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姉ちゃん全集  作者: 神村 律子
大学三年編
220/313

その二百十九(姉)

 私は磐神いわがみ美鈴みすず。とうとう結婚式当日になった。


 待ちに待った日だったはずなのに、怖くなっている自分がいる。


 当然の事ながら、夕べは一睡もしていない。


 周りからは小心者とは思われていないので、余計にプレッッシャーを感じてしまうのだ。


「大丈夫、美鈴?」


 すでに戸籍上は昨日夫となった力丸憲太郎君が、目の下に見事なくまを作っている新妻を気遣ってくれた。


 区役所に婚姻届を出す時も、必要以上に嫌な汗が出た。


 よく愚弟の武彦を叱る私だが、本当は武彦以上に「ビビり」なのだ。絶対にあいつにだけは知られたくないが。


「だ、大丈夫よ。そろそろ出かけましょうか」


 私は引きつる顔を無理に笑顔にして言った。すると憲太郎君は呆れ顔になって、


「姉貴達が来たら、一緒に式場に行く事になっているのを忘れたの、美鈴?」


「あ、そうか」


 ペロッと舌を出して戯けたフリでもしなければ、逃げ出したくなってしまうほどテンパっている。


「緊張するのはわかるけど、まだ何も始まっていないんだから、落ち着いて」


 憲太郎君は私の手を包み込むように握ってくれた。彼の体温が伝わって来て、気持ちが安らぐのを感じた。


「ありがとう、憲太郎」


 お礼にキスをした。もちろん、夫婦だから、唇にね。


「わわ!」


 大きな柔道の大会の前日でもぐっすり眠れる程の精神力の持ち主だけど、こういう不意打ちにはまるで子供みたいな反応をする。


 お。何だかリラックスできた。今度からこの手で行こう。ムフフ。


 


 そろそろ憲太郎君のお姉さんの沙久弥さんとお母さんの香弥乃さんが来る頃だと思い、支度をしてリヴィングで待った。


 沙久弥さんはすっかり大きくなった隆久君をベビースリングで抱いて現れた。香弥乃さんは相変わらず物静かな佇まいで沙久弥さんの後ろにいた。


 あ、そうか。お義姉ねえさんとお義母かあさんだ。もう私、力丸美鈴なんだし。


 お二人と顔を合わせたら、急にそんな実感が湧いて来た。


「美鈴さん、大丈夫?」


 さすが、沙久弥さん。私の顔を見るなり、そう言った。いや、それほど私の目の下の隈って酷いのだろうか?


「お化粧でわからなくなると思うけど、ちょっと対策してみましょうか」


 普段は前に出ない香弥乃さんが私に気の流れによって血行を改善し、隈を薄くする方法を教えてくれた。


「さすが、母さんだね」


 憲太郎君はそう言って意味ありげに沙久弥さんを見る。相変わらずそういうの、好きだなあ。


「な、何よ?」


 沙久弥さんも、他の人だったら笑顔で返すのだろうが、弟の憲太郎君には遠慮せずにプウッとほっぺを可愛く膨らませてみせた。


 この間に入り込むの、まだ自信ないな。


「そろそろ出かけようか」


 場の空気が悪くなりそうだと思ったのか、憲太郎君が苦笑いして言った。


「そうね」


 香弥乃さんも心得たもので、不満そうな顔をしている沙久弥さんを追い立てるように玄関へと歩き出す。


「こんな母と姉だけど、よろしくね」


 憲太郎君が小声で言ってくれた。


「はい」


 私は涙ぐみそうになって応じた。


 


 エレベーターで地下の駐車場に降りると、沙久弥さんのご主人である西郷隆さんがミニバンで待っていてくれた。


「さあ、乗って乗って」


 西郷さんは運転席から降りると、隆久君をベビーシートに移し、沙久弥さんと香弥乃さんを後部座席に乗せ、憲太郎君と私を中部座席に誘導してくれた。


「美鈴さん、幸せそうな顔をしているね。憲ちゃんをよろしく頼むね」


 西郷さんがルームミラー越しに言う。


「貴方に言われるまでもないわよ、隆さん」


 沙久弥さんはベビーシートの隆久君をあやしながらやはりミラー越しに言った。


「そうだね」


 西郷さんは豪快に笑って応じ、車をスタートさせた。ああ、いかん、また緊張して来たぞ……。


 


 式場は、沙久弥さんと西郷さんの時と同じところなので、母と武彦と奴の彼女の都坂みやこざか亜希あきちゃんは私の実家から直接行くようだ。


「もうすぐ武彦君と感動の再会だね、美鈴」


 最近、この「弟いじり」が好きになったのか、憲太郎君は何度となく言って来る。


「ああ、はいはい」


 始めはリアクションをとっていた私だったが、もう今は飽きてしまい、そんな反応しかしない。


「じゃあ、また後でね」


 式場に着くと、憲太郎君はスタッフの人との打ち合わせのために先に行ってしまった。


 沙久弥さんの式の時にしっかり顔なじみになったので、いろいろとお願いしているらしいのだ。


「じゃあ、私達はこっちね」


 沙久弥さんは隆久君を西郷さんに預けると、香弥乃さんと共に移動する。


「あ、はい」


 私は慌てて二人に続いた。


「おはようございます」


 新婦の控え室に行くと、母と亜希ちゃんが待っていた。


「おはようございます」


 香弥乃さんと母、そして沙久弥さん、更には亜希ちゃんを交えた挨拶が一通り終わった頃、


「新婦様はこちらにどうぞ。お召し替えいただきます」


 式場のスタッフの女性が来て告げた。


「はい」


 緊張が一気に高まった。亜希ちゃんはすでに目を潤ませていた。早いよ、亜希ちゃん。


 きっと、武彦との式を想像しているのだろう。私も沙久弥さんの式の時、そうだったから。


 


 着替えも終わり、最終の打ち合わせもすんだ時、母が狼狽えた様子で近づいて来た。


「どうしたの、母さん? 今日は私の結婚式だよ?」


 最近、すっかり頻繁にデートをするようになった高校時代の同級生の日高ひだか建史たけふみさんとの事を皮肉ってみたのだが、母はそういう事で狼狽えていたのではなかった。


「お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが来ていないのよ」


「え?」


 祖父と祖母が来ていない? いや、さっき顔を見に来てくれたはずだが?


「でも、ここに来たよ」


 そう応じると、母は呼吸を整えながら、


「違うのよ。母さんの方じゃなくて、父さんの方……」


 その途端、私は血の気が引くような思いがした。


 亡き父の方の祖父母とは、つい先日初めて会い、招待状を手渡した。


 何十年も絶縁状態が続いていただけにそこまで漕ぎ着けてホッとしていたのだ。


「連絡は取れないの?」


 私は何とか気を取り直して母に尋ねた。


「家に電話を何度も入れているんだけど、誰も出ないのよ。お二人は携帯電話を持っていないし」


 母はますます顔色が悪くなっている。


「道に迷っているのかな?」


 憲太郎君が言った。


「でも、バスで来るって言ってたから、間違えるはずないよ。最寄りのバス停も教えたし、そこからなら教会の尖塔が見えるし」


 私も嫌な妄想を振り払いながら応じた。


「とにかく、待つしかないよ」


 憲太郎君は私と母を宥めながらそう言ってくれた。気ががりではあったが、すでにたくさんのお客様がいらしているので、祖父母の事だけに関わっている事もできない。


 スタッフの人に事情を説明して、二人が来たら誘導してくれるように頼んだ。


 こうして、不安を抱えながら、私と憲太郎君の式は始められた。


 教会への入場は、父のいない私は母方の祖父との入場になった。


 私の緊張が移ったのか、それとも祖父も緊張していたのか、二人共ぎこちない歩みで入場したので、あちこちから笑い声が漏れるのが耳に入り、余計緊張してしまった。


 式そのものは滞りなく進み、メインイベントである憲太郎君とのキスも鮮やかに決めた。


 私はそれで落ち着いたのだが、今度は憲太郎君がソワソワし始めてしまった。何だろうなあ……。


 ふと家族席を見ると、号泣している武彦を亜希ちゃんが慰めているのだが、その亜希ちゃんも泣いており、母は祖母と抱き合って泣いていた。


 涙脆い家系だとつくづく思ってしまった。


 ブーケトスをした時、西郷シスターズの三女である依里えりさんが強引にキャッチしていたのは、ちょっと引いてしまった。


 そして、披露宴までのインターバルで、私はスタッフの人に祖父母が到着したか尋ねた。しかし、来ていなかった。


「美鈴、行くよ」


 肩を落としている私に憲太郎君が声をかけた。


「うん」


 重い足取りで、私は控え室に向かった。


 一体祖父母はどうしてしまったのだろう? 事故? それはあまり考えたくない。


 心変わりしたとも考えにくい。


 それでも私はそんな心の内を押し隠し、着替えを終えると披露宴会場へと行く準備をした。

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