものも読み上げてもらった。
そして、クライマックスとも言うべき、花束贈呈。
父がいない私の家族には、母方の祖父母も参加してくれた。
手紙を読む私は開く前から涙が止まらず、武彦はもうグチャグチャの顔。それを慰める亜希ちゃんもボロボロに泣いている。
当然の事ながら、母も泣いている。祖父母も泣いている。
憲太郎君のご両親も堪えていたのだが、とうとう泣き出してしまった。
ふと横を見ると、憲太郎君も泣いていた。そこまで見てしまうと、私の方が冷めて来てしまいそうだ。
何とか、花束贈呈を乗り切り、次は両家の代表として、憲太郎君のお父さんである利通さんが挨拶した。
ようやく冷静さを取り戻した我が実家の面々は神妙な面持ちで代表挨拶を聞いていた。
司会の女性が閉会の宣言をし、私達の記念すべき一大イベントは終了した。
私はすぐにでもまた父方の祖父母の事を確認したかったのだが、お客様達をお見送りしなければならない。
急に疲れがドッと押し寄せて来る。
「もうひと頑張りしよう、美鈴」
憲太郎君が私を優しく支えて囁いてくれた。
先に会場を出て、武彦達と共にお見送りをする。
「姉ちゃん、今までで一番綺麗だよ」
武彦が小声で言ってくれた。
「ありがとう、武君」
私はとっておきの亜希ちゃんの物真似で応じた。すると呆れ顔で見られてしまった。反省するか。
お見送りを終え、私はスタッフの人に駆け寄った。
「お見えではないようです」
スタッフの人もあちこちにいる同僚に確認してくれたようなのだが、祖父母らしき人達は来なかったという。
一体どうしたのだろうか?
「もう一度家に連絡してみるわ」
母が言ってくれた。母方の祖父母も悲しそうだ。
幸せな日のはずなのに、どうしても手放しで喜べない。何故こんな事になったのだろう?
悲しくて、悲しくて、やり切れなかった。